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過去の2日に1回日記(旧・お知らせ)保管庫(2010年4月〜6月)


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なぜこの日にした!
 今日は、新年度1日目。そしてエイプリルフールです。
 しかしまあ、エイプリルフール=4月1日というのはなんと日本の風習に合わないのでしょうか!4月1日と言えば年度はじめで、社会全体がなんとなくバタバタ。新しい世界に飛び込む人も多く、冗談を言っても冗談ととらえられない可能性が最も高い日なのです。たとえば、私が同期などに「想定どおりピッコロシアターに異動になりました」といっても、冗談なのか本気なのか一瞬考えてしまうはずです。
 これがせめて4月10日ならちょっと緊張が取れてきていい時期だし、5月1日とか6月1日なら心おきなく冗談を構築できるのですが。たとえば、私の個人ホームページにしてもその日1日だけの特別バージョンとか用意できるはずです。ただ、4月1日では物理的にも心理的にも、なかなかそうはならない…。
 ということで、今年も何も面白いことは用意できず、びっくりさせるようなメールを送ることもできず…。さらに、なんとエイプリルフールは正式(?)には午前中までだそうで、式典・挨拶続きの1日を過ごす公務員にはますます縁がない様子…。ほんと、残念だなあ…。(2010/4/1)

"One Short Day"と「緑の小瓶」と(劇団四季「ウィキッド」感想2)
 ちょっと間が空きましたが、ウィキッドの感想の続きを。
 見る前からやたら情報が入っていたため、ずっと思っていたのは「ウィキッドというのは女の子同士の友情物語なんだろうな」ということ。お互い最初は反発していたが(What is this feeling)、そのうち分かりあえるようになり(Popular)、楽しい時間を過ごす(One Short Day)。でもお互いに別の道を歩む決意をする(Defying Gravity)。それにボーインフレンドの話とか、「オズの魔法使い」のお話などが絡んでくる。そんな風に考えていたのです。
 まあ、これで大体あっているのですが、なかなかそれほど単純なお話でもありません。たとえばグリンダは心が傷つく場面が非常に多く、一方、エルファバは「あんた、それでは社会でやっていけないだろう」と思うような軽率で周囲のことを考えない行動が目につきます。単純に一方が正しく、一方が間違っているような話ではないし、その両者が和解するような話でもないのです。
 それを象徴しているのが、ネッサローズとボック。ネッサローズは車いすの生活、一方のボックは小人族(マンチキン)。一見、仲睦まじく見えた二人の関係が、最後は大きな悲劇に結び付いていく。障害者=かわいそうな存在=善とはなっていないところが、複雑な色彩をこのお話に与えています。
 そういえば、劇中に何度も出てきて、一種のイメージカラーとなっている緑という色も、単純でありながら、決して原色ではありません。
 ちなみにこの原作、イラク戦争でフセインのことを一方的に悪徳と決めつけて戦争に入っていったことに対する反発も含まれているのこと。たしかに一方的な善や悪なんてどこにもないのでしょう。アメリカもそんなことを考えないといけない時代なんだろうなと思いつつ、それを見え隠れさせながら誰もが楽しむことのできる上質のエンターテイメントに仕立て上げるアメリカのパワーもまた感じざるを得ないのです。(2010/4/3)

新年度ブルー
 新年度に入って約1週間。何となくブルーになりつつあります。
 「隣の芝は青く見える」とはよく言ったもので、隣の人の仕事は自分の仕事に比べて楽に見えるもの。そのため、仕事が変わった年度当初は「ああ楽になった」と思うのですが、どの仕事にもそれなりにしんどいことがあって、「やっぱり今年もしんどいかも」と思い出すので、ブルーな気分に陥るのでしょう。特に今年、私の周囲はあまり人が変わらず、仕事だけが大きく変わったのでなおさらかも知れません。
 しかしまあ、こうやって公務員としていろんな仕事を渡り歩いていると、世の中に悩みは尽きないものだなあと改めて思います。どんな事務でも必ず何らかの問題があって、一筋縄ではいかないものです。もちろん、その分、逆にどんな仕事でも面白さがあるということでもあるのですが。社会的には楽だとされている公務員の仕事ですらそうなのですから、社会にはもっともっと悩ましいこと&楽しいことがたくさんあるのだろうなと、改めて感じてしまいます。
 この厳しいご時世、仕事があるだけましというのも真実なのですが、それだけの気構えで仕事していくのもつらいもの。どこかに魅力的な仕事は落ちていないかなあと遠くの芝まで探しに行ってはみたものの、どうもそんないいところはないぞということに気づきだした、小役人生活13年目の春なのです。(2010/4/5)

「なるほどですね」の研究
 霞ヶ関に1年間いて変に思ったことは山のようにあるのですが、そのうちの一つが「なるほどですね」という言葉。霞が関の官僚はこの言葉を実によく使います。たとえば、強引な論理構成で無理を通そうとする地方自治体に対して「なるほどですね」、これはあなたの省の仕事だと事例を挙げて迫ってくる相手に「なるほどですね」。毎日、霞ヶ関村ではこの言葉が飛び交っています。
 辞書で調べてみると、「なるほど」とは「相手に同意したり、自ら納得したりする気持ちを表す語」とあります。一方、「ですね」とは「〔助動詞「です」に間投助詞「ね」が付いたもの〕語句の切れ目に添えて念を押したり強調したりする」とのこと。すなわち、この言葉の気持ち悪さは、自分が同感や納得しているということを、相手に対して念押ししたり強調しているという強引さに起因しているようです。どこか上から目線なのです。(たとえばこの言葉を上司に対して部下が使うことはまずないでしょう。「なるほど、そういうことだったんですね。」ならあり得ますが。)
 さらに感じるのは、「単に同意や納得をしているだけで、あなたの言い分のままに行動してあげるわけではないよ」という意味が、どこか言外に潜んでいるところ。同意や納得したという心の状態だけを相手に示しており、決してその先に無条件に行くということを表していないのです。しかし、これを使われた方は、同意や納得をしてくれたわけですから、なんとなくいい気分になれる。みんなを傷つけることなく、でも結局何もしない。官僚にとって実に便利な言葉なのでしょう。しかし、こんな言葉が口癖になるようでは、正直、この国の将来も厳しいものがあります。
 ちなみに、Googleで検索してみると、最近は官僚のみならず若者も「なるほどですね」と言い始めたそうで…。そのうち、当然の言葉となって、厭味には聞こえなくなるのかもしれませんが、なんとなく当事者意識の薄い社会を反映した言葉のような気がしてならないのです…。(2010/4/7)

引っ越し疲れました〜。といってだらだらできる喜びと悲しみ
 仕事は変わらなかったのですが、組織改編があったため、職場が若干移動します。ロッカーや机の移動は業者の方がやってくださるのですが、その前にロッカーに入っている書類や物品を全て段ボール箱に詰め、外に出さなければなりません。今日はほぼ1日その作業。午前9時から午後8時半まで、昼休み以外ひたすら箱詰めと運び出しをしていました。その間にもわけのわからない問い合わせ電話などが入ってきて、家に帰るなり「今日は疲れた〜もう寝る〜明日はどこにも出かけずに家でゆっくりする〜」となってしまったのです。
 ところで、うちの課には育休明けのお母さんとかがいて、今日も6時頃には保育園のお迎えに行くということで帰られました。これだけの仕事をして、保育園で子どもを出迎えて、料理を作って…とか、本当に大変だなあと思います。そうでなくても、家庭があれば家に帰ってものんびりしているばかりはいかないのが実態でしょう。みんな大変だなあ、偉いなあとと改めて思ってしまいました。
 いったん家庭をもった後に独身生活へ戻ってみると、いかに一人身が楽か、しみじみと実感できます。もちろんこれが正しい人生の選択とは思っていないのですが、今の時代は男性・女性ともに、家庭のある場合とない場合の格差が大きすぎるのではないでしょうか。それを乗り越えるのは、愛情?それとも打算?周囲の圧力?常識?。いずれも弱い気もいたします。
 なんだか文章が変になってきていますが、これも疲れているということで。ともあれ、だれにも邪魔されることなく、これから自然に目が覚めるまで寝ようと思います。お休みなさい。(2010/4/9)

たった1週間なのですが
 昨日、ポーランドの大統領一行を乗せた航空機がロシアで墜落しました。大統領夫妻をはじめ、多くの高官が犠牲になったとのこと。テロなどではなく操縦ミスによるというのがまだ救いですが、それにしても大きな悲劇には違いありません。
 私がポーランドを旅行したのは半年前、たった1週間程度でした。それでも、礼儀正しく、町は綺麗で、どこかはにかみ屋で、そして暗算上手な国民性はしっかりと感じとれました。どこにでも花束を持っていく心の優しさも。その国を襲った今回の悲劇。私も歩いたあの大統領府前にたくさんの蝋燭と花束がささげられているのを見て、「あの場所が今こうなっているんだな」と複雑な思いがよぎります。
 また、ポーランドのロシアに対する不信感や疑念、EU加盟・経済統合に対する複雑な思いも、さまざまな施設や博物館、町中やスーパーなどを巡る中で、どこか感じていました。そういう中で、急速な経済統合や西欧化に反対した保守派の大統領が、「カチンの森事件」現場にほど近いロシア領内で亡くなった。ポーランドはどこまで複雑な事態に悩まなければならないのかと同情を禁じえません。
 ヨーロッパでも有数の親日国であるポーランド。特に何かができるわけではないけれど、今はただ、ポーランド大統領夫妻をはじめ犠牲になられた方々、そしてポーランド国民に謹んで哀悼の意を表したいと思います。(2010/4/11)

世代交代、そして仕事。
 今日、久しぶりに仕事で広報課に行ってきました。広報課は長い人が多く、10年ぶりに復帰した人などもいて、昔話に花が咲きました。私の県庁最初の職場が、この広報課だったのです。
 当時の私の仕事は、県内各地に出かけて写真を撮ってきて、広報誌に掲載するというものでした。それまで全くカメラの経験が無く、むしろカメラ嫌いだったのですが、絞りとシャッタースピードの関係や、効果的なアングルの取り方などを一から習って、2年間なんとかこなしました。取材に出かて24枚撮りのリバーサルフィルムを5〜6本使い切ってしまうときも。相当無駄なコマも多くあったはずですが、2年間で数千枚の写真を撮りました。
 おそらく一生の間でこれほど写真を撮ることはないだろう…と思っていたのですが、先日自分のデジカメの表示を見ると、これまで取った写真はなんと累計で一万枚以上!デジカメを買い替えてから1年3カ月ぐらいなのですが…。同じシーンを10数枚撮っている場合もあるものの、あっさりと広報課時代に撮影した枚数を越えてしまっています。やはりデジカメならではの気楽さと、何枚撮ってもかかるお金は同じという安心感が、これだけの枚数を取らせてしまうのでしょう。
 10数年前にすでにデジカメは出現してはいたのですが、まだまだ実用には程遠いか、むちゃくちゃ高価なものでした。それが今では、フィルムカメラの方がむしろ趣味のものになってしまっています。県庁に入ってからの10数年で明らかに世代交代したのが、このカメラの世界です。
 私などはこうして昔を懐かしむ程度で良いのですが、中には一生の仕事と思っていたものを失った人や、失意のうちに第一線から退かざるを得なかった人々もいるでしょう。仕事というのはどんな仕事でも、多かれ少なかれ社会の風潮や現象など、外部要因で大きく流されがちです。その中で何を守り、何に流されていくのか。そろそろそんなことを考えなくてはいけないのかなとも思った、初めての職場での一時でした。(2010/4/13)

同じ視線、違う経験
 先日、比叡山に行ってきました。「スルッとkansaiスタンプラリー」のポイントだったからなのですが、世界遺産にもかかわらず、まだ行ったことがなかったのです。
 その比叡山の中心となる建物が「根本中堂(こんぽんちゅうどう)」です。国宝・世界遺産と言うことでどんなに壮大な建物かと思いきや、実は窪地のような所に建っています。ちょっと意外でした。そして、中に入ってもそれほど威圧感を感じません。というのも仏様の目線の位置が参拝者と同じ高さになっているから。これは、仏も人もひとつという仏教の「仏凡一如」の考えを表しているそうで、確かに上から見下ろされる仏像とは大きな違いがあります。
 ところが、よくよく見ると、仏様と参拝者の間には、深い深い谷間が。約3メートルの深さがあり、「修行の谷間」や「煩悩の谷間」と呼ばれています。向こうに行くには一度階段を下り、土間を超えて、さらに階段を上がらないといけないとのです。仏様の顔は目の前近くに見えるのですが、実ははるかなる道のりなのでした。
 いろんな人と語っているとき、同じ内容であったとしても、その人の深さや経験が垣間見えることってよくあります。その深さや経験は、苦労して苦労して谷間を越えて初めて身に付く、そうでないとなかなか身に付かないのが人間なのかなと、最近思います。そう考えると、つらいこと、苦しいことも自分を深め、高めるための大きな糧。そして、それを乗り越えたとき、自分の目線を、向こう岸にいる相手より高める必要はもうどこにも無くなっているのでしょう。団体客が消えて静けさを取り戻した根本中堂の中でそんなことをしばらく考えていました。
 もしかしたら1200年前の人もそんなことを思っていたのかもしれません。少し肌寒いけど、お堂の外にはすっかり春の光が満ちていました。(2010/4/15)

八戸・東京間、3時間の奇跡(「俳優になりたいあなたへ」感想)
 「俳優になりたいあなたへ」は、小劇場界の盟主であった第三舞台の主宰者として有名な劇作家・演出家の鴻上尚史さんが、中・高生のために「どうしたら俳優になれるのか」「演技とはどういうものなのか」を分かりやすく書いた本です。大変読みやすく、さっと一読するだけなら1時間弱で読めます。
 実はこの本、私は再読でした。ピッコロ舞台技術学校に入ってしばらくして、ある人から薦められて読んだのです。そのときは、「ふーん、役者さんというのはなかなか大変なんだな」「これで勘違いの高校生とかが減ればいいのに」程度の感想ぐらいでしたが、中間発表・卒業公演と2本の舞台を作った後で改めて読むと、「なるほど、こういうことだったのか」という再発見がたくさんありました。
 まずは、「役を演じるのではなく、自分自身を見せようと思ってる俳優は飽きられる」という言葉。確かに、本科を見ていても中間発表と卒業公演で全く違う役を演じられた人と、そうでなかった人がいた気がします。そして、役者としてどっちが魅力的なのかは言うまでもありません。さらに、「俳優は率先して傷つくことが必要だが、自分の本当の姿を見せないでカッコよく演じようとする人がいる。でもそれは感動を生まない」。確かにうまい下手、演劇経験の長い短いとは関係なく、何かが伝わってくる役者さんとそうでない役者さんがいたのは事実です。そのような違いがあったのかもしれないなと、改めて感じました。
 ちょっと違った観点ですが、「30歳になってから役者になろうとしても遅い」ということも書かれています。確かに、役者でもスタッフでも、あるいは職人や営業マンでも、世間で最も楽な商売と思われている公務員ですらも、30歳になってから新たに一人前なろうとするのは相当に困難だと思います。残酷なようですが、やはり若さというのは大きな才能です。若ければ若いほど吸収できるものがあるし、あえて作らなくても華がある。それもピッコロ1年の経験で感じたことです。
 ちなみにこの本を薦められたのは「この本の『あとがき』に書いてある話が、多分いそべっちのつぼにはまると思うよ」という理由でした。たしかに、私の好きな種類のお話ではあります。あえて書きませんので、演劇に携わる人はぜひ一度読んでみてください。神戸市立図書館で借りることも可能です。(2010/4/17)

フライパン、ケトル、両手鍋。
(音楽座「シャボン玉とんだ 宇宙(ソラ)までとんだ」感想1)

 音楽座のミュージカル「シャボン玉とんだ 宇宙(ソラ)までとんだ」を見てきました。全くの日本製ミュージカルはひさしぶり。
 話の内容自体は正直、良くありそうなストーリーではあるのですが、大阪弁をしゃべるヒロインというのはとっても印象的で魅力的。そして、それを支える素敵な歌。やはり日本語には日本語に合ったメロディーというのがあるかもしれないなと、改めて思いました。
 そして、どうしても目が行ってしまうのが、次々に繰り出される舞台美術の数々。一番の見ものは遊園地の迷路のシーンでしょう。遊園地独特のカラフルなセットがいくつもに分割されて、舞台中を縦横無尽に動き回り、次々に色々な形に構成されていくのです。役者とも連動した、ダンスのような動き。どのようにしたらあんな風に動くのか、舞台美術を多少経験した者としてはどうしても興味があります。当然、最大の見せ場・シャボン玉のシーン、宇宙船内部のシーン、喫茶店ケンタウルス、そして監獄と、美術だけでもたくさんの見どころがあります。
 ただ、私が一番気に入ったのは、一見地味な新婚家庭の舞台装置。他のシーンとはかなり異質で、フライパン、ケトル、そして両手鍋の形にパネルが切ってあり、全体が黄色。そして、その下には黒い色で刷毛ではいたような模様が。それを見た時に、ひさびさに「この発想はなかった」とやられました。
 新婚家庭というのは主人公の女の子(佳代)の夢の、一つの実現です。このシーンでの彼女は本当に幸せいっぱい。でも、1幕を見ている人々には、多分この結婚が上手くはいかないだろうというのが分かっている。そんな幸福感と不安感を、ほんわりとした雰囲気のセットの中で見事に表現しているのです。選んだのが台所用具、それも鍋が両手鍋というところなども、「やられたぁ」という感じでした。出てくる人々の服装とのコントラストも実に見事に考えられていて、このシーンをいかに重視しているのかよく分かります。
 美術家としてあのプランを出すのはかなり勇気のいることかと思います。ただ、その意図が全体の中でパシッと当てはまった時に、舞台はさらに輝きを増す。そんなことも感じた、舞台技術学校2年目の春なのです。[全然お話の内容を書いていないので、それはまた次回以降に。](2010/4/19)

えっと、あとがきのあとがきです。
 ということで、「僕の舞台技術学校日誌」を本日、完結させました。
 正直どうしようか考えたのですが、19期は19期で別の1年目の方が書いてくれればいいし(いるのかな)、区切りとして、入学式前日の今日で完結させました。mixiをみてもそれらしいことを書いている人が結構いるので、やはり今日は、区切りの日としてふさわしかったのでしょう。「なぜこんなページを作ったのか」など、まとめておきたいこともあったので、撤退の機会かなというのもありました。
 いよいよ明日から舞台技術学校2年目です。自分の1年間の「舞台技術学校日誌」を眺めながら、1年を振り返ってみると、実に多くのことをしてきたなあ、もう一度同じことができるかなあと、多少不安になってしまいました。とはいえ、志を同じくする同期のみんなと一緒なら、必ずもう一度できる。そう信じて、また新しい一歩を踏み出したいと思います。
 ちなみに、舞台技術学校の「あとがき」のラストはありがちな感謝の言葉となってしまいました。もっと違うことを書きたかった気もするのですが、やはり最後は感謝の言葉しか思い当りませんでした。2年目の学校生活を迎えるに当たり、少しは周囲に目を配り、感謝の心を大切にしながら、また楽しくやっていけたらいいなと想いを新たにしているところなのです。(2010/4/21)

みんなのシャボン玉、宇宙(ソラ)まで届け!
(音楽座「シャボン玉とんだ 宇宙(ソラ)までとんだ」感想2)

 前々回、「お話の話題はまた次回以降に」と書いてしまったので、書きだしたのですが…。正直まとまりません。このミュージカル、考えれば考えるほど、なかなか一筋縄ではいかないのです。初演がバブル絶頂期という時代背景もあってか、いろんなものが素材のまま(荒削りなまま)掘り込まれている気がします。
 キーとなりそうな概念は「シャボン玉」だったり、「黒と白」だったり、「宇宙」だったりするんですが、「これがテーマ」というのがはっきりとはうたわれていない気がします。佳代とユーあんちゃんの純愛物語と見ることもできるし、夢をかなえることの大切さを訴えたとも、宇宙人と地球人の交流と考えることも、永遠の命を表現したと見ることもできます。音楽座のHPやパンフレット、あるいは公式感想(?)を見ても色んなことが語られており、「正解」が見つからないのです。ある意味、このあたりが日本のミュージカルならではで、ニューヨークやロンドン発のミュージカルとの大きな違いかもしれません。逆にいえば、見る人によってはどんな見方でもできるということでもあります。
 もちろん正解なんてないのでしょうが、私なりの正解は「シャボン玉とんだ 宇宙までとんだ」というタイトルから。シャボン玉をそれぞれの人の夢や希望になぞらえているのかなと。そして、その思いを今、直接受け止めてくれる人がいなくても、広い広い宇宙の中ではそれを受け止めてくれる人がきっといるよ。そんな、人々のささいな夢や希望であふれている、この地球、この世界こそが素晴らしい。そんなメッセージなのかなと思いました。
 昨日は、ピッコロ演劇学校・舞台技術学校の入学式でした。学校生はみんな客席に座っての参加だったけど、次の授業からはいよいよあのステージへ。ステージから、たくさんのシャボン玉を宇宙(ソラ)に飛ばしていきたいと思います。みんな、一緒に頑張ろう!(2010/4/23)

有名作品を上演する楽しさと難しさ
(劇団風斜「幸せ最高ありがとうマジで! 」感想)

 某所からいただいたチケットで観劇。神戸三宮の「イカロスの森」。最近、大箱での観劇がつづいていたため、観客50人程度の小劇場は逆に新鮮でした。
 ご存知の方も多いと思いますが、最近の演劇界のトレンドの一人、本谷有希子氏の作品。出版もされているようです。そういう意味ではオリジナル作品にありがちな「何だかわからない」感はなく、多少難解だけど、でも分かりやすい(どういうこっちゃ)作品でした。特に、言葉遊びや現代社会への認識が非常に的確かつ斬新で、そのあたりが演劇界の寵児となりつつあるところかなと思った次第です。
 役者さんたちも非常に頑張っており、大変好感が持てました。ただ、一方で頑張り過ぎてしまい、あの作品の軽さというか言葉遊びの部分が若干犠牲になってしまった気も…。関西弁でないというのがそもそもディスアドバンテージになってしまっているのかもしれません。たとえば演劇学校の卒業公演であるならば、「本当によく出来たよね」とほめてあげたい出来だったのですが、そうではなくて何かを訴えたい・楽しませたいというのであれば、もうちょっと遊びが無いと楽しめないのかなとも思います。ちなみに舞台美術は、オーソドックスに新聞配達店を作っており、何回もある転換は若干飽きがきたりもしたのですが、これも大変できが良かったです。こういう有名作品をするのは、その分、劇団なり演出家なりの独自性を求められるので、なかなか難しいのかなとも思いました。そのなかでは、オーソドックスな作りになっているという気も。
 ちなみに、お話の内容から私が感じたのは「理由のない行動は危険性をはらんでいるが、実際には人は理由もなく行動を行っている。ただ、あくまでも結果は行動で、理由は結果についてくる」といった、ちょっと哲学的なものでした。こんな気分になる演劇も時にはいいかなと、最近明快単純なものばかり見ている自分を多少反省したのでした。(2010/4/25)

短い1日、長い1年
 実は、明日から38歳、名実ともにアラフォーの仲間入りです。
 しかしまあ、37歳の1年間はなかなか充実しており、長い1年間でした。年をとればとるほど1年が短くなるなどと言いますが、昨年度は新しい人との出会いや新しい物事との出会いが多く、決して短いとは思いませんでした。「舞台技術学校日誌」などを読み返してみても、「あれからまだたったの1年しかたっていないのか」ということが多いです。とはいえ、暇を持て余しているわけでもなく、毎日も有意義に過ごしているのです。こんな状況が、実は最も幸せなのかもしれませんね。
 今年1年がどんな年になるのか分かりません。去年ほどには激動の1年にならない気も。とはいえ、移り替わるもの、移りゆくものはさまざまにあるはず。その趣を楽しみつつ、公私ともども、去年以上に有意義な1年にしたいと考えています。
 明日はいよいよ舞台技術学校の初授業。38歳での舞台技術学校の日常が始まります。(2010/4/27)

明後日の晩は上海なのですが…
 いよいよ明後日、5月1日から上海万博開幕。私も指定日入場券(5/2と5/3)を持って行ってきます。
 ところが、どうも準備が進みません。実は今回、自分の海外旅行史上始めての「同一都市再訪問」。どんな町かある程度の土地勘があります。コンビニなどのお店も多く利便性が高いのも知っているし、地下鉄も非常に乗りやすいし、距離自体も大阪からは2時間半で札幌より近いし、同一ホテルに5連泊のため荷物移動にからむ悩みも少ないし、明らかに気分が日常モードのままなのです。逆に危険です。なんやかんや言いつつも、文化も風習も言葉も違う海外ですから、そろそろ気を引き締めなければいけません。
 海外の万博は実は初めてです。どこまで楽しめるのか、中国人がちゃんと行列を作るのか、食事は食べることができるのか、中国館やテーマ館を1度は見れるのかなど、不安なこともいっぱいあります。まあ、そんなことも含めて、海外旅行ならではの新しい経験なんですけどね。
 ということで、若干気軽に、ただ気を引き締めるとことは引き締めて、上海万博に行ってきます!また、報告しますね。(2010/4/29)

5月1日(土)〜6日(木)は上海旅行(上海万博訪問)のため、更新がありません。次回更新は、7日(金)以降の予定です。

いまは夢みよう まだまだ夢みよう(上海万博感想1)
 上海万博から帰ってきました。5月2日に初入場し、あまりの人の多さと会場の広さにびっくり。上海にいる全部の期間万博に行かないと、とても全体像はつかめないと決心し、結局、5月2日から6日までの5日間万博に通いました。意外と入場者数が伸びなかったのもあって、中国館・日本館などの人気パビリオンをはじめ、ほぼ全体をまんべんなく見ることができたのではないかと思います。
 個別のパビリオンの感想などはまたまとめますが、全体としての感想は「この国には夢があるなあ」ということ。あるパビリオンでは、2030年の社会を想定した映画を流していました。その中で繰り広げられた2030年の上海の姿というのは、空中を車が飛びまわったり、変幻自在に形の変わる楽器があったり、何もない空間に突然モニターが現れたりと、夢色・薔薇色の未来でした。昨今の日本人から見ると荒唐無稽で、子ども向きでもなかなかあそこまでは作らないかなと思います。
 ただ、20年前の中国の状況からみると、今、2010年の中国・上海の姿はまさに夢物語。こうして夢が実現してしまった以上、次の20年も同様に発展していくという確信を持つのは、良く分かる気もします。中国には格差の問題もあるし、先進国との所得水準の差もあるし、政治的な問題も多いけど、世の中は確実にいい方向に向かっている。そんな中国の人々の夢と希望と確信がしっかりと感じられたのです。
 日本は物質的には豊かな国となりましたが、子ども達からは将来に対する具体的な夢が無くなり、若者には仕事がなく次の生活への展望が見えず、老人は社会から見捨てられることを恐れています。日本にもまだまだ解決しなければいけない問題はたくさんあります。「もう夢見るのはいいや」とうそぶくのではなく、「まだまだ社会は発展できる。夢を実現しよう」と、一人ひとりが努力していく姿勢が日本の社会にも求められているのではないか。改めてそんなことを考えました。
 これからも夢の実現のために、がんばれ中国!そして、日本もまだまだ負けないぞ!(2010/5/7)

志願者格差(上海万博感想2)
 上海万博には数多くのボランティアさんがいました。ボランティアは中国語で「志願者」。なんとなく硬いイメージがありますが、事実、上海万博のボランティアになるにはかなりのセレクションがなされているようです。
 それを一番感じたのが、中国国家館のボランティア。制服も立ち姿もきちっとしているだけでなく、女の子は可愛く、男の子はかっこいい。説明もさっぱりかつ適切な雰囲気で、日本人と分かると英語で話しかけてくれる。で、よくよく見ると、胸には「復旦大学」「上海交通大学」など超難関大学のバッチが。さらに国章入りのバッチをつけている人も。ボランティアであっても、エリートさんなのです。その後、気をつけて見ていくと、中国国家館の次が、テーマ館や会場内案内所のボランティア、各国パビリオン、企業パビリオン、入口、会場内、会場外案内所、会場外の交通整理…と、ボランティア間で、制服も役割も明確な格差があるようでした。
 ちょっとネットを調べてみると、ボランティア活動の階級式管理モデルなんて言葉も出てきて、階級闘争を国是とする国家としてちょっとどうなのかという気がしなくもありません。もちろん、良くも悪くも大量の人間を裁くにはそれなりの権限と役割の分担、差別化を図らなくてはいけないのも事実なのですが、さてここまであからさまにするのが良いのかどうか、日本人の感覚からは多少疑問に感じます。まあ、エリートがエリートとしての自覚と覚悟(とそれなりの報酬)を持つことが難しい日本という国も、ある意味、問題なんですけどね。
 しかし、あくまで個人的な感想ですが、20代前半の頭のいい女の子って、ああも「私って頭がいいのよ」という独特のオーラを出しているんでしょうねぇ。そのあたりは日本も中国も変わりません。まあ、彼女たちがそうやって生きていかざるを得ない何かがあるのかもしれませんが…。(2010/5/9)

最後はやっぱり(上海万博感想3)
 私の万博通いは「筑波科学万博(1985)」からなのですが、最も感動したのが全天周型立体映像だった富士通の「ザ・ユニバース」。赤青のメガネをかけての白黒映像だったのですが、特にDNAの分子レベルから染色体、細胞、人体へとつながっていくシーンは「本で読んでいたのは、なるほどこういうことだったのか」と心から納得できました。今でも音楽と共にあのシーンを思い出せます。もう一方で良かったのが、「燦鳥館(サントリー館)」。巨大なスクリーンを使って、渡り鳥の1年間を鳥の目で追っていました。美しい音楽と美しい映像がとても印象的でした。富士通館とサントリー館が、私の筑波科学万博の中で2大パビリオンだったのです。
 その後、花の万博(1990)、愛知万博(2005)と、この立体映像(全天周映像)・巨大映像の流れが続いてきた気がします。立体映像(全天周映像)としては、「ザ・ユニバースU(花博・富士通)」「三菱未来館(花博)」→「地球の部屋(愛知・長久手日本館)」、巨大映像としては、「日立グループ館(花博)」→「ブルーホール(愛知・ソニー)」「オレンジホール(愛知・NHK)」と言った流れです。
 今回の上海万博(2010)でもその流れは続いており、立体映像、全天周映像、巨大映像は花盛りでした。ただ、映画館で普通に3D映画が見れる時代、多少画面が飛び出るぐらいでは誰もびっくりしてくれないので、突然雨を降らせてみたり、椅子自体が連動して動くようになっていたりと、いろいろと工夫を凝らしていました。
 その中で意外に多かったのが「映像と人間のコラボレーション」。映像の中に出てきた機材や人が、スクリーンが上がると実際にそこにいて演技をしたりダンスをしたりする。このパターンが結構多かったのです(大韓民国館や日本政府館、上海館、上汽集団−GM館など)。やはり映像と違って、生身の人間というのはそれだけで人を引き付ける何かがあるのです。
 この「生身の人間を出す」という流れ、実は愛知万博でも会期中に3千回近い公演を行った「瀬戸日本館」や「長久手愛知県館」などがありました。いくら映像にリアリティや迫力が増しても、最後に最も印象的なのはやはり生身の人による演技なのかなと、改めて感じたのでありました。(2010/5/11)

一つの成功事例
 本日、5年ぶりの免許更新に行ってきました。最近は全然車に乗っていないので、当然ゴールド免許です。
 平成4年から何度か更新しているのですが、実は更新場所が毎回違います。思い出してみると、7年:旧筑波警察署(現在のつくば北警察署)→12年:旧豊岡警察署(現在の豊岡南警察署)→15年:明石更新センター→20年:神戸更新センターといった具合です。これ以外にも住所変更などで大塚警察署、加古川警察署、東灘警察署などに行った記憶があります。4月28日誕生日ということでいつも年度終わり・年度始まりの忙しい時期に当たりなかなか大変です。
 今回は優良講習と言うことで、全部合わせても1時間ぐらいでさくっと終わりました。講習も20分ぐらいのビデオを見てから、交通事故の現状や免許種別の変更などについてのお話。そこで知ったのですが、いつの間にか交通事故死者数は最も多かった時期の4分の1程度(約4千人)にまで落ち込んでいるとのこと。シートベルトやエアバック、衝撃吸収ボディの開発や、救急医療体制の整備、信号や歩道整備などの交通安全施設の充実、そして飲酒運転や危険運転に対する厳罰化など、様々な方面からの総合的な対策が功を奏した希有な政策事例という気もします。現在交通事故が急増している中国やインドなどの発展途上国にも応用可能な、日本の成功例の一つに数えられるでしょう。
 マスコミなどは社会問題に対して、口やかましく言い立てる傾向があります。しかし、その問題がどうなったのか、どう解決されたのかということについては、報道が非常に少ない気がします。もちろん、社会に警鐘を鳴らすのがマスコミの大きな役割ではあるのですが、問題を解決に向かわせた方法や人々の強い思いにスポットをあて、多くの国民・住民に対して希望を持たせることもまた、マスコミの重要な役割ではないかなと思ったりもするのです。(2010/5/13)

176分の1
 あっというまに終わった優良講習ですが、最後に講師の方がこんな話をしていました。
 「以前、講習の際に、途中からずっと泣き出してしまった若い女性がいました。淡々と交通事故の状況などを説明しただけだったのに何でなのか、もしかしたら何か問題がある発言をしてしまったのかと思い、講習の終了後に尋ねてみたところ、その人は子どもを交通事故でなくし、当時のことをつい思い出してしまったとのこと。昨年度の県内での交通事故死者数は176人で、一番多かった時期の4分の1になったとはいえ、176人のひとり一人にはそれぞれ悲しんだ人が必ずいたはず。絶対に事故は起こさないようにしてくださいね」とのことでした。
 「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」という有名な言葉がありますが、確かに統計の数というのは現実を忘れさせがちです。いくら数が減っても、いまだに交通事故で貴重な人命が失われているという事実には変わりがありません。私たちは現実を見つめるとき、数字の奥にあるそれぞれの物語を注意深く見なくてはなりません。
 ただ、それと同時に、大きな社会というのはあくまでも統計で作業をせざるを得ない、ひとり一人の物語に気を取られすぎていては政治にせよ行政にせよ成り立たないというのも、また事実です。“戦争”などというのはその最たる例ですが、そういう意味で、政治家や行政マンというのは罪深いところがあります。そして、その罪はおそらく、いくら人類が精神的にも技術的にも進歩しても、人間が社会を形成している以上、将来にわたって決して解消されることがないのでしょう。
 気休めかもしれないけれど、統計の世界の裏には一つ一つの物語があることだけは、いつまでも忘れたくないなと思っています。(2010/5/15)

語学、語学、語学
 実際の私を知っている人はご存知かと思いますが、私は語学(英語)と体育が大の苦手です。どちらも理屈ではない世界なので、おそらくダメなのでしょう。英語は学生時代も社会人になってからも私のウィークポイントで、海外旅行でもかなり苦労します。スペイン旅行の時はコロンビア人に「そんな英語力でよく一人でスペインまで来たね」と言われましたし、韓国人には「なぜ日本人は何でも優秀なのに、英語はダメなのか。教育のせいか」などと言われたりしました。皆さん、なかなかにダイレクトです…(泣)。
 ところで、今のうちの職場、英語がベラベラの人がたくさんいます。それもアメリカの大学院で勉強していただの、シンガポールに駐在員として数年住んでいただの、一筋縄ではいかない英語の喋り手さんたちなのです。ところが、うちの課の仕事(新産業創造)で英語を使う機会というのはほとんどありません。語学力というのはあっても、それだけでは仕事にならないという一つの例ともいえます。
 私の知っている例でも、外国語がペラペラであるにも関わらず、それが全く就職に結び付かない子がいます。語学に+αがないと仕事にするのは難しい。語学を習得するだけでもすごい労力がいるのに、更に別のことも憶えないと就職すらおぼつかないというのは、本当に大変だと思います。ということで、最近わたしは、「やっぱり語学なんて苦労するだけ」と思い始めていました。
 ところが、たまたま上海万博で日本語の上手な中国人の子と話す機会があったのですが、これが実に面白い。全く違ったバックグランドを持った2人が、特定の言葉というものを媒介にして、経験を共有できる。ほんの小さな、短い時間の出来事だったのですが、「語学っておもしろいかも」とちょっと思ってしまいました。
 英語を除くと、ある程度素地があるのは韓国語とスペイン語。2012年の麗水万博(韓国)に向けてちょっとだけ勉強し直してみようかな…。(2010/5/17)

日常を生きる幸せ(ピッコロ劇団「ワーニャ伯父さん!」感想)
 しばらく前になりますが、ピッコロ劇団の「ワーニャ伯父さん!」を見ましたので、忘れる前にその感想でも。
 このお話、「ワーニャ伯父さん」というタイトルからいってもヒロインはソーニャだと思うのですが、ソーニャ役の広瀬さんがどこか切ない、非常に素敵な演技を見せてくれていました。革命前のロシアという、今とは全く違う時代、違う場所のお話なんですが、彼女はごく自然にその舞台の中に生きていて、全く違和感がないのです。ワーニャ伯父さん役もエレーナ役もよかったのですが、このお話、そして今回の舞台では、やはりソーニャが最も活きていた(生きていた)と思います。
 それを支えるのが、やはり目の行くスタッフワーク。まずは美術。立ち木をイメージしたであろう周囲のジョーゼットのような布は(見る場所にもよるのでしょうが)思ったような効果が出なかった気も。質感がダイレクトに伝わってしまう中ホールだからかもしれません。逆に、「見せる転換」を最大限に生かした、あの木製タンス・窓のセットは、中ホールで生き生きと息づいていました。そして、良かったのが照明。実に細かく、場面に応じて明かりを作っていました。単調になりがちな洋物だからこそ照明が生きる。そんなことも感じたのです。
 さて、この作品、去年の今頃初めて読んだのですが、感想を「学校日誌(5/20)」に書いています。『ワーニャ伯父さんは「40過ぎても恋愛も結婚できない独身男性が何を生きがいにして生きていくべきか」と書けば、まさに現代的なテーマになりうるなあと思ったり。神なき国日本でどういう結論にするのかは難しいが…。』
 今回の演劇では、「社会も世間もいろいろと流転するけれども、自分に与えられた日常をしっかりと生きていくことが生き甲斐であり、救いである」というような結論であったように思えます。ある意味、非常に日本的な世界に持って行ったなあと。私たちはついつい血沸き肉躍るような刺激を求めがちです。でも、幸せというのは、もうちょっと違うところにあるのかもしれません。それが分かるのは、日常を乱された時(エレーナやアーストロフや教授の登場)だというのも、逆説的ですが、理解はできるのです。
 とはいえ、演劇なんていう過激、劇的なものに興味を持っている時点で、そういうささやかな幸せには縁遠い気がしなくもないのですけどね(笑)。(2010/5/19)

気軽な役人仕事の厳しい仕事
 私の但馬県民局勤務時代の仕事に一つに「花火の検査」というものがありました。花火打ち上げ当日に現場に行って、届け出通りの管理体制になっているか、警備配置がなされているかを確認し、実際に安全に打ち上がるのを見て帰ってくるというものです。事前に打ち合わせをしていますし、主催者にとっては毎年恒例、業者さんも数少ないため皆慣れており、まず問題は発生しません。土日にあるというのがネックですが、綺麗な花火は楽しめるし、なんとなく町も祭りの雰囲気にあふれていて、なかなか楽しい仕事でした。
 とはいえ、この仕事、県が火薬類の使用許可を出す関係上、もし警備体制や風速などの条件を満たしていなければ、その場で中止を言い渡す必要があります。これまで何千万円を費やしていようが、何万人の人が心待ちにしていようが、数年前に県庁に入ったばかりの県の職員が「ダメ」と言えば打ち上げることはできないのです。非常に責任重大です。ある意味、最も行政らしい仕事ともいえ、私がその後公務員生活を送っていく中でも非常に貴重な経験になりました。
 さて、宮崎の口蹄疫ですが、健康な家畜をどこまで殺処分するのかについて、国と宮崎県の間でいろいろとあったようです。私自身、正直なところ、何が拡大を防げなかった要因なのか、確証は全くありません。ただ、こういう本来行政が強制的な権限を発揮しなければいけない場面で、それを発動することが近年非常に難しくなっているということは感じずにはいられないのです。人々が権利意識に目覚めたのは良かったのですが、社会を守るためには時には個人の権利も制限されうるということまでは理解されていない。そんな気がします。
 一方、行政のトップが、この緊急時に際して、「人の財産権を侵すことは慎重に」などといっているようでは、本当に行政の厳しさを分かっているのかと残念ながら言わざるを得ません。個々人の財産権を侵してでも守らなければならない安全や産業、そして地域社会もあるはず。個人的には、国民一人一人に優しい国・日本が大好きなのですが、時にはそれを超えた判断も必ず必要だと思います。もし、この国の政治家や為政者、そしてこの国の社会が、その厳しい決断や批判に耐えられないようになっていたとしたら…それはやはり、何かが後ろ向きに進みつつあると判断せざるを得ない気もするのです。(2010/5/21)

輪切りの家(南河内万歳一座「びっくり仰天街」感想1)
 阪神・淡路大震災の時、私は筑波大学の4年生。大学院受験などもあったので、神戸に戻ってきたのは震災から1ヶ月経ってからでした。とはいえ、まだまだ手つかずのところが多く、壊れたままの家や傾いたままのビルがたくさんありました。
 その中でもっとも印象的だったのが、ある商店街の中の1軒の家。どうしてそうなったのか、家の片方だけが完全に壊れ、もう一方は無傷。まるで建築模型か舞台セットかのように、部屋の中が丸見えになっていたのです。部屋干しされたままの洗濯物、積み上がった布団、散乱する本や雑誌、動き続けている時計、そして1月のままのカレンダー。日常生活がそのまま止まっていました。部屋に住んでいた人は無事だったのでしょうか。どこにいたのでしょうか。震災ではもっと悲惨な現場はたくさんあったのですが、一番心の中に何かを残した光景でした。
 さて、今回の南河内万歳一座。様々なテーマが内包された作品だったと思うのですが、大きなテーマの一つが「日常生活のグロテスクさ」であった気がします。日常生活は日常行っていることだけに、それがどういうものか、深く考えることはありません。というか、そうでないと生きていけません。しかし、実はあなたの日常生活と私の日常生活は全く違うものなのかもしれない。あらためて私から見れば、あなたの日常生活は「びっくり仰天」なものの可能性が、実は非常に高いのです。笑いというオブラートに包みつつ、最も日常生活として行われる行為であるにもかかわらず、最も他人の日常生活を除く機会がない「排泄」というものを取り上げたのは、なかなか示唆的であると思います。
 震災の時の、輪切りになった家を見たときの違和感。それは、普段決して他人に見せることのない「内臓」である日常生活を垣間見てしまった、あるいは垣間見せるしかなかったことに対する、違和感であったのかもしれません。(2010/5/23)

最後はてんこ盛り?(南河内万歳一座「びっくり仰天街」感想2)
 前回は特定テーマについて感想を述べましたので、今回は全体について。
 個人的には結構面白かったのですよ。ただ、これが大勢の方に受ける話かというと結構しんどい気がします。1時間半の公演だったそうですが、終わった後2時間半ものを見ていたような気分になりました。かなり重い疲労感を感じたのです。
 そこで、ホームページの話題作りとして理由をつらつら考えてみると(笑)、いかんせん、しんどい話をてんこ盛りにしすぎているのではないかと。「お葬式を悲しめない話」とか「日常生活のグロテスクさ」とか「裸足で地面を感じる話」とか「何が出口で何が入口なのか」とか、一つ一つでも十分一つの脚本になりそうなテーマなのに、それをそのまま、丼に詰め込んで供されてしまった感があるのです。前作の「似世物小屋」は決してそんなことはなかったのですが…。今年の秋から1年間の休団に入るということで、今のうちに言いたいことを全て言っておきたいというのがあったのかもしれません。
 作品がテーマ性にあふれているからか、美術も照明も音響も、どうしても抑え気味。全体として、元気だし騒がしいし群衆で動くし大階段は登場するし床から人が出てきたりするにもかかわらず、どこかおとなしい、厳粛な「会話劇」の雰囲気すら見えます。演劇にはメッセージ性が求められる一方で、エンターテイメント性も重要な側面だと思うのですが、今回の南河内は明らかに前者重視の作品であろうと。このあたり、賛否両論の感想が、現にネット上でも見うけられます。
 とはいえ、役者もスタッフワークも超一流ですから、個別には非常にいいシーンや共感できる場面が多いです。観客みんなが評論家になる必要はないので、そんな場面を探しに、舞台を見に行くというのもいいかもしれません。それもまた、一つの観劇スタイルかもしれないのです。(2010/5/25)

敗者の美酒
 先日、ある友人から「気にいると思うよー」とあるバーを紹介していただきました。職場から近い場所にあるのでということでしたが、神戸にはいいバーが結構あるので、さてどうやらと思い行ってみたのですが、派手すぎず地味すぎず、とてもいい雰囲気。1杯目は普通のカクテルをお願いしたのですが、これもなかなかいい感じだったので、「これは」と思いウィスキーを頼んでみました。
 「癖があるけれどもハマる人はハマりますよ」といって出してくれた1杯のウィスキー。一口飲んだところ、今まで飲んだウィスキーとは全然違います。確かに香りというよりも匂いがあるし、爽やかというよりはべたっとした飲み口。しかし、しばらく経つとほんのりと柔らかな風味が広がるのです。これまでウィスキー自体をおいしいと思ったことは数えるほどだったのですが、これはおいしかった。あとでネットで調べてみたところ、ラガヴーリンという銘柄のようです。「一度口にしたら…『病み付きになる』か『二度と口にしなくなる』か…のどちらかでしょう(笑)」と書いてありましたが、私は正直、病みつきになってしまいそうです。
 このあと、マッカランの18年も出して頂いたのですが、深みは感じるもののやはり正統派。シングルモルトのロールスロイスといわれるだけはあり、これも十分おいしかったのですが、やはりラガヴーリンの強烈な印象にはかないません。マッカランが風を切って歩く正統派のエリートとすれば、ラガヴーリンはちょっと道を外れた個性派の人生を歩いている人。毀誉褒貶が著しいけれど、それすら楽しんでいる感じがします。そのあたりも、今の自分に合っているのかもしれません。
 昔はウィスキーを美味しいと思うことが少なかったのですが、最近、その良さが分かってきた気がします。やはり、年月を重ねることにより分かるお酒というのはあるのでしょう。今回飲んだのはラガヴーリンの16年もの。16年前、大学院・研究者の道をひたすら目指していた自分には、このお酒との出会いは、ちょっと想像できなかったのです。(2010/5/27)

Amazonの箱々(イキウメ「プランクトンの踊り場」感想)
 私の周囲には良くも悪くもネットにどっぷりの生活を送っておられる方が多いのですが、そういうお宅の必需品が「Amazonの段ボール箱」。手ごろな大きさなので、ついつい捨てずに取っておいてしまうのです。当然、かく言う私の家の本棚の上にも、曲がった矢印のマークの箱がいくつもいくつも積んであります。
 今日見たイキウメの舞台では、なんと小道具としてこのアマゾンの箱が出てきました。それもニートのお兄さんのものとして(笑)。しかし、単に笑いを取るだけでなく、実は「記憶と情報」というテーマの伏線ともなっているのです。
 今回はドッペルゲンガーを取り上げたSFモノ。次々に謎が解かれていく一連の流れは、一種の推理物を見ているよう。爽快です。役者さんの動きもスムーズであったりコミカルであったりで、笑えるシーンもたくさんあります。簡にして要を得た舞台装置も印象的で、細かく変化する照明や、控えめだけど主張すべきは主張する音響も、見事な統一感を持っています。エンターテイメントとして十分に上質です。そして、その奥に「自分の知っているあなたと自分の知らないあなた」の話や、「記憶と情報の違い」の話などを、さりげなく散りばめて提示していきます。前川知大氏は哲学科の卒業ということなので、やはりそういったことも関係しているのかもしれません。これを4千円程度で見れるというのはかなりお得感高いなと。
 確かに、どんな情報であったとしても、人間が生物である以上、それを何の感情も絡ませずに情報として記憶することはないんですよね。良くも悪くも、感情なり意味づけなりのレッテルを貼って記憶していくのです。アマゾンの箱の一つ一つは単なる箱で、中に入っているものは単なる文字情報や映像情報だけど、受け取る人は必ず何らかの期待や希望を必ず持っているし、それを実際に読んだり見たりしていくときには必ず何らかの感情が付与されて、記憶していくのです。
 今日も、市川の倉庫から全国各地に向けて、様々な思いを乗せてアマゾンの箱々が発送されています。もしかしたら、その思いの一部がどこかで滞留して、「踊り場」を作っているかもしれません…。ほら、すぐそばに…。(2010/5/29)

去年と同じ感想と去年とちょっと違う感想と
 昨日はピッコロ舞台技術学校の遠足(校外学習)でした。今回は6人一組でチーム編成。女性5人+私1名という組だったのですが、知っている人も多く、全く違和感を感じないほどに溶け込ませていただきました。これもある意味、ピッコロで1年間、男女関係なくわいわいとやってきた成果といえます。去年だったら緊張してしまって、なじめなかったかも(笑)。
 その後はいつもの居酒屋で飲み会。また、色んな人といろんなお話をさせていただきました。今年の同級生、特に技術学校に関しては、想像どおり様々なバックグラウンドを抱えた人が多いようです。プロとしてやっていた人も…。まあ、去年とはだいぶ違いますが、それぞれの経験を生かした作品を一緒に作り上げていけそうで、それはそれでとても楽しみです。
 去年の「舞台技術学校日誌」で私はこう書いています。『本科や研究科の人を知って何かいいことがあるのかなと思いつつも、知らない人生との出会い、それ自体が生きていることの証であり、楽しみでもある。というか、演劇自体が、自分以外の知らない人生との出会いという気もする。「人を愛するということは/知らない人生を/知るということだ」(灰谷健次郎)』。今年もほぼ同じ感想でした。ただ、本科や研究科の人を知っておくことがどんなに大切かということは、当時と違って十分理解しています。そのあたりはやはり2年目なのかもしれません。
 明日からはいよいよ6月。遠足も終わり、ピッコロも本格的に始動。7月上旬の舞台操作実習、下旬のクラシックコンサート実習に向けて、授業も密度を増していきます。新しい仲間と一緒に、気持ちだけはいつまでも新鮮に、また新しいことに取り組んでいきたいなと、思いを新たにしました。(2010/5/31)

長女ですね、分かります。
 さて、ピッコロの遠足ですが、先生企画ということで「トラストウォーク」なるゲーム(?)をやりました。2人でペアになり、一方の人が目をつぶり、もう一方の人が誘導していくというものです。時間はそれぞれ15分間。普段目をつぶっていると感じない日向の明るさや日陰の暗さを感じたり、足の裏の感覚が鋭敏になったり、世の中って意外とちゃんと認識していなかったんだなということが良く理解できます。また、ペアになった相手とは基本的に無言なのですが、たとえ無言であったとしても、手の握り具合やちょっとした動きなどにより、実に多くの情報のやり取りができるということも、また認識させられるゲームです。
 私とペアになったのは、ある本科の女の子。最初は彼女が目をつぶる役だったのですが、とても怖がっていることが手から伝わってきました。なので、大きく動かず、なるべく近場で。また動く場所の情報も極力分かるように、心掛けました。そうすると、途中からはかなり楽しんでいた模様。一方、彼女の方は大胆に私を遠くまで連れ出してくれました。自分自身の15分間の経験と、私がまったく怖がっていないのが伝わったのかもしれません。
 で、その後の飲み会で彼女と話したのですが、実にしっかりとした考えと仕事を持った人だったのです。なんとなく引っかかる…。で、途中で「もしや」と思い、つい聞いてしまいました。「もしかして、長女ですか?」と。その通りだったそうで、「占い?」と聞かれましたが、あくまでも心理学的・経験則的な状況証拠の積み重ね。若干夢見がちで、でも新しいことには臆病な一方、これと決めたらしっかりしていて、一定の決められた範囲内で存分に自分を発揮する。長女にはそういうタイプが実に多いような気がします。
 どうも、私と仲の良い女性の友人は、「長女」か「一人っ子」が多い気も…。どこか共通点があるのかもしれません。ただ、結婚した相手は「3人姉妹の一番下」だったわけで、そこから何か間違っていたのかもしれませんなぁ…。(2010/6/1)

我去聽 台灣的心跳聲
 きょうはもともと飲み会が入っていたのですが、事情で急きょ中止。ということで、家でのんびりと上海万博関連のページなど見ていました。と、そこで見つけたのが台湾館のテーマソング。ニコニコ動画のコメントを見てみると、「不覚にも泣いた」とか書いてあります。まさかテーマソングでねぇ〜と思いつつ見たのですが…本当に良かった。正直、泣けます。美しい歌にあわせて台湾の様々な光景が次々に流れていくのですが、中国語が分からなくても雰囲気と漢字で何を訴えているのか、実に良く分かるのです。
 中国も本当に楽しかったのですが、いろんなところで感覚が大陸的というか、だいぶ日本人とは違うなあと思うことがありました。まあ、それが外国旅行の醍醐味でもあります。ところが、このPVを見る限り、台湾の人というのはだいぶ日本人と近い感性を持っているような気がするのです。特に、お線香から一本の希望を取り出してみたり、一杯の豆乳から爽やかだけどどこか暖かい「故郷」を導くところなど、実に日本人的な美的感覚。うーんといった感じです。あるブログに、「こういう感性を持っている人たちと同じ土地で、同じ空気を吸えることに幸せを感じています。」とありましたが、その感覚は実によく分かります。(ちなみに、実に秀逸な日本語訳もあります。英訳もあるので、参考になります。)
 私はこれまで台湾に行ったことがありません。近場だし、職場旅行とかで行く機会もあるだろうし、思い立ったらいつでも行けると思ってほっておいた部分もあります。しかし、この国(地域)は絶対早めに行っておくべき所なのではないかとの思いを強くしました。おりしも、今年の秋から来年の春にかけて、台北で2010年台北国際花卉博覧会(台北花博)が開催されます。上海万博と台北花博がどう違うのか、中国人と台湾人がどう違うのかも含めて、見に行くのも楽しそうで有意義そうです。今年度下半期の旅行計画は台湾で決まりました。
 龍山寺の古壁に触れて、一杯の永和豆乳を飲んで。台湾の鼓動と感性を受け止めに。台北花博への道が始まりました。(2010/6/3)

素舞台と道具の威力(ピッコロ劇団「あまに唄えば」感想1)
 ※なるべくネタばれしないように書いたので、後日修正するかもしれません。
 演劇における舞台美術家は作品のテーマを具体的な形として表さざるをえないがゆえに、時として脚本家や演出家が考えていた以上の意義や意味を台本から取り出してしまう。今回の「あまに唄えば」で、改めてそんな事を思いました。
 スタートは黒一色の素舞台。ただし、花道部分だけは木目のままとなっており、手前と奥とが明らかに違う場であることを暗示しています。そして、観客が明確に気づくように降ろされる紗幕。いかにもセットでござーいと出てくる奄美料理店一式。両脇を袖幕で隠すこともなく、俳優がセットに乗り降りするところまで実によく見えます。むしろ見せます。その後も、風俗店内外や鉄工所経営者夫婦の家など、「これはセットです」ということを意識した道具と転換と演技が続くのです。
 芝居であることを強調する一種の「けれん」かなと思いかけたとき…全てのセットが舞台上から消えて、素舞台へ。さらに小さいけれど存在感のある数個の道具だけが並びます。そして、舞台から客席側に移ってきた主人公の女の子のセリフで、模型のような、おもちゃのようなセットが、実は彼女の心象風景とオーバーラップしていることに気付くのです。
 儚くないのは、素舞台で象徴される奄美の海だけかもしれません。ただ、一見儚く見える尼崎の街、いつ辞めても問題ない奄美料理店も、人々の思いが渦巻く風俗店も、家族が暮らす家も、そして上演されたこのピッコロシアター大ホールも、またみんなが何かを分け合い、分け前をもらう大切な場所なのでしょう。そんなことを道具を使うことと使わないことで表現できる舞台美術。改めてその威力を思い知った気がします。[参考:舞台美術家は池田ともゆき氏です。](2010/6/5)

小市民、ファーストクラスに乗る
 先日、東京に出張した際にJALのファーストクラスを使ってみました。国内線初のファーストクラスということで、一度乗ってみたかったのですがなかなか乗る機会がなかったのです。今回は旅が続いたこともあり、奮発してみたのです。
 まずチェックインからして違います。荷物を預けたのですが、普通のカウンターで預けたところ「ファーストクラスの方は別の受付場所があるのに、申し訳ございません」と、向こうが何も悪くないのに謝られます。ラウンジを使用する際も、「ファーストクラスをご利用いただきありがとうございます」。飛行機に乗れば、「いそべ様、本日はご登場いただきありがとうございます。私はお世話させていただきます客室乗務員の○○と申します…」などと一人ずつあいさつに来られます。飛行機に乗るのも降りるのも最優先、預けた荷物も1番初めに出てきました。
 もちろん座席も非常に座り心地が良いし、出てきた分とく山のお食事も絶品でした。白ワインもちゃんとガラスボトルに入ったもの。新聞は新品。手が汚れるのでとおしぼりもついてきます。全てが高品質で、むちゃくちゃ良かったのです。飛行機から降りたくないほどでした。ですが…、普段から大切にされることに慣れていない人間にとっては、正直、ちょっとしんどかったかなと。常に見られているような気がして、なんだか落ち着かないのです。適度にほっておいてもらったほうが居心地がいいというのは、やっぱり庶民というか小市民なのでしょう。
 真の特権階級というのは、使用人に着替えのために裸にさせられても、あるいは排せつの世話をさせても全く恥ずかしくないものだ、という話をどこかで見聞きしたことがあります。なんとなく、分からないでもないです。そもそもプライベートとかプライバシーとかが存在すること自体、小市民ならではなのかもしれません。たった8,000円でそんなことを考えさせてくれるJALファーストクラス。特権階級気分を味わう一種のアトラクションとしてもお薦めです(おいおい)。(2010/6/7)

次、その次はあるのか。(ピッコロ劇団「あまに唄えば」感想2)
 今まさに千秋楽中ということで、もう広報上の支障はないので解禁ということで書きますが…関係者も多い中で申し訳ないのですが、今回の公演、正直、失敗だったと思います。スタッフワークは音響・照明・舞台とも素晴らしく、役者さんも決して悪くなくそこそこに楽しく、セリフにもシーンにもいいものがたくさんあったにもかかわらず、一つの作品として全く浮かび上がってきません。あえてさまざまな物語を平行して進めていく手法なのかと思いきや、ラストシーンは異常なまでに劇的に終わるわけで、終わった後、頭の中が整理しきれないのです。
 もしかすると私では掴みきれない深遠なテーマが隠されているのかと思い、久しぶりにネットで感想を探索。ネット上にはがあったのですが、役者がいい、あるいは何故か感動したという意見はあるものの、作品のテーマや訴えたかったことに対する感想を書いたものがほとんど見当たりません。自分的には安心ですが、これじゃいかんだろうと。「分かる人だけ分かればいい」という芝居もあってよいのですが、パンフレットに「地元の人たちが次もその次も見たい劇団」と謳い、そういう演劇を本気で志向したのだとすれば、本当に大失敗です。
 特に残念だったのが、ピッコロとしてはほぼ初めて「震災」を扱ったにも関わらず、その取り上げ方が中途半端であったこと。ピッコロ劇団は良くも悪くも震災と縁の深い劇団であったはず。だからこそ、逆にこれまで10周年であろうが15周年であろうが、県立劇団であるにもかかわらず震災を取り上げてこなかったし、「震災と面と向かった取り上げ方はしない」と言ってきたはず。代表が変わったので考え方が変わっても良いのですが、長い伝統(?)を打ち破って震災を取り上げるのであれば、もっともっと掘り下げないと兵庫県民としては納得できないのです。
 他にも色々とありますが、正直、いろんな人がいろんな事に気を遣いすぎて、一つにまとまらなかった気も。ただ逆に、色んなものに対する愛だけはしっかりと伝わってきたという点が、唯一「次」への希望なのかもしれません。(2010/6/9)
※謹告
 6月9日付の2日に1回日記で『ピッコロとしてはほぼ初めて「震災」を扱ったにも関わらず』と記載しましたが、震災10周年記念の「神戸 わが街」において震災を扱ったことがあるとのご指摘を受けました。台本も確認しましたが、確かに後半は震災の話でした。明らかに私の勘違いでしたので訂正します。(2010/6/13)

もし14年たったら、「最小不幸社会」は実現しているのだろうか
 先日、若干積極的意義の不明な政権交代があったのですが、そこで新首相から出た初めてのキータームが「最小不幸社会」でした。
 「私は、政治の役割というのは、国民が不幸になる要素、あるいは世界の人々が不幸になる要素をいかに少なくしていくのか、最小不幸の社会をつくることにあると考えております。勿論、大きな幸福を求めることが重要でありますが、それは、例えば恋愛とか、あるいは自分の好きな絵を描くとか、そういうところにはあまり政治が関与すべきではなくて、逆に貧困、あるいは戦争、そういったことをなくすることにこそ政治が力を尽くすべきだと、このように考えているからであります。」(首相官邸ホームページより)
 なんだか自分もそんなことを考えていたなあと思ってちょっと探してみたところ、ありました。1996年9月1日の日記、タイトルは「最小少数の最大不幸」。政治というのものは最大多数の最大幸福を求めるものであるため、時として一部の人に最大不幸を押し付ける危険性がある。それを是正するのは司法の役割ではないかといった内容です。最近、自分の中でそこまで司法の役割を重視していませんが、だいたい今も同じようなことは考えています。最大幸福を求めるのが常識という政治の流れの中で、国権の最高責任者が「最小不幸社会を目指す」と宣言したのは、ある意味大変興味深いことです。
 ただ、今日の所信表明演説には、この最小不幸社会の話がいっさい出てこなかったとのこと。所信表明演説は「現実路線」だそうで、最小不幸社会はどこまで行っても「理想主義」なのかもしれません。ただ理想だからこそ追い求めてほしい、少なくとも頭の片隅には置いておいてほしいと思わざるを得ません。
 ちなみに、ここで取り上げていた沖縄の基地に対する最高裁判決というのは、いわゆる代理署名判決です。その後、普天間基地の移転先が辺野古沖に決まり、一度覆って、また辺野古沖に戻っています。そして、例として挙げた「東京電力柏崎刈羽原子力発電所」は2007年の新潟県中越沖地震で大きな被害を受け、やっとぼちぼち再開し始めたところ…。1996年の日記から14年たっても、不幸を押し付けている図式はあんまり変わっていないようなのです。(2010/6/11)

機械に人間を感じる そんな日本人が大好きです
 公務員の良いところの一つが、特定の分野についてとても詳しくなれること。私のそういう分野の一つに「ロボット」があります。兵庫県は産業用ロボットの工場などが多く、ロボット産業が産業振興の方向性の一つとなっているのです。ロボットの研究者とお話したり、工場を見学させてもらったり、ロボット関係の講演会や展示会に参加したりしているうちに、かなりロボットに詳しくなってしまいました。
 ご存じのとおり、兵庫県内のみならず、日本は世界的に見ても有数のロボット先進国。上海万博においても、中国をはじめ世界各国がご自慢のロボットを展示していましたが、やはり日本館のロボットの精巧さは群を抜いていました。
 日本がロボット大国になった理由の一つとして、アニメの影響が良くあげられます。鉄腕アトムやドラえもん、鉄人28号などの影響で、日本ではロボットの印象が非常によく、人間と対決する機械というとらえ方がほとんどない。むしろ良き友人としての捉え方が強く、ロボット開発が進んだというものです。私は、それと同時に、日本人には機械を「擬人化」する心の作用をもともと持っている気がします。有名な話ですが、ある海外メーカーの方がある日本の工場を視察した時に驚いたのが、1台1台の産業用ロボットごとに名前があり、従業員がまるで子どもか家族のように丁寧に扱っていること。日本人には、様々な機械に人間と同じ心を感じ取る、アニミズム的な心象が残っているのかもしれません。それが、機械、ロボットに対する日本人の執着や愛情に繋がっているような気がします。
 本日、小惑星探査機「はやぶさ」が無事、地球に帰還しました。科学技術上も大きな快挙ですが、一部を中心にはやぶさを擬人化したり、「オカエリナサイ(イはさかさま)」と迎えるイベントがあったり、感動的な応援歌があったりと、宇宙飛行士の帰還を喜ぶかのようなお祭り騒ぎとなっています。特に大役を果たした時には燃え尽きるという一種の悲話的な状況が、日本人の心を揺さぶるようです。はやぶさというのはあくまでも単なる機械。でも、これを擬人化して構築された物語というのも、またそれなりに味わい深いもの。こういう擬人化の物語を作り上げる日本人は我ながら大好きだなあと思う、今日この頃なのでした。(2010/6/13)

玄関の向こう側とこっち側と(文学座「麦の穂の揺れる穂先に」感想)
 ピッコロシアターでやっていた文学座「麦の穂の揺れる穂先に」を鑑賞授業として見てきました。こういう自分ではなかなか行こうと思わないお芝居を、学校生ということでタダで見れるというのが、舞台技術学校の良いところです。
 で、感想としてはなかなか良かったなと。しみじみ、ほっこりとした劇後感(?)でした。あらすじを言うと、「母親が先に亡くなったため、父親と娘の2人で暮らしていたが、娘が結婚して家を出てしまい、お父さんはさみしくなってピアノを弾く」だけなのですが、使われている日本語が綺麗だし、役者さんのやり取りはとても上手だし、一人ひとりの性格もちゃんと伝わってくるし、安心して作品の世界に入っていけるのです。大上段に訴えたいことは提示もされませんが、日常の中にもさまざまなドラマがあるんだなあということを改めて実感させてくれた気がします。最近、ちょっと精神的にお疲れ気味だったので、いいリフレッシュになりました。
 舞台セットも、いかにも文学座と言った感じの多少洋風がかった日本民家。ただ、あえて華美な装飾などは少なくし、作品世界に入り込めるようになっているのかなとは思いました。あとは、作品中でも重要な役割を果たす「玄関」を、敢えて見えるように作らなかったのもカギなのかなと。玄関でどのようなやり取りが行われていたのか、それを感じさせるような芝居もありました。
 たしかに、玄関と言うのは家の外と内を分ける大きな大きな存在。これまで玄関で多くのお客さんを受け入れ、送り出してきたさきちゃん(娘)も、結婚後はあの玄関からお客さんとしてやってきます。たとえ、その時の言葉が「ただいま」であったとしても、やはり玄関の内側の人間ではないのです。誰もが通ってきた、通っていく道なのではありますが…。そんなことをセットとセリフから感じてしまった、出戻りでもあり、娘がいない訳でもない、38歳なのでした。(2010/6/15)

面白い検索キーワード第2段
 このホームページを置いてあるサーバーの情報で見てみると、最近、「上海万博」という検索キーワードから私のページに訪れる人が最も多い様子。ごめんなさい、基本的に「何でもあり」なので、上海万博の詳細情報がたくさんある訳でもないんですよ…。ということで、久しぶりに面白い検索キーワードを集めてみました。1人しか検索していないフレーズの中からピックアップ。
(公務員関係)
「公務員 田舎 楽しみ」 都道府県職員の楽しみの一つが、田舎生活ですよね。
「公務員浪人 あきらめて大学院」 公務員>>>大学院???。
「年齢 オーバー 公務員 不合格」 不満はあれど、規定は守りましょう。
「公務員試験 面接 笑い」 一応お固い職業なんですが。
「公務員と付き合う」 仲良く、してあげてね。
「公務員 共稼ぎ いくら入れる?」 仲良く、仲良く。
「稲美町と播磨町はどちらが住みよいか」 立場上、何も言えません(苦笑)。
(舞台関係)
「平台 作り方」 個人で作れるもの???買ったら8万〜10万円程度。
「ドライアイス スモーク 自作」 これは作れるようですが、湯沸かしなので注意。
「緊急停止ボタンによくつかわれるボタン」 技術学校日誌で引っかかった模様。
「鳥居 発泡スチロール 作り方」 実にピンポイントな検索ワードやなあ…誰??
「あまに唄えば 見た」 ご感想をお聞きしたいような、したくないような。
(上海万博関係)
「上海万博 トイレが不安です」 「世界最低のトイレ」も出展したら良かったのに。
「上海万博で出てくる高い食べ物」 チーズと小芋定食はないので、これで。
「中国館 絶対に見る方法」 中国人民に負けない強い心と忍耐力を持とう!
「日本産業館 アイドルマスター」 てってってー
(つくば関係)
「つくば マダムにお勧めの場所は?」 花水木
「筑波学園都市 ひぐらし」 嘘だっ!!!!
「とある筑波の陽電子砲」 これにピンと来てしまう38歳ってなんだろう…。
(その他)
「シングルモルト イソベ」 本当にお店があるんですな。これ買おうかな。
「一のべさとし」 だれでせう。
 まあ、今回は意外とまともでしたな(ちなみに前回)、ネタのない時、気分がいまいちの時にこのシリーズやりますね。(2010/6/17)

ブログじゃありません個人ホームページです
 学校はともかく、最近は職場でも「いそべっちのブログ見たよ」と言われることが良くあります。まあ、それはそれでなんなのですが、そもそも私のページ(このページ)はブログではありません。昔ながらの「個人ホームページ」です。最近は数が減った…というよりも、依然として残ってはいるのですが、ブログだのSNSだのTwitterだのに押されて、すっかり影が薄くなってしまいました。
 ブログも背景が変えられたりと多少はカスタマイズできますが、個人ホームページほどの自由度はなく、良くも悪くもこじんまりと収まってしまう感があります。昔はとんでもないページも多く愛生会病院などは抱腹絶倒したものでした。
 とはいえ、私自身、新しい個人からの発信方法としてブログやSNSやTwitterに興味がないわけでもなく、一応試してはいます。ただ、ブログは自由度がない&読み返しにくいのがどうも許せず、SNSは結構使ってますがいちいち足跡が付いたり付けられたりするのが性に合わず、Twitterはあの短文で流せるほど有益な情報も持ち合わせていないので、やはり使いにくいです。試してみることは必要なことかなと思っていますが(こんな記事もありました)、結局個人ホームページに戻ってきて今に至ると言った感じです。
 ちなみに、何でこんな記事を書いたかというと、「あの頃はTwitterが流行っていたけど、今は○○の時代ですよねー」とかいう日記を、数年後に書いてみたいからで、その伏線なわけです(笑)。傾向として、だんだん文章が短くなっていっている傾向があるので、今後は五・七・五とか、その時の気分(笑、泣、怒…)だけを発信などというものが流行っているかもしれませんな。(2010/6/19)

いま、この世界の片隅で(「この世界の片隅に」感想1)
 私がこうの史代作品に出合ったのは、ご多分にもれず田中麗奈の「夕凪の街 桜の国」宣伝ポスターから。その後、谷川史子さんのアシスタントをしていた話なども知って、結構読ませてもらっています。最新作の「この世界の片隅に」も素晴らしい作品だったので、ご紹介を。
 舞台は戦前・戦中・戦後にかけての広島・呉。それだけで原爆の話、戦争の話かとすぐに分かるかと思います。
 ただ、この作品がすごいのは単に戦争反対、平和賛成、さみしいだけ、悲しいだけの話になっていないこと。もちろん希望にあふれているわけでもなく、悲しいことも、そんな中でちょっぴり楽しいことも、次々に波のように襲ってきます。時代背景や地域の事情からその波は少し大きいのですが、どこまで行っても、今に続く延長線上で描いている「戦災もの」なのです。
 この作品で作者が描きたかったのは、戦争の悲惨さや戦時中の生活の厳しさではなく、どんな世界の片隅であっても、悩み傷付きながらも、しっかりと日常の生活を積み重ねて次の世代につなげていく、そんな人々の営みなのではないかと思うのです。だからこそ、主人公はあえておっとりのんびりした(大陸的な)性格として描かれ、彼女を取り巻く日常の生活が、何度も何度も繰り返し、詳細すぎるほど詳細に描かれるのでしょう。(このあたりに賛否両論があるのはよく分かります。ある意味「夕凪の街 桜の国」ほどの切れ味はないんですよね。だけど、こうしか描けなかったこともなんとなく理解できるのです。)
 おそらく、今この時も、さまざまな世界の片隅で、多くの愛おしいすずちゃんが何かに悲しんだり、何かに憤ったり、何かを期待したり、何かを楽しんだりしているのでしょう。戦争という一種の極限状態を舞台に、そんな愛情を、細やかに描き出したこうの史代。やはりタダものではないようです。(2010/6/21)

このお話はまだ終わっていません(「この世界の片隅に」感想2)
 「歴史にたらればはない」とよく言われます。「もし元寇が成功していたら」「もし明智光秀に織田信長が殺されていなかったら」「もし日露戦争で日本が負けていたら」など、考えるのは楽しいのですが、歴史は結果が全てのところがありますから、それ自体に全く意味はないということかと思います。
 こうの作品、特に「夕凪の街 桜の国」「この世界の片隅に」は原爆や空襲の話であったりするので、「もし…でなければ」と思うシーンが結構あります。ただ、本編では、あえてかそのような夢物語は描かれていません。ところが、サービス満点というか、単行本にしたときに「あり得なかった未来」を描いてくれるのです。
 例えば、「夕凪の街 桜の国」では、カバーにもなっている桜並木と原爆ドーム、主人公というのが時間的にありえないそうです。さらに、「目次」の半袖ワンピース&草鞋の主人公もあり得ない場面。こんな風に結構楽しませてくれます。
 ということで、「この世界の片隅に」でも期待していたのですが、ちゃんとやってくれました。下巻のカバー。一面に描かれたのびのびと両手を伸ばした、いかにも楽しそうな主人公。その周りにはトンボが飛び交っている。本編を読めば分かりますが、これがあり得ない場面なのです。さらに、本編中で重要な役割を果たす「右手」は本の折り込みの中にという凝りようです。
 これを単なる遊びと捉えるか、これも作者の主張ととるのかは、解釈が難しいところがあります。ただ、この作品を読んできた人であれば、あり得ない場面、あり得ない未来が尊いわけではなく、むしろ過酷な現実を超えてきたということの方が尊いし、それが今の私たちにもつながっているのだということが分かるに違いない。そんな読者を信じた上での、作者の「遊び」と思えなくもないのです。
 広島、呉に関わらず、戦争であるか震災であるか日常生活であるかに関わらず、東西古今、日本中、世界中で様々なことが起こっています。その中で、人々は苦しんだり悲しんだりしながらも、何とか生きてきました。良くも悪くも、その結果として、今の世の中と今の私たちが、今ここにいるのです。(これもちゃんと「おもな参考文献〜あとがき」の3コマ漫画で描かれていますね…。)そんなことを改めて思い起こさせてくれた素敵な作品だったのです。(2010/6/23)

LCC、1株10円とIBR
 昨日(6月24日)から、関空−台北・シンガポールのジェットスター・アジア航空の航空券が売り出されました。ジェットスターは、世界各地で巨大な勢力となってきた格安航空会社(Low-Cost Carrier:LCC)の一つ。これまではオーストラリアへの便だけだったのですが、路線追加(正確には系列別会社による新規運航)となったのです。大阪・台北が往復1万2千円から、盆正月でも往復3万円以下と、やはり格安。上司に早速報告しました。(さっそく押さえたとのことで、おほめの言葉をいただきました(笑)。)
 関空は成田と違い発着枠が空きまくっているため、最近、LCCの新規就航が相次いでいます。先駆者のジェットスターをはじめ、ホームページの色づかいからして独特なフィリピンのセブ・パシフィック航空、名前に反して済州島には飛ばない済州航空、アテンダントさんのハート挨拶を一度は見てみたいエア釜山などです。格安航空会社とはいえ、日本の諸物価が高いのでそこまで安くはなかったりもするのですが、それでも釜山往復9千9百円とか、明らかに東京に行くよりも安いわけで、気軽に行きたくなってしまう値段ではあります。
 それに引き換え、日本の状況はかなりお寒いものがあります。規制緩和後いくつもの航空会社ができては消えましたが、いまだに独立して残っていると言えるのはただ1社、スカイマークのみです。そのスカイマーク、この度、会社設立以来初めての株主配当(1株10円)を出しました。私も大昔からの株主なので多少のおこずかいは入ったのですが、これがスカイマークのさらなる成長への第一歩なのか、あるいは配当も出して普通の安定した航空会社になることを志向しているのか、多少不安に思うところでもあります。
 関空に新しいLCCがやってくるという華やかな話題の陰で、スカイマークは神戸(UKB)−茨城(IBR)便の運休を発表。「空港に現地係員を置かない」という斬新な手法を取り、値段も格安、そして私に関係のある2つの地域を結んでいただけに、運休はとても残念です。一方、国内でそうこうしているうちに、どんどん海外のLCCが日本に入ってきて、日本から航空会社が消えてゆく危険性も考えておかなければならないのかなとも思ったのです。(2010/6/25)

あめんぼあかいなあいうえお
 先月から近隣市の市民演劇にボランティアスタッフとして関わらせてもらっています。ピッコロ以外の劇場も知っておかないと…という思いで参加したのですが、ここらへんで、私にとっての演劇の原点である市民演劇をもう一度確かめておきたかったというのもあります。
 ただ、ここでの演劇は、著名な演出家や脚本家がおり、プロの作曲家が音楽を作り、舞台セットを作るのもプロという本格派。良くも悪くも手作り感の強かった「つくばりあん」とは大きな違いです。(豊里ゆかりの森で道具をたたいたのが懐かしい…。)市民演劇と言っても色々とあるんだなあと。私自身、戸惑うことも多いのですが、これも勉強と思い、なんとか着いていっている感じです。
 出演者も、3年目の人も多いからか、教育熱心な土地柄か、とても素人とは思えないほど。休憩時間などにはわいわいうるさい普通の女の子たちが、一たび舞台に上がると表情もきりっとして、全く別人に生まれ変わります。小学生であっても、汗だくになりながら必死にダンスを踊っている姿は、もはや子どものそれとは思えません。その姿には、一種の感動すら覚えます。
 つくば時代にも思っていたのですが、舞台は人間を大きく成長させる場だなと。主役をやれるのはたった一人で、それ以外の人は基本は主役の盛りたて役。明らかに「格差」のある世界の中で、自分ならではの立ち位置を見つけていかなければならない。さらに、学校の先生以外の大人から、「本当にやる気があるのか」などと厳しく指導される。役の中で、親でもなく先生でもない大人と、対等に絡んでいかなければならない。そして、仕事でも家事でもないことに、時には激論を交わしながらも一生懸命になっている、数多くの大人の姿を目の当たりにすることができる。いずれも、子どもたちの日常には、なかなかない経験です。
 今日も、明日も、全国各地のステージで子どもたちがそれぞれの夢を持って、演劇の練習に勤しんでいることでしょう。もちろん、どれだけ努力しても全員が主役は出来ないし、全員が芸能人や俳優になれるわけでもない。だけど、その演劇に取り組んだ過程は、きっとその後の人生の大きな糧になると思うよ。と、ちょっと保護者視点になってしまったりする今日この頃なのでした。(2010/6/27)

とっとと寝るつもりだったのですが。
 今夜はサッカーワールドカップ南アフリカ大会・決勝トーナメント1回戦日本−パラグアイ戦。開始時間が11時からということで今この時間もたくさんの人がテレビの前で釘づけになっていることでしょう。私自身、正直スポーツはあまり好きではないのですが、サッカーだけは中高時代に体育の授業で嫌というほどさせられた(というよりもサッカーしかしていなかった)こともあり、水泳、スキーほどではないものの、ある程度はルールも分かりますし、嫌いではありません。どちらかと言えば、好きな方のスポーツです。[後半も0−0で終了。延長戦へ。]
 カズやゴンやラモスや中田がいた時に比べると今の日本代表というのはあまり目立たないのですが、逆にそういう目立つ人がいなくても着実に世界と互角に戦っていけるだけの地力・実力が日本に着いてきたのでしょう。確かに、私が小・中学生のころはまだまだ野球が人気ナンバーワンでしたが、私の弟(5歳下・現在33歳)の時代にはむしろサッカーの方が花形でした。運動能力の高い子がサッカーに集まってきて、その中でセレクションを受けてきているので、やはり基本的能力が高くなっているのかなとも思います。[延長前半終了。]
 今夜、最後にどういう結果で終わるのか分かりませんが、どういう結果で終わるにせよ、今回のワールドカップで初めて、日本のサッカーの底力が世界中に認められたのではないかと思います。岡田監督をはじめ日本代表の活躍をたたえるとともに、日本のサッカーがここに至るまでにその礎となった、礎とならざるを得なかった多くの人々に対して、改めて敬意を表したいと思います。[延長後半も0−0で終了。これからPK戦です。](2010/6/29)



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