過去の「Weekly Diary (週記)」保管庫[超大昔のもの]

(これ以前は未確認)
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Internet Archiveからサルベージしてきました。うーん、内容も文体も、あまり変わっていないかも…。

1996年2月14日:リスト新装大開店!
 わたしのホームページの「売り」ともいうべき心理学関連情報リストが大改装の上、再登場の運びとなりました。新しいリストの名は「日本の心理学関連情報 on the Internet」。以前の「日本の心理学関連WWWサーバ一覧」にも増して一層のご愛顧をお願いいたします。


1996年2月20日:追悼・武満徹
 世界的な作曲家であった武満徹さんが逝去されました。「ノーヴェンバーステップス」や「レクイエム」など、実際の曲は聞いたことがない方が多いと思いますが、本当にすごい曲です。また、現代音楽を多くに人に伝えようと映画音楽を作曲されたり、コンサートの企画などもされていました。わたしも教科書に載った武満さんの文章から、現代音楽と言われるものを聞くようになったのです。日本ではあまり評価されていなかったと思いますが、近いうち再評価される日もくると思います。ご冥福をお祈りいたします。


1996年2月27日:Fight!
 学類の入試も昨日終わりました。大学院の合格発表はこの前の金曜でした。受かった人も落ちた人もいるのは入試だから仕方ないのだけれど、でもやっぱり複雑な気分です。もちろん、受かったことが必ずしもいい人生をもたらすとは限らなくて、一年浪人したからこそ新しい道を見いだす人だっているのです。でも、合格発表って、とにかく、何ともいえない、重い、そんな気持ちです。とにかく、これから新しい世界へ踏み出す人にも、もう少しとどまって頑張る人にも、「何となく」の日々を送る自分に対しても、思いっきり複雑な思いを込めて、たった一言........... Fight!


1996年3月4日:Farewellの足音
 インターネットが爆発的な勢いで普及した、ここ1,2年。それを引っ張ったのは多分大学生や大学院生だったと思います。そんな、インターネットやWWWを引っ張ってきた方々がいよいよ卒業される季節になってきたようです。「4月以降、このアドレスは使えなくなります」「ホームページの移転先を探しています」、そんな記事を見ることも多くなりました。先駆者達がいなくなって、大学から面白いページがなくなったといわれないよう、残った僕らがまた新しい文化を築いてゆかなくてはなりません。ともあれ、さよならの足音が気になる季節になってきました。


1996年3月13日:のぞみ大通り
 大学には行ってからは以前のような旅行熱はなくなったのですが、でもまた最近旅行がしたくなってきました。その理由の一つが、多分JR東海のCM「のぞみ大通り」でしょう。「のぞみヴァージョン」よりも「特急ヴァージョン」のほうにより旅情を感じました。うとうとと居眠りをしていて起きたら目の前にすばらしい景色が広がっていた、ってことは何回かあったような気もします。またいろんな人や物事を感じに旅にでてみたい。実験計画はさっさと立てて、とりあえず旅にでてしまおうかな。


1996年3月21日:3月
 僕が一番好きな月は、この3月です。寒い中にも少しずつ春が感じられてきて、木々も動物達もいよいよ動き出そうとしているこの月が大好きなのです。人間の方も別れと出発と、希望と不安にあふれていて、この月が好きなのです。3月が好きで、この月によく旅行をしました。3月の気候は日本全国でも全然違っていて、四国の南の方を歩いていた時はコートを脱ぎたくなるほどでしたし、福井県の永平寺では雪の落ちる音を聞きながら一夜を過ごしたこともあります。いろんな顔を持っていて、それなりに複雑なんだけど、全体としては希望にあふれている....だから僕は3月が好きなのです。


1996年3月28日:インターネットは幻か?
 明日から神戸で開かれる心理学の勉強会に出かけます。このお誘いもネットで知り合いになった方からでした。ついでに出身高校の吹奏楽団の定演にも出かけますが、高校時代の友達とまた活発なつきあいが再開出来たのもインターネットのおかげでした。ネット上の関係や出来事を「幻の世界の出来事」の様に言って馬鹿にしたり、ネットにはまっていることを現実からの逃避のように言う人がいますが、そんなことは決してないと思います。インターネット上の情報やできごとは、確かに、いわゆるVirtualなものもあります。でも、そのVirtualなものの中に込められた様々な思いというのは、目には見えないけど、現実のものだと思います。そして、今日も、様々な思いを乗せたパケットが世界中を行き交っているのでしょう。そう考えたら、インターネットって、とってもロマンチックだと思いませんか?


1996年4月4日:平砂のさくら
 昨日今日は多少寒かったとはいうものの、やはり気温は少しずつあがってきています。桜の花もちらほらと咲き始めました。つくばでは毎年ちょうど新入生が入学するその時に、見計らったかのように桜の花が咲きます。特に平砂学生宿舎の歩行者専用道路の道沿いには桜並木が作られていて、普段は汚くて古い宿舎の風景も、桜が咲くと絵はがきのような光景に一変します。まるで、希望と不安にあふれた1年生をまるで歓迎するかのようです。思えば、僕がつくばで桜を見るのもこれで6回目となりました。1回目の時、一緒に桜を見た人々は多くがつくばを離れています。そして、他の土地で桜の花を見ていることでしょう。その時、もしかしたら、あの平砂宿舎の桜並木のこと、筑波大学での生活のことをちょっとでも思い出しているかもしれません。同級生のみなさん、いまどこでどうしていますか?


1996年4月13日:つくば市長逮捕について
 とうとう木村市長が逮捕されちゃいましたね。彼がやったことは確かに悪いことですが、ある意味で彼もまた研究学園都市の犠牲になったといってよいかもしれません。もし、ここが単なる農村地帯のままだったら、たぶんいまでも細々とムラ型選挙を続けることができた。ところが研究学園都市の建設やそれによる人口の流入で、ムラ型の意識しか持たないところにとんでもない利権が転がり込んできた。そして、木村市長にはその利権を使うだけの政治力があった。でも、「ムラ」ではない「研究学園都市」ではそれは許されなかった。そう考えると何となくかわいそうな気もします。もちろん、彼の市長としての責任、政治家としての責任は徹底的に追求されるべきだし、批判されるべきだと思います。でも、つくば市誕生の陰の立役者ともいわれ、強引な手法とはいえ数多くの難題にそれなりの道筋をつけた人の最期があれでは、彼の人生は結局何に引き回されていたのかと思わずにはいられません。


1996年4月18日:葉桜
 今年も結局、花見をしないままに桜のシーズンが終わってしまいました。友人が誘ってくれていた大学生の頃には忙しくて花見ができなくて、逆に今は花見するぐらいの時間ならいつでもあるけど誰も誘ってくれない、なかなか世の中って難しいものです。ともあれ、いわゆる花見のシーズンは終わってしまいましたが半分ぐらい花が散ってしまった今の時期の桜もなかなかすてきなものです。葉桜というのでしょうか、桜の花の白さの中のほのかな紅と萌えだしたばかりの若葉の薄い緑とのコントラストは満開の桜よりもずっと深い味わいがあります。そして、葉桜はそれ自体が美しいという以上に、去りゆく桜の季節への心残りとやってくる新緑の季節への希望という複雑な思いを私たちに投げかけてくれます。桜の季節を今さら望んだって仕方ない、時間は戻せないし前に進むしかないということは分かっている、でもやはり桜の季節を懐かしんでしまう。そんな人の心を、葉桜は悲しいぐらい見事に表している気がするのです。


1996年5月1日:ごめんなさい!
 現在、修士論文の構想発表の準備のことで頭がいっぱいで、とてもここまで(心理的に)手が回らなくなってしまいました。申し訳ありませんが、少し落ちつくまで、ほっときたいと思います。
 心理学のリストだけは、情報をいただければ追加します。あと、息抜きに「筑波のなぞ」ぐらいは書くかもしれません。とりあえず、15日まで、さようなら。


1996年5月18日:あめんぼ
 うちの研究室は2階にあるのですが、隣の建物は1階建てで、そのためにとなりの建物の屋上に簡単に入れます。ずっと研究室にこもっているのも健康上よくないので、ときどき日光を浴びにこの屋上にいって、いろいろと物思いにふけることがあります。先日、雨が降ってこの屋上に水たまりができました。排水溝が詰まっているらしく、結構大きな水たまりです。で、近寄ってよくみてみると、そこにはかなりの数のアメンボがいました。アメンボをじっとみるのは本当に久しぶりだったのでその珍しさもあったのですが、「ああ、こんなところにも生き物がいる」というのはちょっと感動でした。いままですっからかんだったのに、彼らはどこに隠れていたのでしょうか?生き物って不思議ですね。


1996年6月1日:おめでとう
 2002年のワールドカップが日韓共催で開かれることとなりました。日本の外交上の失敗だとか、問題が山積していてよりいっそう日韓関係が悪くなるかもしれないという懸念もあるようですが、一方に決まるよりもずっとよい決定だと思います。これまで日韓が歩調を合わせて一つのことに取り組むということはなかったのではないでしょうか。あったとしても、それはアメリカが上にいたり、あるいは過去の清算などという心理的なわだかまりが多いのものであったと思います。ワールドカップというのは様々な政治的な思惑はあるものの、基本的には単なるスポーツです。これまで政治や歴史などといった観点からは解決できなかったことが、もしかしたら解決できるかもしれません。開幕戦・決勝戦はどちらの国で行われるのか分かりませんが、スタジアムに日本の旗と韓国の旗が並んで揺れている姿を楽しみにしています。日韓共催、おめでとう。


1996年6月10日:200万円
 大もめにもめていた従軍慰安婦の方々への「見舞金」の額が一人200万円となりました。公的には200万円以上、となっていますが、200万か300万かでもめていて結局200万円になったのですから、そんなに多額の支給は望めないでしょう。国家保障ではなく公的な民間基金というわかりにくい方針をとったことも非常に問題ですが、たとえ民間基金にしたってもうちょっと誠実な態度がとれないものかと思います。200万円か300万円かでもめていて結局200万ということでは受け取る側も決して気持ちのいいことはないと思います。それにしても何を考えて200万にしたのでしょうか。多くの従軍慰安婦の方々は一番大切な青春の時代を奪われただけでなく、戦後も病気が悪化したり差別されたりするなど、ほとんどの人が一生を独身で送らざるを得なくなってしまっています。実際に自分の同世代の女性がそのような目にあったと考えると非常につらいものがあります。そして、人生を台無しにさせたその代償が200万円なのです....この国における人生の価値というものを疑わざるを得ません。


1996年6月17日:17回目の17日
 先月、はじめて17日であることに気づかずに一日を過ごしました。もはや関東地方では17日だからといってマスコミが騒ぐわけでもなく、新聞記事には一行だってそんなことは載りません。5月30日の500日だってほとんど何も取り上げてはいませんでした。三面(テレビ欄裏の社会面)の隣の面に「いまだ仮設住宅から出て行ける見込みのない人がいる」というような記事がちょこっとあるだけでした。この震災が日本の国のあり方や日本人のものの考え方に問いかけているものの大きさを考えれば、それこそ毎月17日には各ニュース番組や新聞はこぞって震災の特集をすべきだと思います。国家や地方自治体はどこまで個人の面倒を見るべきか、義援金の配分額にもあらわれた地方と都市のアンバランス、防災の必要性と私権の制限、公共の福祉と個人の自由な活動の折り合いの付け方、長田区などに見られるドーナッツ化現象や高齢者問題、地域自治の重要性とそれが失われつつある現状、開発と自然保護、心の時代と物質第一主義、など阪神大震災が問いかけている問題は幅広く、そして奥深いものです。でも、結局何も変わってはいないし、真剣に考えられてもいない。震災はある意味では非常にいいチャンスだったのにそれが全く生かされていません。前にも書いたような気がしますが、非常に残念でなりません。


1996年6月24日:狭い世界?広い世界?
 今日の朝日新聞に載っていましたが、アメリカではインターネット中毒というのが問題になってきているそうです。ネットの中だけで生き生きとしていて、日常生活では普通に人とつき合えない人が、特に大学生を中心にあらわれてきているとのこと。わが身を振り返ってみますと、確かに私も結構中毒かもしれない。昨日は一日ネットにさわらなかったのですが、やはり来ているであろうメールのことととか非常に気になりました。(昨日はさわらなかった、といっても秋葉原に行って、その後オフ会に出ていたので、何もいえませんが....。)ネット関係のことをやっている時間もまた長くなり始めていて、かなり危険かもしれません。たしかに、一人で実験室にこもる時間はどんどん長くなり、研究室の人々とのコミュニケーションは減った気もします。ただ、インターネットはある意味では非常に開かれたコミュニケーションツールでもあります。たとえば、ネットじゃなければまずつきあわなかった人とつきあうようになりましたし、私の場合だと日本中の心理学科のことを知ることができました。ある意味ではインターネットは自分の世界を広くするのです。このネットの世界の狭さと広さをよく理解しつつ使うことが肝心なのではないでしょうか?(あーあ、実に無難にまとめてしまった。)


1996年7月4日:年を感じること
 私はまだ24歳で、四捨五入すれば「はたち」ですからまだまだ若いのですが、ときどき年をとったなあと感じることがあります。たとえば、私は日曜日にちょっと運動をしたのですが、その筋肉痛がすぐではなくて2、3日たってからやってきたのです。こういった経験というのはいままでほとんどなかったことなので、何だか非常に年を感じてしまいます。実際の体力の衰えはそんなに大したものではないと思うのですが、これまでずっと体力というのは上がり調子だったために、なおさら年をとったと感じるのかもしれません。体力はある意味で仕方のないことですが、心までが年をとらないようには気を付けたいです。そういう点では、このページが縁でメールの交換が始まった学部生の方たちとのやりとりは、自分を初心に返らせてくれます。私は実は非常に感謝しています。私もまだまだ若いのですから、今後もあまり凝り固まらずに、いろんなことに興味を持ってゆきたいと思います。


1996年7月17日:18ヶ月前の青空
 ネットをやってるととんでもない人からメールを頂くことがあります。特に、中学・高校時代の先輩・後輩からメールをもらうことはよくありました。ところが、先日なんと小学校時代の同級生からメールをもらったのです。私は中学から私学でしたから、小学校から続いて知っている人というのはほとんどいません。その彼とも12年ぶりの再会(?)でした。なつかしいねえ、あの頃は色々あったねえ、などと話しているうちに、「知っているとは思いますが...」と同級生の一人が震災でなくなったことを知らされました。私はそのことを全く知らなかったのです。亡くなった彼は郵便局で働きながら神戸大学の夜間に通っていたとのこと。頑張って、夢を追っていたのでしょうが....。今日でちょうど震災からまる1年半。今日の関東地方にはあの震災の日と同じ、どこまでも青い空が広がっていました。


1996年7月31日:かもめが空を飛ばなくなっても
 私はいつも朝はNHKの「おはよう日本」を見ています。ところがこの番組は8:15までなので、そのあとのワイドショーまでには少し時間があります。そこで、ついつい見てしまうのが「ポンキッキーズ」です。じつはこれがなかなかに面白い。以前のような「よい子番組」じゃなくて、曲や歌ののりもよくて、でもその中に伝統的な子供観も入っていて、なかなかに興味深いのです。コニーちゃんは、明るくて元気な女の子像という気もするし、ジャマイイカ・エクセサイズとかは自分も憶えたいし、このままだとポンキッキーズ評論家になってしまいそうです。で、おはようナイスディの1番最初の話題だけ見て、大学に来るのが最近の日課です。


1996年8月7日:さびしい思い
 いろんな人のホームページをネットサーフィンしていると、結局そのページのよさはネットとかコンピューターの知識で決まるのではなくて、その人のもともと持っている性格とか能力によるのだなということを実感します。私は心温まるページやほのぼのとしたページが好きで、そういったものにあこがれているにもかかわらず、自分がそういったページを作ることができません。それは、もともとの自分に「心温まる」ところや「ほのぼの」としたところがないからだと思います。インターネット全体がほのぼのしても仕方ないし、私の心理学リンク集のような無味乾燥な情報の必要性・重要性も分かってはいるのですが、でも何となくさびしい思いをすることもあるのです。


1996年8月13日:アニソンを聞く
 昨日、ちょっと古いノートを探していたら、高校生の頃作ったアニメソング一覧表が出て来ました。小学生・中学生の頃はアニメに全く興味がなかったのですが、高校生の時いきなり燃え上がり、大学生になってからはまた全くなりをひそめてしまいました。でも、そのころに作ったアニメソングのテープは久々に聴くとなつかしく、当時熱中していたアニメのこととか、当時考えていたこととかをいろいろと思い出せさてくれました。ところで、実は最近、あの「エヴァンゲリオン」を見始めました。もしかするとアニメ熱が再開してしまうかもしれません。来年の今頃は有明のコミケにいたりして....。くわばら、くわばら。


1996年8月17日:We Trust in Net.(1周年記念バージョン)

 夏ですから、怪談の話でもしましょう。「のっぺらぼう」の話は有名ですから、皆さん知ってますよね。ある人がのっぺらぼうの顔をみて、驚いて走って逃げて、近くにいた屋台の亭主にそのことを告げる。「さっき顔が全くない妖怪が出たー」と。するとその屋台の亭主は「それってのは、こんな顔かい?」と、のっぺらぼうの自分の顔を見せる....。この話が恐いのは、単にのっぺらぼうという妖怪がいることではなくて、屋台の亭主は同じ人間であろうという一種の「信頼感」が、がらがらと崩れ落ちてしまう、もはや何を信じていいのか分からなくなるといった怖さであると思います。
 私は小学生の頃、これとかなり似た思いを感じたことがあります。ちょうど、小学校1、2年生の頃、日本中で「インベーダーゲーム」なる物が大流行しました。小学生がやるにはちょっとばかり早かったのですが、それが人気ということはみんな分かっていたと思います。私は「インベーダー」とは何がということが気になり、母に聞いてみました。「インベーダー」とは「地球を侵略してきた宇宙人」のことだそうです。そこで、当時の私はまた考えてしまったのです。「宇宙人は、実際に地球を侵略してこないのだろうか。いやもしかしたらもう侵略しているのかもしれない。非常に知能や科学技術が高くて、地球人にまぎれているのかもしれない。だとすれば、誰が宇宙人なのだろう。もしかしたら、自分以外はみんな宇宙人なのかもしれない。それで何らかの理由で、今みている世界を作り出していて、自分はその中で飼われているのかもしれない。おかあさんとかもすごい優しいけど、でも、そういう風に自分が思わされているだけかもしれない...」この考えは非常に強くて、またかなり長い間自分の中の悩みでした。ただ、逆に、結局信じるしかないのだ、信じなきゃ世の中で生きていけないし、人とのいい関係も築けないし、ずっと不安なまま生きなきゃいけないんだということも、ずっと考えていたのです。絶望の底に希望が残っていた、小学校2年生の時でした(^^;;
 いま、インターネットでやりとりをしていると、ネットの向こうには本当にその人がいるのか不安になることがあります。もしかしたらすべてまやかしなのかもしれない、メールで悩みをやりとりしているけど本当は単に馬鹿にしているだけかもしれないとか、相手は女の子っていっているけど本当は男の子かもしれないとか、いろいろと感じることがあります。さらにずっとメール交換をしていて非常にいい関係が築けたと思っていたのに、突然相手からメールが来なくなったりするのではないかとか恐く感じることもあります。不安や不審の目でネットを見ようと思えばいくらだって見ることが出来ます。ネット上はいわゆる「サイバースペース」ですから、なりすましや偽りをすることはいくらだって可能なのです。
 でも、よく考えたらネット上も一般社会も一緒なんですよね。疑おうと思ったらいくらだって疑えるけど、でも信じるしかない。信じればいい関係も築けるし、楽しい思いもいっぱいすることが出来る。傷つくことを恐れて疑って自分の殻を作ってしまうよりは、傷つくこともあろうと割り切ってどんどん出ていったときの方がよっぽど有意義だし、楽しい。そんなもんなんだろうな、と最近思えるようになってきました。
 ホームページ開設から1年。実際にメールをやりとりした方だけでも100名以上の方がいるようです。この人達が現実世界ではどのような人かよく分からないけど、でも少なくともネット上には実在して、自分とメールをやりとりしたという事実は絶対に事実なのです。そう考えると、かなりすごいことをしてきたし、させてもらってきたのだなという気がします。このホームページもいよいよ2年目に突入。これからももっと多くの人々とつきあってゆくことになると思います。今から、それが楽しみです。


1996年8月25日:24時間テレビ

 今年もまた24時間テレビがやってきて、そろそろ終わります。もともとはチャリティーだったこの番組も、最近はバラエティー化しているようですし、また24時間放送をすること自体が最近では全然珍しくなくなってしまいましたので、あまり大イベントという気はしません。ただ、この番組は「もう夏休みも終わりなのだよ」という、秋の訪れを告げる一つの風物詩として私の心の中に残っています。筑波大は9月1日から2学期ですから、これは大学院生になった今でも変わりません。そういえば店頭にさんまも大々的にならび始めましたし、最近社会人の方から心理学についてきかれることがとみに多くなってきました。学問の秋、だからでしょうか。ともあれ、秋はもうそこまで来ているようですね。


1996年9月1日:最小少数の最大不幸

 高校生の頃、新潟県の出雲崎というところから柏崎まで日本海沿いを路線バスにゆられていたことがあります。夏の天気のいい日でしたし、ずっと海のにおいのするところを道は通っていて、ぽかぽか、とことこと愉快な気分のバスの旅でした。ところが、途中急に道が大きく山側へと曲がり、その後延々と続くトンネルの中をずっと走りました。それまでがあまりにものどか過ぎたがために、その光景はあまりにも異様でした。これが東京電力柏崎・刈羽原子力発電所のせいだというのは、バスがトンネルを抜けた後の光景で分かりました。ここまで光景を変えてしまうものを、自分たちのためでなく東京のために押しつけられている...なるほど、日本の国というのはこうやって成り立っているのだなということがよく分かりました。東京という最大多数が幸福になるために、いくつかの地方が最小少数として選ばれて最大不幸を背負わされている。ずっと都会で暮らしていた自分にとってはある意味でショックなことでした。
 現在問題となっている沖縄も、これとかなり近い関係なのではないかと思います。本土という最大多数の最大幸福のために、沖縄という最小少数に最大不幸が押しつけられているのです。政治というのは基本的に「最大多数の最大幸福」を実現するのが目的です。ですから、ある程度「最小少数の最大不幸」状態はやむを得ないこともあります。これを牽制し、改善させるのが、数の力というよりも論理の力が重要な「司法」の役割ではないかと思います。今回の最高裁判所の判決の中で、「このような判断は司法権にはなじまない」という補足意見が多数つきました。これは、わたしの考えからいうと非常に残念なことでありました。論理の力によって具体的な政治的判断を裁くこともできるし、むしろそうすべきだと思うのです。
 次回の「最高裁判所裁判官国民審査」には全員に×印を付けようと思っています。


1996年9月7日:青春18きっぷ

 昨日、3日分の残りのある青春18きっぷを手に入れました。9/10日まで有効ですので、日心用に買い取ってあげたのです。ただ、せっかくだからどこかに行きたいと思い、あす、長野までそばを食べにゆくことにしました。一部区間は特急に乗らないと間に合わないのですが(いわゆる「ワープ」)、なんとか、善光寺にお参りして、そば食べて、別所温泉の外湯に入って、峠の釜飯を食べられそうです。ひさびさの小旅行なので、ちょっとうれしいです。この後は学会で、遊びばっかりですが、まあいいということにしときましょう(^^;;;


1996年9月15日:青い午後の紅茶

 最近、体重のためによくないと知りながらも、缶紅茶を結構愛飲しています。すっきり爽やかストレート、クエン酸の酸っぱさがたまらないレモンティー、舌にまとわりつく甘ったるさが魅力のミルクティー、その他、アップルティーや桃、マスカットの香り付きなど、いろんなのを試しています。この手の紅茶の本家といえば、いうまでもなくキリンの午後の紅茶です。しかしながら、一度味を変えてあまりおいしくなくなったのと、紅茶花伝の「ロイヤルティー(280ml)」のように他社製品にもヒット商品が出てきて、なかなか最近はつらかったようです。起死回生の策か、先日乳成分30%という「午後の紅茶・Royal」を新発売しました。
 私はこの発売を日心の時まで知らなかったのです。友人に教えてもらい、よく見ると電車の車内にも広告がいっぱいありました。是非飲んでみよう、と思ったのですが、いざ探してみると意外と売ってないものです。まずキリンの自動販売機が少ない。キリンのがあったとしても新製品は入ってない。それではと思って入ったコンビニにもおいてない。日心期間中、結構さがしたのですが、結局見つかりませんでした。(一カ所あったのですが、時間の都合で飲めなかった。)東京限定発売だったらどうしようと心残りを感じつつ、東京を後にしました。
 学会の翌日、結局昼間まで寝ていました。食事の準備をするのもめんどくさいので、コンビニでパンでも買って大学にもっていこうと思い、よく利用するコンビニに行きました。パンを4つほど買って、ちょっと贅沢でジュースも買おうと思いました。で、ジュースのところに行ってみると、その棚には青い缶の午後の紅茶・Royalが2フェイスもとって並べられていたのです。文字どおり「青い午後の紅茶」でした。


1996年9月25日:乞う・警報

 今週末は台風&全学停電・断水でした。ネットワークが切れていたのは停電のためで、台風のためではありませんでした。心配なさった方、ごめんなさい。
 今回の台風は関東地方にしてはすごかったです。関西の人間としては関東地方の台風というのはあまり大したことがないというイメージですが、今回は木は倒れるわ、看板は飛ぶわ、ガラスが割れているところがあるわで、なかなか派手でした。よく何とかカブで、花畑から大学まで着けたものだと思います。
 ところで、台風とか聞くと何となくわくわくしてしまうのは私だけでしょうか。何でかなあと考えてみたのですが、おそらく警報の影響だと思います。小学校や中学校は警報がでるとその日は休みですよね。子どもは学校が休みになるとやはりうれしいので、どうもそれを待ち望んでいたという気がします。予期しない突然の休みって、本当にいいものですよね。ただ大学に入ってからは関係ないですから、自分が苦労するだけで全然いいことはないのですけどね。
 今回は連休中でしたから、子ども達の「警報休み」はありませんでした。警報解除の報を聞いてがっかりした子ども達がたくさんいたんだろうなあと、ちょっと感じてしまいました。


1996年9月30日:心の肥やし

 遠藤周作さんが昨日なくなりました。私は小学生の時によく分からずに読んだ「沈黙」以来、彼の作品が好きでした。特に中学・高校時代は、純文学からエッセー、ユーモア小説にいたるまでかなりの量の遠藤作品に触れてきたと思います。東京生まれ・神戸育ちで周りとの様々なギャップに苦しんだこと、中学・高校が阪神地区の私立の男子校であったこと、そして何よりもカトリックについて様々に悩んでいたことなど、生い立ちに共通点が多かったことも感情移入しやすかったのかもしれません。独特のペーソスというかブラックユーモアについても遠藤さんの作品から学んだ所は大きかったと思いますし、最近私も演劇に興味を持ちはじめています。改めて昔読んでいたものの影響の大きさを感じています。
 最近はカトリックと関わる機会も少なくなりましたし、日常の忙しさにかまけてなかなかじっくり本を読んだり、物事を考えたりする機会がなくなっています。文学のような心の肥やしというのは、読んですぐに人間が変わるわけではないけれど、何年かたってじわじわと効いてくるのかもしれません。そういう点では私は今、中学高校時代に培ったものを消費しているだけで、新しい肥やしを心に追加していないような気もします。せっかくですし、また遠藤さんの作品でも読んで、いろんな事について考えてみようかなと思います。


1996年10月8日:田んぼにて

 先週末、生まれて初めて稲刈りなるものをしました。
 私は自慢じゃないですが、東京生まれの芦屋・神戸育ちですので、田んぼ自体しっかりと見たこと自体ありませんでした。ましてや田んぼに入ったことなんて、記憶の限りではありません。
 で、田んぼに入って、稲刈りをやってみたのですが....いやあ、大変でした。稲刈り前の田んぼは地面がしっかりしているのかと思ったのですが、ちょっと力を入れると足がぞぼずぼ、そんな足場のしっかりしない中で中腰での作業、たった3時間ぐらいの作業でしたが本当に大変でした。まあ、手で稲刈りをする事は現在ではほとんどないと思いますが、農家の大変さの一端に触れたような気がしました。それとともに、このような農作業の大変さや土の重さを知らずに育ってこれる今の都会の生活は何か大事な点が違っていないか、という気にもなりました。


1996年10月14日:最後の花火

 学園祭が終わりました。結局ちょっと見に行っただけでした。
 その後研究室に戻ってきて仕事をしていました。8時ちょっと前にものすごい音がしました。これは、学園祭の後夜祭の時に打ち上げる花火の音です。そういえば警備ということでこれを間近で見たこともあったし、自分の企画が終わった充実感の中でこれを眺めた事もありました。今年は研究室でその音を聞いてからあせってベランダにでてみたけれど、見えたのはちょうど最後の花火が消えてゆくところだけでした。


1996年10月21日:六割民主主義

 衆議院総選挙が終わりました。自民党が勝ったといっても過半数には届かず、新進党が負けたといってもちょっと数が減っただけ、民主党はそのままだし、共産党も倍増までは行かず、社民・さきがけはもともと終わっていたからなんの感慨もわかず、といまいち面白くない選挙結果でした。
 それよりも問題なのは、とうとう総選挙の投票率が60%を割ったことです。この前の参議院戦では5割を切っていたのですが、このあとの危機感があまりにも足らなかったと思います。6割の人々だけで日本の国の行方を決めてしまうというのはあまりにも危険だし、民意が正しく反映されるかや、本来の民主主義のあり方からいっても問題です。有権者の側の意識の問題はもちろんですが、政治家や選挙実務者の投票率に対する意識の低さも、今後は問題にしてゆく必要があるかと思います。1日だけ、それも日曜日だけ投票というのでいいのか、午前7時から午後6時までという投票時間が現代の生活にあっているのか、特定の小学校や公民館だけで投票を受け付ける現在の投票所方式でいいのかなど、検討すべき事はたくさんあるはずです。もちろん、在外公民の投票権の問題、転居による投票権消滅の問題、長期間に渡り滞在している在住外国人の問題など、投票率以外にも「選挙」そのものについて考えることはたくさんあるのです。政治家は、選挙区のことだけではなくて、もっとこういったことにも取り組んでいただきたいと思います。
 ちなみに、今回、政見放送で「棄権しないようにしましょう」と呼びかけたのは、私が知る限りでは社民党だけでした。このあたりのことも今後は注意してゆきたいと思います。


1996年10月27日:「ならう」と「なれる」

 先日、バイト先の某百貨店(分かるでしょうけど)の研修を受けてきました。基本的なマナーや言葉遣い、挨拶の仕方などの研修でした。実は自分はこのデパートではかなりの長期間働いていますので、「何を今さら」という気がしないでもありませんでした。基本的な言葉遣いやマナー、百貨店ならではの用語などは折々に教えてもらったり、注意されてきたので、それなりに分かっていると思っていたのです。
 で、いまいちやる気なく研修を受けてみたのですが、実際に受けてみるとまた新しい発見がたくさんありました。トレーナーの方はさすがに色々な事例をご存じなので話も面白いですし、また「なぜそうするのか」「この決まりにはどのような意味があるのか」ということもちゃんと教えて頂きました。研修後に実際に売場を見てみると、改めてなるほどと思うことも多く、今までの知識がいかに浅かったかを思い知らされました。
 そのトレーナーの方が、「いままでみなさんは仕事になれていたと思いますが、ならうということはなかったと思います。ちゃんとならって、それになれる。その繰り返しが大切だと思いますよ。」といっていました。なるほどなあと思いました。なれるとならうことを忘れがちです。ならうとなれるの繰り返しが大切なのだということを改めて感じさせられました。


1996年11月6日:日本教育心理学会第38回総会について

 今年の総会は11/2-4に筑波大学で開かれました。
 中日・最終日のお弁当や食堂が大混雑したり、会場配置がかなり分かりにくかったり、論文集が早々に売り切れてしまったりと色々な面で参加者の方にご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫び申し上げます。
 しかしながら、参加者の皆さんもご協力もあって、総会全体としては大成功だったと思います。第3学群で開かれていた数学教育学会との共催シンポ、日本カウンセリング学会・日本LD学会共催、茨城県教育委員会後援の公開シンポなど、数も多く種類も多彩なシンポジウムを開けたことも今回の総会でよかった点ではないかと思います。口答発表やポスター発表でも活発な議論がかわされたと聞いております。国際交流セッションは連日満員の盛況で、我々遊撃隊も椅子はこびが大変でした。また、コーヒーはレギュラーコーヒーにするなど、細かい点でも学会をサポートできたのではないかと自負しております。
 私が筑波大にいる間にこのような大きな学会が開かれることはないと思いますが、また次回がありましたらその時はよろしくお願いします。また、次の当番校の方は今回の総会のいいところを取り入れ、悪いところは改めて、よりよい総会をつくっていって下さいますよう、切に希望します。
 ともあれ、参加者とスタッフが一緒になって非常にいい総会を作ることができたと思っております。本当にありがとうございました。また機会がありましたら、是非筑波大にお越しください。 

筑波大学心理学研究科2年(遊撃隊)  磯部 聡  


1996年11月11日:花

 僕がアパートから大学に来るまでに6カ所の交差点を曲がります。そのうちの2カ所にはいつも交差点の脇に花束が置いてあります。そこで死亡事故が起きたのです。
 そのうちの一つは私もちょうど目撃したものでした。僕より一学年下の男の子が原付に乗っていて車にはねられ、頭を強く打ったのです。すぐにではなく、事故から2週間ほど経ってからの死でした。ちょっと原因などでもめたため、僕も彼のおかあさんと会ったり手紙をやりとりしたことがありますが、その悲しみというのは非常に大きなものでした。また彼のサークルの友達や学類の友達がこの交差点でたたずんでいた姿というのを何度も見ました。それまで間違いなく彼にはこの友達達との日常があった。それが一瞬にして失われたのだなあということがしみじみと感じられました。そこには彼の好物であったのか、タバコと缶ビールが備えられていました。手紙が添えられていたこともあったようです。
 ちょうどあれが3年前の秋のことでした。そんなこともあってまた花が供えられたのだと思います。
 この場所を通る度に、気を付けて安全運転で走ろうという気になります。それと同時に、もし僕が死んだら誰か泣いてくれるのだろうか、誰かそこに花を供えてくれるのだろうかと不安になることもあります。そんなことを思いながら、今日もこの交差点を越えて帰ります。 


1996年11月18日:「We are all alone.」

 「We are all alone.」という曲があります。僕はこの曲をはじめ吹奏楽のアレンジで知ったため、その歌詞とかいわれとかについては全く知りません。この曲を初めて知ったのは、過去の吹奏楽団の定期演奏会のテープで先輩達がこの曲を演奏したのをきいたからです。確かその時の曲紹介のアナウンスは、
 「次の曲は"We are all alone."です。この曲は直訳すると『僕たちはみんなひとりぼっち』ということになりますが、それじゃあ、あまりにも寂しすぎますよね。その時こそそばにいて欲しい人があなたにも必ずいるはずです。そんな人のことを思い出しながら、きいて下さい。」
というようなものでした。ちょうどそのアナウンサー嬢がサークル内恋愛中で、多少冷やかし半分でこんなことを言わせたのでしょうが、でも何故かこのアナウンスは心の中に残っています。この曲の切なくて暖かいメロディーとともに。
 たしかに僕らは生まれてくるときも死んでゆくときもひとりぼっちで、孤独です。いくら親しくなったとしても、相手を完全に理解することはできないし、完全に理解されることもないでしょう。物理的に完全に相互理解ができないだけじゃなくて、もっとお互いを分けるような心の壁があって(自我とか、プライドとか、ATフィールドとか(笑)呼ばれるものがあって)、それでお互いを理解できないというのもあるかもしれません。僕らはみんな孤独です、確かに。つい、なんて孤独なんだろう、何で分かり合えないのだろうと愚痴りたくもなります。
 でも、孤独であるということをあきらめて認めてしまったら、みんな孤独であるということを認めた上で新しい関係が築いてゆけるのではないかとも思うのです。あきらめるのは新しいスタートにもつながります。それはある進路を選択したら、別の進路を全てあきらめなくてはいけないのと同じことです。みんな孤独だという事実をしっかりと見つめ、それだからこそ相手と分かり合えることを大切にしてゆく。その方がただ孤独を嘆いているよりも、よっぽど新しい可能性が開けてゆくような気がします。We are all aloneの本当の歌詞は知らないけど、でもそういったあきらめとそれゆえの期待が含まれた曲なのかなと、そのメロディーだけから考えているのです。
 ところで、なんでいきなり「We are all alone.」かというと、実はうちの電話の保留の音楽がこの「We are all alone.」なのです。孤独を気づかせることは大切かもしんないけど、なにもそれを電話の向こうでひとりぼっちで待っている人にやるなんて...。でも、そこがちょっと気に入ってもいるのです(笑)。


1996年11月25日:幅広く無趣味

 あなたの趣味は、と聞かれるといつも困ってしまいます。「インターネット」というのが実際は最もそれに近いのかもしれません。でも、私はインターネットの仕組みそのものに興味があるというよりは、それを使って何ができるかに興味があるのです。第一インターネットは通信手段ですから、それ自体を趣味だというのは、「電話が趣味です」と言っているようなものです。(そういう人もいますけど。)
 読書も好きですが、年に100冊とか病的に読むわけではありません。旅行も好きですけど、これも継続的にできる趣味ではありませんし、海外に行ったこともありません。心理学は趣味ですし、いまだに趣味のような気もしますが、これはいちおう「仕事」ですし...。進路指導というのも、ちょっと変でしょう。中・高・大と10年近くやってきた吹奏楽からもすっかり離れてしまいましたし...。こう考えると多趣味そうで、実は無趣味なのかなと思ってしまいます。
 いろんなことに幅広く興味を持ったり、やってみたりすることはいいことだと思います。それはそう思います。でも、ほんとうに広くばっかりやっていると、本当に自分はこれができるというものがなくなってしまうようにも思えます。幅ばっかりひろいんだけど、でも実際のところはどれにも「趣味」と呼べるほど入れ込んでいない...今の自分ってそうなのかなと思います。で、これが趣味だけの話でなくて、研究とかの面でも最近感じているのです。


1996年12月3日:2G

 昨日、2Gのハードディスクを買いました。Performa630にはハードディスクが250Mしかなく、さすがに足りなくなってきていましたし、それと修論を書くに当たってバックアップを頻繁にとりたかったので買ったのです。本当は1Gで十分だったのですが、ほとんど値段が変わらなかったので2Gを買ってしまいました。一気に8倍も増えたので、どう使うべきかちょっと悩んでいます。昨日は延々とビデオを取り込んだりして遊んでしまいました(簡単に500Mぐらい使えます)。
 でも2Gで4万円ちょい、フロッピー一枚あたり20-30円ぐらいですから、本当に安いものです。でも、これからもっともっと安くなるのでしょうね。メモリーだって昔は1M1万円とか言われていたらしいですから...。今は10M1万円だっておかしくないですものね。で、おそらくそれも昔話になって行くのでしょうね。自宅の98Noteだって、メモリー2Mでハード40M、91年頃からみればなかなかのスペックだったのでしょうから...。
 いつかこれをみて、「へーっ、あの頃は2Gぐらいで使い道に困っていたのか。最近はテラ単位だもんなあ...」などと懐かしもうと思い、これを書きました。


1996年12月12日:人が見えるとき

  落合さん、結局日本ハムに決まってしまいましたね。まあ、プロなのだからお金が高い方に行くのは当然ですし、そういった意味で自分の意志を通して立派だったなと思います。日ハムに入ったら、「結局金か」とか書かれるのが分かっているにもかかわらず、自分の考えを貫いたわけですからね。自分に不利なこととか嫌なことで考えを貫くのも大変だけど、自分が有利になることとか自分にとって好ましいことで考えを貫くのもまた大変なのだなと思いました。
 ところで、決まる前に野村のサッチーがワイドショーでこんな事を言っていました。「今、彼は本当に人が見えているんじゃないですかね。うまくいっているときは回りもちやほやしてくれるし、いろいろといいことを言ってくれる。でも逆境の時にはそういうことがないから、本当にその人がどういう人か見えるし、また自分のこともよく見えるでしょう」さすが、総選挙で敗れただけあるなと(笑)ちょっと思ってしまいました。たしかにそうですよね。いま、自分自身も結構逆境で、それによって態度がころっと変わった人とかを多く見てきました。そんな中で人を見る目も大きく変わったと思います。そして、その中で今までいかに自分がおだてられ、のせられ、そして舞い上がってきたのかをしみじみと感じています。そういう点では逆境というのは人を見るいい機会なのかなという気がしないでもないです。


1996年12月17日:ON or OFF

 ここ数日、ネット上で知っている人とOFFであう(実際に顔を合わせて会うということ)ことが多かったです。ある程度意図的に会ったものもありますし、全く関係ないところで偶然会ってしまったのもあります。でも、お互い初対面なのだけど、でもお互いのことはよく知っているというのはとても奇妙な、そして期待と不安の入り交じった不思議な感覚です。そのためかはじめてオフであったときのことというのはしっかりと憶えているものです。早稲田大の大隈講堂前、埼京線北赤羽駅改札口、大学中央バス停前、中央図書館玄関、割烹一の矢の宴会場....おもえばいろんなところでこの瞬間をむかえてきました。で、それぞれのことはしっかりと憶えています。
 幸か不幸か、いままでそれほどイメージと違った人というのはいませんでした。逆に外見から受ける印象というのがないから、本当にその人が見えるのかもしれません。実際にあったことのある人とメールの交換をはじめてその人の意外な面を発見することはありますが、逆はあまりないような気がします。ふすま越しのお裁きではないですけど、人の外見とか表情とかに惑わされる事ってかなり多いのかなあと最近感じています。そういうものがないネットの世界って、本当にすごく新鮮で心の通じ合った人間関係が作れるのかもしれません。まあ、はまりすぎると出てこれなさそうなので、程度問題なのでしょうけどね。


1996年12月26日:年末のご挨拶

 修論の締め切りは1/10。ということで、今年のわたしにはクリスマスもお正月もありません。というよりも、1/11がお正月のようなもの。それまでは年末と思ってがんばります。そんなこんなで、今年は年賀メールも出せません。年賀のお返事もいたしません。というより、すべては1/11からですね。あと2週間と1日、落馬しないように気をつけて突っ走りたいと思っています。
 では、みなさまよいお年を。


1997年1月16日:さあ冒険だ

 新年あけましておめでとうございます。修論もあけて、気分的にもやっと新年を迎えられたという感じです。本年もよろしくお願いします。
 今年は様々な意味で、チャレンジの年になると思います。公私ともどもいろんなことがある予定ですし、起こりそうな予感がします。毎年思うことですが、1997年がなければ今の自分はないと後で思えるような充実した一年を過ごしたいものです。
 わたしの朝の愛聴番組(?)に「ポンキッキーズ」があります。この番組のテーマソングとでもいうべき曲が和田アキ子さんの歌う「さあ冒険だ」です。今年は冒険の年です。この曲を今年のテーマソングにして、一年がんばってゆきたいと思います。
 みなさん、一緒にがんばってゆきましょう!


 ポンキッキーズの歌は、ポンキッキーズのプログラム一覧表で確認できます。前に書いてある歌は8:08頃から、後ろに書いてある歌は8:23頃から流れます。また、「さあ冒険だ」はテーマソング扱いですからそのほかの場面でも良くでてきます。ガチャピンが様々なスポーツに挑戦するシーンのバックに流れるというのが代表的で、あのガチャピンがロッククライミングをしたり潜水をしたりスキーをしたりスカイダイビングをしたりというすごい姿が見れます...(おそらく、体育の出身者とかが入っているのでしょうね)。


1997年1月28日:唐獅子株式会社

 先日、アパートで本の整理をしていたら「唐獅子株式会社」なる題名の文庫本が出てきました。おそらく中3から高1の時に読んだ本です。大阪のやくざがある日突然、大親分の命令で「社内報」を作ることになる。巻頭言を書くのは大親分、表紙は大親分の背中の入れ墨のヌード...。その後も愛すべきやくざ達がテレビ局を始めてみたり、映画を作ってみたり、外国に「大使」として出かけていったり...。様々なCMや小説や風俗のパロディーを折り混ぜてのはちゃめちゃ小説です。パロディーとなるネタの時代背景が若干古く、なんだかよく分からないけどとにかくそのパワーで読んでしまったように記憶しています。
 考えるに、私は小学生の頃から北杜夫さんの「マンボウシリーズ」などに親しんでおり、わりとパロディーやユーモアのある文章になれてきたとも言えます。とりわけ「どくとるマンボウ青春記」は大好きで、何度も何度も読んだものです。そこに描かれていた旧制高校生のはちゃめちゃな生活や、どうしても解けない問題に対する珍回答などは今でもときどき思い出しては吹き出してしまいます。これは中学入試の勉強をする振りをして読んでいたことを憶えていますから、だいたい10-12歳の時です。
 このような人格を完成する時期にユーモア的なものに多く触れてきたというのは、私の人格形成に大きな影響を与えているように思えます。ついついあまのじゃく的に振る舞いたくなるというか、ちゃかしたくなるというか...。まじめになればなるほどそうなりますから、わりと困った性格です。現実の私を知っている人は、「ああ、ああいうところか」と苦笑されていることでしょう(笑)。でも、深刻になりすぎない点はいいですし、ちょっとした毒というのは社会生活上の一種の清涼剤になるような気もします。
 最近、「筑波のなぞ」関係で「何であんなこと思いつくのですか?」というようなメールをよくいただきます。あのページもまあ、こういう素地があって書けているというわけなのです。  


1997年2月3日:兵庫県

 最近、いろいろな事で兵庫県について考えることが多いです。それは、別に進路に関係あるとかそういった話ではなくて(笑)、ニュースで話をしていた相手がたまたま兵庫県の人だったり、雑誌に載っていた兵庫県のお国自慢で「淡路」を忘れた記述に出会ったりというような理由です。
 兵庫県って、県としては広さ的にも、経済規模や県庁の予算規模・職員数など見ても、県と名のつくところでは一二を争う規模なのだそうです。(明治政府が、ある程度意図的に兵庫県を大きくしたそうですが。)ところが、というかそれゆえか、兵庫県というのは県としてのイメージは薄く、県民性というのもはっきりしないし、全国の都道府県の中でもなんとなく陰が薄いのは否めません。県人会なども他県に比べると非常に少ないそうです。たしかに神戸の人間と淡路の人間と豊岡や浜坂の人間と姫路の人間では、共通の話題がかなり少ないのも事実です。
 ただ、今時代は多様化の時代です。非常に強くて独特の県民性とかはたしかにうらやましいのですが、それはともすれば保守的で画一的な地域になってしまう可能性があります。その点、兵庫県はさまざまな風土があり、さまざまな歴史的背景を持った街があり、さまざまな人々が住んでいます。そして、その多様性は楽しんでしまえば十分に楽しいものです。海のレジャー、山のレジャー共になんでもござれですし、温泉一つ取ってもひなびた温泉から近代的な温泉まであります。スキーもできれば、海水浴もできます。日本海の海の幸も、瀬戸内海の海の幸も楽しめます。田舎を楽しむこともできるし、都会を楽しむことも簡単です。兵庫県の面白さはこの多様性にあるのではないかと思います。
 県にいるときは兵庫県民はそれを当たり前の事として受け入れているのですが、外に出るとわりとこれってすごい事だなと思うようです。私自身も兵庫から離れて兵庫県や神戸市のよさを知ったところがあります。震災とかいろいろと大変なこともありましたが、その持ち前のパワーと多様性でより素晴らしい地域になって言ってくれることを祈っています。そういえば、生物学的には多様性ってなんらかの厳しい環境にさらされたときにこそ威力を発揮するという事になっているんですよね。
 とまあ、お国自慢をしておいて、一週間ほど実家に帰ります。それでは、しばらくのあいだ、さようなら。


1997年2月22日:北海道は暑かった

 ここしばらく帰省をしていました。というよりも、実は帰省中、筑波を通り越して北海道に両親と家族旅行をしていました。冬の北海道3泊4日のツアーです。旅行中ずっと天気に恵まれ、吹雪らしかったのは石北峠越えの一度だけでした。でも気温の方はさすがに寒くて連日マイナス15度とか20度とかでした。おそらく北海道にいた間中、屋外が零下でなかったことはなかったと思います。
 ところが、北海道というのは外は確かに寒いのですが、室内や車内は非常に暖かいのです。暖かいというよりも暑いという方が適切かもしれません。どこも暖房が非常に充実していますし、設定温度も本土に比べて高めだそうです。観光を終えてホテルに着くと、まず汗を流しに温泉に入りました。また、あるホテルではあまりに暑かったのでTシャツ1枚で布団も掛けずに寝てしまいました。それでも全然寒くはないのです。まさか北海道でこんな体験をするとは思っていなかったのでちょっと意外でした。
 もしかしたら、たとえば茨城県のような中途半端に寒い地方が、実は日本で一番寒いのかもしれません。厳しすぎる環境におかれると人は何とかしようと努力して、それなりにいい環境を作り上げてしまうようです。中途半端というのが、実は結果として一番つらかったりするのかもしれません。


1997年3月4日:水泳が好きなわけ

 ぼくが唯一好きなスポーツは水泳です。大学のプールの一般公開なども割と喜んで通っています。女の子の水着姿が見れるからというわけではなくて(笑)、ちゃんとした理由があるのです。
 実際の私を知っている人は納得されるでしょうけど、ぼくは全くの運動音痴です。小さい頃からボール遊びよりも図鑑を読んだりするほうが好きでしたし、かけっこもいつもビリ、鉄棒とかもぜんぜんだめでした。そういう訳で、小学校1年生の時に半ば強制的にスイミングスクールに通わされたのです。行くのをかなり嫌がったのを今でも憶えています。さらにスイミングスクールは級別になっていて、案の定私は憶えが悪いためなかなか上の級に上がれずつらかったのを憶えています。
 ところが、いざ小学校に戻ってみると自分ほど泳げる人というのはそんなにいなかったのです。スイミングスクールの中では劣等生でも、小学校の中では優等生だったのです。普段は「2」だった体育の成績が、水泳の授業があるときだけ「3」だったのです。体育はどうがんばっても無駄だと思っていた自分にとって非常にうれしい事でした。そんなこともあって、水泳というのは(それほど得意ではありませんが)唯一の好きなスポーツとなりました。今でも泳ぐのは大好きですし、大学の体育でも水泳を取っていました。

 最近、「個性をのばす教育」「選択肢の多い教育」というものが求められつつあります。子どもにとって楽しい授業や学校というものを求める動きというのも活発です。理不尽な校則などはどんどん廃止されつつありますし、教師の体罰なども以前に比べるとだいぶ減ってきたようです。そのこと自体はうらやましいですし、非常に望ましい方向性だろうと思います。でも、教育を受ける方に取ってはとってもつらい事や苦しいこと、個性にあわない事や理不尽だと思えることが、実は後々の生活に役立つということも往々にしてあるのではないかと最近思うのです。


1997年3月13日:こんばんわ

 先日、学部時代のサークルの同期旅行がありました。行き先は今話題の伊豆だったので一時はどうなることかと思いましたが、それほど大きな地震もなく、天気も非常によくて楽しい旅行でした。女の子の中にはもうすぐ結婚という人もおり、また多くの人が実際に社会人として活躍をしていて、変わらないところ変わったところをお互いに感じながらのおしゃべりもとても楽しいものでした。
 私は旅行中ずっと他の人の車に乗せてもらっていました。もちろん帰りも筑波まで送ってもらいました。で、帰りはある女の子が運転する車に乗せてもらって帰ってきました。当然ながら高速道路を使いましたので、何回か料金所を通りました。そして、彼女は料金所を通るたびに料金収集員のおじさんに「こんばんわ」と声をかけてからお金と通行券を渡し、お釣りと領収書を受け取ったあとは「おつかれさま」と声をかけたのです。料金所というのは無言で、どちらかといえば無愛想に通り抜けるものだと思っていましたからはじめに聞いたときはちょっと驚きました。でも、よく考えてみれば一言二言あいさつをしたからってそんなに所用時間が変わるわけではありませんし、むしろお互いに非常に気持ちがいいのではないかと思います。もともとしっかりとした人でしたが、心配りもさすがだなと感心してしまいました。
 私は某百貨店の食品売り場でアルバイトをしています。百貨店というのは実体はテナントの集合体なので、割とお互いをよく知らない状態で働いています。ですから、売り場やバックヤードで出会っ 品売り場が全面改装されて新しいテナントや職員の人が入ってからちょっと雰囲気が変わってきたのです。私も全然知らない人からあいさつをされて驚くこともありました。それでもあいさつをされれば嫌な気分はしないものです。そして、自分も直接知らない人でも出来るだけ多くの人にあいさつをするようになりました。どうやら、そんな積み重ねでなんか売り場もかなり明るくなってきたような気がします。実際のところそれがお客さんの評価や売上にも影響しているようなのです。
 あいさつぐらいと思いますが、実はちょっとしたあいさつでですごく気持ちのいい世界が作れるのかな、と思いました。


1997年3月18日:小ネタ集

今回はあまりいいネタも思いつかないので、「小ネタ集」にしました。

・最近好きな飲物
 「ポッカ飲みもの用レモン」の水割り(笑)。
 もともと酸っぱい物が好きなんですよね。ずっと前に実家にいたとき、弟と自分で一 日で450mlを空にしてしまい怒られたと言うよりあきれられたことがありました。それ以 来、割とファンです。最近体重の事とか気になり、で、あまいジュースとか飲むよりい いだろうと思っ て、ポッカレモンの水割りにまたこっています。ワンフィンガーもツーフィンガーもそ れぞれ独特の風味が味わえますし、ロックにするのも乙な物です。みなさんもぜひお試 しあれ。

・最近好きな曲
 ガーシュインってすごいやん、と思っています。ラプソディーインブルーとかパリの アメリカ人とかはもちろんですが、「ボギーとベス」が本当にいい!これまでアメリカ の作曲家の曲ってあんまり聞かなかったのですけど、今後はどんどん聞いてみたいなあ と思っています。

・最近衝動買いしてしまった物
 ベランダにあるギガンチウムの鉢があまりに小さくてかわいそうだったので、近くに ある園芸屋さんで大きめの鉢を買いました。それだけだったらよかったのですが、つい つい近くで売っていた鉢物に目がいって、結局アザレア(西洋つつじ)を一鉢買ってし まいました。いま 、アパートのこたつの上で満開です。非常に華やかな中にも可憐さもあって割と気に入 っています。もうしばらくは楽しませてくれそうです。

・最近密かに、本当に密かに凝っていること
 「小鼻パック」(笑)。内緒ですよ。
 先日いとこの家にいったときにおばさんにやられたんですよね。「面白いよ」ってこ とで。で20分ぐらいたってはがしてみると、割とびっしりと角栓が取れるじゃないです か。あまりに面白くて、ついつい薬やさんで買ってしまい自宅アパートでもやっていま す。ただ、最近は 何回もやっているせいか収穫量はいまいちです。ちょっと漁獲制限をして、資源の回復 を待つかな(笑)。
 おそらく「きれいになりたい」というよりもこの面白さがヒットの原因なのでしょう ね。

いよいよ、私の好きな3月も半ばです。もっともっと楽しい、そして有意義な月にする ためにがんばってゆきたいです。


1997年4月3日:段ボールの中から

 先週、研究室の物を自宅に引き上げる必要があり、その中にコンピュータ一式もあったため2週間ほどネットにアクセスできませんでした。読むことだけはできたのですが、お返事ができませんでした。昨日、やっとPPP接続に成功しました。これからはそれなりにネットもやれそうです。今までのようには行きませんが、今後もぼちぼちと更新して行きたいと思います。
 ところで、研究室からの物がアパートに来るということでアパートにあった物の整理も行いました。そのときに大学学部1年生や2年生の時の物がいっぱい出てきました。引っ越しの時に捨てられずに持ってきて、段ボールに入れたままになっていたようです。18ー20歳の一番楽しかった頃の写真や書類は見ていてもとてもなつかしかったです。
 当時、「もしかしたら今が人生の中で一番いいときなのかもしれない」と思っていました。で、この思いは今でも変わりません。すなわちあのときほど楽しい思いをしたことはあれ以来ここ5年ではないです。あのときが一番いいときだった、というのでもまあいいのです。少なくともあのときは「生きている」という感じを感じることができましたし。でも、できればもっと素敵な時がまたいつの日か来るように、努力したいと思っています。


1997年4月10日:ダイエット

 ここ半年ほどダイエットに心がけています。ブームに乗った訳ではなくて、ある時体重計に載ったらあまりにも重かったので「これではいけない」と思い気をつけはじめたのです。とはいっても、間食をしないとか、夜あまり食べないとか、ジュースの代わりにレモン水(水にポッカレモンを入れた物)を飲むとか、野菜を食べるとか、適当に水泳をするとか、そんなぐらいでした。でも、それまでがかなり不摂生な生活を送っていたらしく、あまり苦労せずに10kgほど痩せることができました。これでもまだあと10kg以上痩せないと標準体重に届かないのですが、病的な状態からは何とか脱することができたようです。
 僕の場合はどちらかというと「食べる物を減らす」ダイエットだったので、当然ながらとても食べたくなるときがあります。でも、水を飲むとか歯を磨くとかすると気が紛れて、またあまりおなかが気にならずにいろんな事をすることができました。「せっかくここまで我慢したんだから、もうちょっと我慢しよう」...と食べる時間を遅くしてどんどん食べる回数や量を減らしました。ところが、そうやって我慢していると、徐々に食べることがまるで悪いことのような気になってきたのです。それと、だんだん食べなくても平気な感じになってきました。おなかが空いている状態が妙に心地よく、活力も湧いてくるような気がしたのです。私はまがりなりにも心理学を学んだ者ですから、「これはやばい」と思ってそのときは一時ダイエットを中断しました。自分は食べることが大好きなので絶対拒食症とかにはならないだろうと思っていましたが、なんかその入り口がかいま見えて、恐いけど興味深い体験でした。


1997年4月18日:あなたの故郷の

 最近、買い物が楽しみになっています。主婦のようだなと思いつつ、野菜とか肉とかを買っています(魚は買いません(笑))。先日、つくば市内の某スーパーに行ったところ、野菜とか肉とか、あるいはそのほかの様々な食材に「あなたの故郷の製品がつくばに届いています ○○県」というようなカードが付いているのを発見しました。4月の筑波というのはたしかに様々な地方から来た人が集まっていて、ちょっと故郷をなつかしく思う時期でもあります。そのようなときにああいうカードを見てしまうとついつい懐かしくなって買ってしまうものなのですよね。やはり北海道とか東北とか関東地方が多かったのですけど、意外と西日本からのものもありました。「あなたの故郷の製品がつくばに届いています アメリカ」なんていう、つくばならではのもありました。
 でも、ああいう札がないとどこの地方から来ているかなんてあんまり気にしないですよね。でも、それぞれの作物とか食品には、生まれ故郷や育った故郷があって、そこでいろんな人の手にかかって、何らかの訳があってつくばに送られることになって、様々な手段でつくばに送られてきて、それで一つのスーパーに並べられているのです。普段はあまりそんなことを気にしないのですけど、同じ用に並べられている野菜や食品にも一つ一つにそれぞれの物語があって、ものすごい偶然でここに来てここで自分と出会っているのだな、とちょっと考えてしまいました。
 ちなみに、わが「兵庫県」のはざっと見た感じではありませんでした。で、おそらくあるだろうなと狙いを定めて海苔売り場に行ったところ、ちゃんとありました。意外と知られていないのですが、兵庫県は日本一の海苔の産地なのです。


1997年4月25日:ひかり号の旅

 私にとっての田舎は東京ですから、東京ー大阪間の新幹線というのは数え切れないほどのっています。子どもの頃は車窓から見える茶畑や田圃の広がる風景が、自分にとっての「一番の田舎の風景」でした。中学校・高校になると新幹線にはあきてしまい、ブルートレインや大垣夜行などというオプションが出てきました。また、当時から旅行は好きでしたから、途中下車をして東海道沿いのいくつかの町は実際に歩いたりしました。そこを新幹線で通過する度に「ああ、ここはこういう町だったな」と思い出していました。
 大学生になってから、全国各地出身の友人達と巡り会うこととなり、「あっ、ここは○○さんの出身地だな」と思いながらいくつかの町を通り抜けるようになりました。そして、大学院生となった今、友人達は全国に散ってゆきました。ひかり号は彼らが活躍しているであろう町を通り過ぎてゆきます。そして、ネットを通じて全国各地にまだ見ぬ友人を持つことができました。ひかり号は彼らが生活しているであろう町を通り過ぎてゆきます。またいろんな事を感じながらのひかり号の旅ができそうです。


1997年5月3日:どらえもん切手

 何も書くことがないので、昨日買ったどらえもん切手の話でも。
 昨日は、どらえもん切手の販売日でした。シール式で80円切手が5枚、計400円です。以前のアトム切手の例を見ても分かるとおり、今回のどらえもん切手もどうせ大人気なのは分かっていました。なので、9時ちょうどをめがけて大穂郵便局まで行ったのです。
 ところが、いきなりの大行列。みんな「どらえもん切手」を求めに来ていたのです。郵便局ではひとり1シートずつしかうってくれないため、買っては列に並び、買っては列に並びしていたのです。結局わたしも粘りに粘って8枚買いました。
 郵便局としては死蔵してくれることを望んでいるのでしょうが、せっかくなのでどんどん使ってやろうと思います。当面は、僕からの封書にはどらえもん切手が張ってあると思いますよ。
(今回はオチもなんにもないです。)


1997年5月11日:美しい女性は性格がいい?

 美しい女性は性格がいいと一般に思われるようです。テレビなど見ていても、文字どおり「才色兼備」な女性達が出ていますし、その人達はみな性格も良さそうな感じです。このように、外見がよいと内面もよいだろうと思うことは、私だけのことや、日本だけのことではないらしく、アメリカなどでもそうなようで、心理学でもいろいろと説明されています。
 一番有名なのは「一貫性」という話です。すなわち、相手を判断するのに外見が良ければ内面もよかろうという一貫性を求めるということです。たしかに、古典的な演劇や今でも特撮ものなどでは、悪者はいかにも悪者というような顔つきや服装をして出てきます。人間は相手を判断するのにできるだけ単純な判断をしようとするため、このような一貫性ができてくるのです。
 でも、もう一つ別の説明もあります。それは、「美しいとそれを周囲の人々に誉められるので自尊心が高まり、その結果本当に性格がよくなる。美しくないと誉められず、自尊心も高まらず、性格は悪くなる。美しいかどうかによって実際に性格の善し悪しに差があるのだ」という説明です。
 この後者の説明が学問的にどれほど認められたものかどうかはよく知りません。しかしながら、何となく自分の経験上、さもありなんという気も非常に強くしています。男性に比べて女性というのは容姿によって誉められたり、あるいは扱いが違ったりということは非常にあるような気がします、それはコンパの席一つとっても非常によく分かります(笑)。それによって性格の朗らかさとか明るさとかが変わってきたとしても、なんら不思議ではないでしょう。
 この後者の説明って、ありそうなだけに非常に恐いなと思います。外見という、あまり変えられないものによって内面がある程度規定されてしまうというのは恐いことです。もちろん、外見的にもいまいちでも、非常に美しい内面を持っている人もいます。「恋をすると女性は美しくなる」というように、相手から「きれいだよ」といわれているうちに内面が変わり、それが外面にも影響してくるということもありそうです。また、逆に美しい人は過大な期待をかけられてしまい、つらいことがあるかもしれません。でも、やっぱり女の子って大変だなあと思ってしまいます。男の子だって、ある程度はこういうことはあるのでしょうけどね。


1997年5月23日:御徒町・代々木、宿毛・川内

 以前神戸の実家に帰ったときに、「激安の店100店」という番組を見るともなく見ていました。で、私はへーっという具合で見ていました。栃木での家電激安戦争の話とか、アメ横で安い店があるとかという話でした。ところが、うちの弟にいわせると「こんなのはなんにも面白くない」というのです。みんな東京や首都圏の話ですから、関西にいるものにとってはなんにも意味のない情報なのです。僕自身、関西にいたときにはそう思っていたはずなのに、関東圏での暮らしが長くなるにつれて、なんだかそういう疑問を持たなくなってしまったようです。
 最近、週の半分ぐらい東京に通っています。特定の場所に行くことも多いのですが、いろんな所を回ることも多く、東京の地名などがかなり頭に入ってきました。地下鉄の使い方もかなりうまくなってきたような気がします。で、感じるのが、有名な地名の地域というのは意外と狭いのだということ。銀座と有楽町と日比谷と霞ヶ関と永田町なんて簡単に歩ける距離にあるのです(銀座・永田町はちょっとつらいかも)。ニュースなどでもよく聞く地名だからわりと広い範囲なのだろうと何となく思っていたのですが、それぞれの区画というのは大したことがありません。ただ、伝えられることが多いので、なんとなく大きいのだという気になってしまっただけだったようです。
 たしかに東京というのは首都なので、それだけ重要なところが多く、そのためニュースにもなり、国民みんなが知っているということがあるのかもしれません。ただ、ほとんどのマスコミが東京にあって、そのために東京のことばかりを記事にしているということもあるのではないか、という気もします。トーク番組などでも、どうしても東京の話題に偏りがちです。そのため、私たちの知識というのは極端に東京に偏ったものになってしまっているのかもしれません。東京の細かい地名やその雰囲気は知っているにも関わらず、地方の大都市や県の位置が分からないといった人が意外と多い気がします。福井県と石川県と富山県の位置関係、分かりますか?
 ちなみに、御徒町(おかちまち)は上野と秋葉原の間にある問屋街の町で「アメ横」のある町です。代々木(よよぎ)は新宿の南で、明治神宮やNHK、オリンピックセンターで有名です。この二つの町は区の名前にもなっていません。一方、宿毛(すくも)は高知県県西の中心都市で漁業基地、川内(せんだい)は鹿児島県西の中心都市で臨海工業都市、最近は地震で有名になりました。


1997年6月8日:神戸では道が聞けない

 何か凶悪犯罪の犯人が捕まったことをテレビが伝えています。この犯人は挑戦状なども出していて、それと当てはまったようです。捕まってよかったなあと私は思っています。で、安心してうとうとしようとすると、急に背後から手が首に回ってきました。「へっ、へっ、本当の犯人はここにいるんだよ」。犯人はにやにやしながら自分の首を絞めてきます。どうしたらこれからのがれられるのか、なぜか冷静に考えていました....。という夢を、今朝見ました(笑)。おそらく神戸で起こった殺人事件の影響でこう行った夢を見たのでしょう。
 非常に私たち(とマスコミ)の興味を引くような殺害方法と挑戦状のために、神戸の事件の報道は過熱気味です。「おとうさんのためのワイドショー講座」によると、今週はダントツの1位で、25時間を越えたそうです。いろんな人がいろんな分析をしていますし、犯人に関連する情報もどんどんと明らかになってきています。こういう報道自体が犯人を刺激する可能性もなきにしもあらずなのですが、そのこと自体は報道の自由などとのかねあいもあることですし、たしかに見ていて興味を引かれることもありますから、仕方ないかなとおもいます。
 今、私が一番不安なのは、子ども達や大人の間にもお互いに対する不信感がどんどん募ってしまうことです。そして、相手が信じられない、やさしさというよりも不信感と疑惑の目で相手のことも見なくてはならないような社会が来てしまうことに対する不安感です。神戸の事件に限らず、最近、特に恨みや事情がないにも関わらず殺されたり、行方不明になったりする事件が多いような気がします。こういった事件の話が子ども達の心にどういうような影響を与えるのかが恐いのです。ある程度の年齢で、成人男性というある意味では一番強い立場にある私でさえ、心のどこかでは恐怖を感じているようですから。
 神戸で聞いた話ですが、あるおばさんが道が分からなくなって、小さい子に道を尋ねたそうです。すると、その女の子は急に非常に恐い顔になって、「そんなのしらなーい」と泣き叫びながら逃げていったとのこと。その女の子はおそらく親から「知らない人から声をかけられたら、その人は恐い人だから絶対に相手をしないように」とでも教えられていたのでしょう。この話が実話かどうか知りませんが、少なくともその話が「ありそうだな」と思える雰囲気が今の神戸にはあります。
 事件の分析や、犯人像の想像も結構ですが、この事件による社会に対する信頼感の崩壊も非常に大きな問題のような気がします。


1997年7月15日:女の子になりたい男の子

 ほぼ一ヶ月ぶりの「週記」となります。暇と言えば暇、忙しいと言えば忙しかったので、ちょっと更新ができませんでした。詳しい事情はいまは書けませんので、またそのうちに書きます。
 さてさて、「暇と言えば暇、忙しいと言えば忙しい」と書きましたが、いまは特に平日が暇で、土日・休日はなんやかんやと大忙しというパターンが続いています。平日はほとんど家にいるので、午前中からポンキッキーズだのワイドショーだの「どーなってるの」だのを見ています。ほとんど主婦みたいですね(笑)。
 午前9時50分頃、フジテレビの「ナイスディ」が終わると、チャンネルを1チャンネルに回します。するとちょうど「おかあさんといっしょ」が終わるところです。その後「みんなのうた」「ニュース」「気象情報」(折坂章子さん、いいですね)と続くからです。そこまでテレビを見るとまあ満足して、その後は勉強したりします。この「おかあさんといっしょ」のうたでびっくりするような歌詞がありました。それは、「ライオンになりたい女の子、女の子になりたい男の子」というものです。
以前だったら「ライオンになりたい男の子、男の子になりたい女の子」ですよね。でも、いまはどっちかといえば女の子のほうが「なりたい」性なのかもしれません。男の子優位の歌詞にしてしまうと女性団体などから抗議を受ける可能性がある....という点を差し置いても、やはりこの歌詞には時代を感じてしまわずにはいられません。最近は出産時の両親も男の子よりも女の子のほうを望むと言いますし、中学校や高校でも女の子のほうが元気だといいます。作文にせよ、討論にせよ、そして勉強にせよ、女の子のほうが概して出来がいいようです。「何とか作文コンクール」で賞を取っているのはほとんど女の子ですし、生徒会長も最近は女の子が多いそうです。また、女の子のほうがいろいろなタイプの人生を選ぶことができますから、そういったことについても女の子のほうが意識が高いとも聞きます。
 女の子が元気であることはいいことですが、その反面、男の子に元気さが見られなくなっているのではないかというのがちょっと心配です。異性としての女の子にエールを送りたいですが、同性としての男の子にも「がんばれ、男の子」と声をかけたいです。  


1997年7月28日:教育という巨大な産業

 先日、幕張メッセで行われた「教育総合展」なるものに行って参りました。全くの趣味ですが。
 学校の先生や、都道府県の教育委員会の人たちなどが主な対象のようでした。教育に関係ある企業や団体が出展しているということでしたので、まあ一番大きいのは学研とかベネッセ(旧・福武書店)かな、せいぜい教科書とかが並んでいるのだろうなと思っていきました。ところが、全然そんなことはありません。一番場所も広く、入り口入ってすぐのいい場所をとっていたのはNECと富士通。学校向けのコンピューターや電子メールの実演を何カ所も使ってやっていました。もちろん、マイクロソフト・アスキーなんかも出ていました。(やはりアップルはなかったですが...。)学校はコンピュータを大量に導入しますし、その生徒が家でコンピュータを買うときも同じ機種を選ぶことが多いでしょう。学校で自社の製品を導入してくれるというのは、その会社にとってかなり有利なことに違いありません。だからあそこまで力を入れるのでしょう。
 さらに、学校給食用の食材や調理器具なども今話題の衛生対策ということで関心を集めていたようでした。また、建設会社の「鹿島」も「今後の学校建築」ということで出展していました。ヤマハは学校の楽器やコンピュータを出展していました。ちょっと毛色が違うのが東京電力でしたが、これは原発などに見学に来てもらおうという心づもりだったみたいです。
 よくよく考えると、このほかにも文房具や家具なども学校は大量に使いますし、制服や体操服の市場というのもかなり莫大なものでしょう。スポーツ用品などもその多くは学校関連で消費されるでしょう。教育というのは明らかに産業なのだなあということをつくづく実感しました。教育というとなんだか神聖なもののような気がして、ついついその背景を忘れがちです。以前文部事務次官が捕まったとき「文部省は利権が少ないと思われていたが...」というような論評を聞いたことがありましたが、今も昔も教育というのは裏に巨大な利権を隠し持っているような気がします。
 私の出身の人間学類は旧・教育学部ですから、教育学科に当たる授業もかなり取っています。でも、そこでこのような教育産業に関する話は聞けなかったような気がします。もちろん学問としてどこまで必要かは疑問ですが、教育が巨大な産業であるという一面は教育の現状を考える際に決して忘れることのできない側面であるように思えました。


1997年8月10日:富士山に登りませんか?

 突然ですが、富士山に登りませんか?
 実は今年の夏こそは富士山に登ろう、登ろうと思っていながら、まだ一度も登っていません。あんまり面白くない山だとか、大したことはないとか大したことはあるとかいろんなうわさも聞きますが、なんといっても最も簡単にいける最も高い地点であることには間違いないです。夏休みしか(一般の人は)行けないとか、そんなことでのびのびでした。
 このままでは今年の結局登らず終わってしまいそうです。一人で登るのもあんまりにも寂しいですしね...。どうも日帰りで行くのはかなりきついようなので、泊まることが必要なようです。そうすると今から山小屋の予約が取れるかとかも全然分からないのですが...。もしどなたか、「私もずっと登りたいと思っていた」という人いませんか?もし予定などが合いましたら、一緒に「富士山の上でおにぎりを」食べましょう!!!


1997年8月18日:アイスになる町

 心理学用語で「カクテルパーティー効果」なるものがあります。パーティーのようながやがやとした場面でも、例えば別の人が自分の名前を語っているとすぐ気づく、というような(無意識の)選択的注意のことをいいます。先日、デパートの食品売場を歩いていて、半ば無意識ながらも何か視覚的に目を引くものがあったのです。なんだろうとよく周りを見回してみて、で、発見しました。私の実家の住所、「御影山手」を冠したアイスバーがあったのです(実家の住所は兵庫県神戸市東灘区御影山手4丁目)。
 その名も「神戸・御影山手アイスバー」。作っているのは神戸のお菓子やさん「モロゾフ」。筑波西武で売っているぐらいですから、おそらく全国販売されているのでしょう。現に渋谷東急・東横店でも見かけました。チョコレート味が200円の、コーヒー味が120円。チョコレート味はかなり濃厚な感じで、ちょっと夏向きではない気がします。コーヒーの方がさわやかでちょっとほろ苦くて、夏には向いている気がします。
 しかし、なんで「御影山手」なんでしょうか。たしかに、モロゾフさんは御影に工場を持っていますから、御影に縁もゆかりもないわけではありません。でも、御影山手にはアイス工場なんて全くありませんし、アイスの有名なお店もないし、基本的には特に変わったものもない住宅地です。芦屋・六麓荘のように巨大な邸宅が並んでいる地域でもありません。アイスの袋には教会なんかがあるおしゃれな町並みが描かれていますが、こんな場所は見たことないです。結局、イメージなんだろうなと思います。「御影」という高級住宅街イメージと、「山手」という異人館のイメージを組み合わせて「御影山手」にしてしまったのかもしれません。自分の住んでいた町のイメージがいいことはうれしくもありますが、ただあまりにも実体とかけ離れてしまっているというのはちょっと複雑な気分でもあります。
 あのアイスを見て「神戸に行ったらぜひ御影山手に行ってみたい」という人がいたら愉快だろうな、となんとなく考えてしまいました。


1997年8月26日:あさがおネット

 あさがおネットと言ってもプロバイダやパソコン通信ではありません。自宅のベランダに置いてある朝顔の網のことです。去年はベランダの手すりに巻き付けさせようとしたのですが、どうも間隔や太さが朝顔にあわなかったようで、ちょっと見ていて痛々しかったのです。今年はちゃんと園芸用ネットを張って待っておきました。おかげでベランダの壁一面に朝顔のツタが張り、ちょっとした日除けになっています。
 去年の朝顔の種も全部蒔いてしまったため、朝顔だけでプランター6個分。これはちょっとした壮観です。一日に20個ぐらいの花が咲きます。ちゃんと枯れた花とか取っていないのですがそれでもなかなかに美しいです。ときどき水さえ与えていれば、ちゃんと毎朝毎朝律儀に花を咲かせてくれている朝顔。こちらに何が起ころうと同じように毎朝咲いている朝顔。自然と言うにはほど遠いプランター花壇ですが、でもなんとなく自然の不思議さとか、自然の大きさとかを感じさせてくれます。
 今年もまだまだ大きくなるようで、去年の経験から言うとおそらく10月半ばまではどんどんと咲き続けるでしょう。で、そのあとは種が去年以上にたくさんとれるはずです。少しだけ秘密につくばのどこかに蒔いていってしまおうかなと今から考えています。で、残りの種は来年住んでいるところに植えようと思います。


1997年9月10日:日心、参加します。

 どうしようかずっと迷っていましたが、結局日本心理学会での発表をすることにしました。
 申し込みの時点で、もう心理学の研究者の道を断念することは決めていたのですが、せっかく修論をやったのだし、日心の会員になって一度も発表をせずに終わるのもなんだと思い、エントリーしておいたのです。どちらにせよ、心理学者として最後の行事だなあとは思っていました。
 そうして、就職活動などをぼちぼちと行っていました。面接などで修論について聞かれることもありました。そこで気づいたのです、「かなりのことを忘れている」ということに。法律や経済の勉強をしていたせいか、心理学の知識の多くがすっぽりと抜け落ちていることに気づいたのです。修論でどんな実験をやったのかは憶えているけど、それに関係する重要論文の意味が思い出せない。結果は分かるけど、それをどのように理論的に導出したかは憶えていない。論文の作者だの、ネズミの近郊系の名前だのが出てこない。本当にこんな半年ぐらいで、こんなにすっぽりと知識が抜け落ちてしまうなんて思いませんでした。いまさら学会発表もないだろうという気にもなりました。
 さらに、学会発表をやって、何らかのアドバイスをもらってもなんにも今後に生かせません。誉めてもらっても、それだけです。事情を知っている人はなおさら何を言っていいか困るでしょう。自分としてもどうしたらいいか困る局面はありそうです。
 でも、学会発表には、「とりあえず自分はこういうことをやった」という報告の意味あいもあります。また、これまで使ってきた被験体や多くの時間を無駄にしないためにも一種の「データ供養」が必要だと思いました。論文を書くだけの時間や気力と知識はもうないため、せめて学会発表ぐらいは義務としてしなくてはという気もあります。これまで自分のやってきたことは全然意味がないとは思っていないのですから、そのためにもということがあります。
 そして、おそらくこの学会でお会いできるのが最後の方が多いのではないかという気もしました。これまでお世話になってきた人々にご挨拶をしたいという気もあります。これまで会ってきた人、メールだけで知っている人、こちらは知らないけど向こうは知っている人、いろんな人と実際会ってみたいと思っています。その最後のチャンスはおそらく今回の日心なのです。
 さまざまなからみもあって、結局、最初の日17日だけ日心に行くことにしました。自分の発表は午後です。会場でお会いできましたら、ぜひ気軽に声をかけて下さい。



(これ以前は未確認)
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