いそべさとしのホームページ

過去の2日に1回日記(旧・お知らせ)保管庫(2010年1月〜3月)


←2009年10月〜12月へ
2日へ1回日記目次へ
2010年4月〜6月へ→


明けましておめでとうございます
 いよいよ2010年が始まりました。
 今年の抱負としては、まずは3月の舞台技術学校卒業公演でしょう。4月以降どうするかは決めていないのですが、とりあえず今のメンバーで出来るのはこれで最後ですし、自分にとっても大きな節目であることには間違いありません。1月1日から舞台プランを考えざるを得なくなっていますが、それだけ充実しているとも言えます。逆に、これがなくなった後、他に熱中できるものが探し出せるのか、そろそろそれも不安になってきてはいるのですが、まずは目の前の卒業公演に全力投球!その後のことは、終わったあとゆっくりと考えましょう。
 そして、5月には上海万博。国内は、筑波科学博、大阪花博、愛知万博と行っているのですが、海外での万博は初めて。すでに飛行機とホテルを押さえ、指定日の入場券も購入済みなのでまずは安心ですが、果たして海外の万博がどこまで楽しめるか。今年の新しいチャレンジです。ちなみに、事前調査も兼ねて、上海万博のページを作るつもりです。
 もちろん、7月・9月の仕事のイベントも3年目ですから、きちっとこなしていかなければなりません。公務員職場の場合、3〜4年目の異動が通常なことから、来年が事実上、最後の年になる可能性は高いと思っています。思い残しがないよう十分にやりたいことをやるとともに、次に引き継ぐためにマニュアルをまとめることも考えていこうかと。あわせて、今後、本当に自分がどんな道を選んでいくのか、そろそろ真剣に考えないととも思っているところです。
 いずれにせよ、2010年もいろんな人といろんな場面で絡んでいくはずです。今後とも、よろしくお願いします。(2010/1/1)

年賀状事情
 今年は年賀状の数を思いっきり減らしたのですが(12/9の「2日に1回日記」参照)、どうも案の定、思い切りが過ぎたようで、1月1日に20枚近く追加で書かなければならなくなりました。とはいえ、想定の範囲内だったので、また新たに家のプリンターでがちゃがちゃ印刷し、ひと言書き添えて、出してきたところです。
 ところで、そういうお年頃なのでしょうか、年賀状の内容が非常に多様化してきています。ありがちなのが、結婚しました→子どもができました→二人目が生まれました→転居しました(家を買いました)と、順調に人生のステップを踏んでいるケース。2人の写真→子どもの写真→家族全員で家の玄関で撮った写真と推移します。ありがちなパターンで、堅実な公務員には結構いらっしゃるのですが、決して多数派ではありません。
 一方で、いまだに独身の人は、「極端に趣味に走ったはがき」か「半分義務で出したような地味なはがき」かのどちらかに分かれます。私自身を振り返ると、ダイエーで適当な柄の印刷をお願いしていた去年までは後者、旅行写真を入れた今年は前者かなと思います。ともあれ、独身であっても大きく2つの傾向に分かれるというのは興味深いところです。また、今年は「離婚しました」はがきも2通ほどありました。本当に、年賀状も人生も、人それぞれです。
 何が人生勝ち組で負け組なのか分かりませんが、格差社会というか、ライフプランが多様化しつつあるということを、新年から感じずには居られません。ただ、自分個人としては、適度に楽天的に、適度に計画的に、日々を楽しく生きていくしかないのかなあとも思っているところです。(2010/1/3)

仕事はじめに思う
 公務員は昨日から仕事はじめ。さっそく、普通に仕事をしています。今年のお正月は日取りの関係で短かったのですが、たかが6日間のお休みでも体がだれていたようで、疲れが出たのか今日は朝からあまり調子がよくありませんでした。帰宅後、3時間ぐらい寝たところ、だいぶ元気が出ました。明日から舞台技術学校3連続なので、今日のうちに体調を整えておかなければなりません。
 いくら楽な仕事とはいえ、1日の中ではなんやかんやあり、結構疲れます。その仕事の後、学校に行くというのはやはり相当無理をしているようです。とはいえ、昨年度のように単に帰宅するだけだと、結局ネットサーフィン(死語)だのゲームだので時間をつぶすこととなってしまい、非常に非生産的です。
 よく思うのですが、何事にもなかなか中間地点ってないなあと。忙しくもひまでもない状況って、個人の中でも、集団の中でも、本当にないんです。「中庸」って実際はないからこそ理想なのかなと思ったりする、仕事はじめでした。(2010/1/5)

ライフライン途絶
 今日、舞台技術学校から帰ってきて、パソコンを開けるとネットにつながりませんでした。自宅のネットはもとは光ケーブル(FTTH)なのですが、最後がワイヤレスLANのため、なぜか時々つかながらない時があるのです。電話機と私の部屋が1階と2階でかなり離れているうえ、同じワイヤレスLANを私と親とで共有しており、さらにどうも周囲の家で別のワイヤレスLANを使っている人がいるのが良くないのかもしれません。しかし、ネットがないと友人ともメール連絡ができず、天気の確認もできず、この日記のネタ探しもできません。大げさかもしれませんが、社会から隔絶された感があります。もはや、電気・ガス・水道・電話などと並んで、ネットは重要なライフラインであり、インフラの一つとなってしまったのでしょう。
 先日、平成元年に建築がはじまったあるビルについて、その建設工事の具体的な内容を調べたことがあるのですが、当時はLAN工事も、ICカード対応も、セキュリティ対策(防犯カメラなど)もほぼ無縁でした。しかし、いまやそれらの施設は、ビル建設時にはほぼ必須となってきています。平成時代は失われた10年とか20年とか言われているのですが、そこは確実に進歩(というか変化)しているわけです。もちろんそれだけ便利にもなってきているのですが、設置にも維持管理にもコストもかかっている訳で、行政がなかなか新しい建物を建てられなくなったのも分からなくは有りません。
 さて、次の20年先にはどんな工事・設備が標準になっているのかなと、ちょっと楽しみで、不安でもある今日この頃です。(2010/1/7)

数値目標(関西の演劇活性化プロジェクトシンポジウム感想)
 今日はピッコロシアターで行われたシンポジウム「創造の継続と観客」を聞いてきました。関西の小劇場関係者が集まり、停滞が言われている関西演劇の活性化に向けて、討論を行ったのです。近年大阪から大規模・小規模を問わずホールがどんどんと消えています。そして、有名な劇団であっても行ってみたら観客は非常に少なく、来ているのも別の芝居で見た役者さんばかりだったということも多いのが現状です。この手のシンポジウムはピッコロでも始めてだったそうで、公立演劇ホールとしてまさにふさわしいイベントではなかったでしょうか。
 「環境と状況を分けて考えるべき」「そもそも関西にどこまでの“実力”が残っているのか」「潤いの欠けた社会の中で劇団や劇場が“たまり場機能”を果たすべき」「演劇の観客力が落ちてきている。若い人が難しいものを見ようとしない」「演劇の状況を話しているとどこか“公共の役割”の話になる」など、なかなか興味深いお話が繰り広げられたのですが、今一つ掘り下げ不足だったのが、観客数に関すること。少子化もあるのでしょうが、近年、四季や宝塚などの商業演劇でも観客数減少が非常に大きな問題となってきています。演劇の活性化とは、その道筋はいろいろとあるのでしょうが、最終的には観客数の増加ではないでしょうか。観客数が増えれば劇団の収入も増え、それを次の作品やあるいは劇団員の生活に充てることができます。また、観客数の増加は、それだけ多くの人々から演劇が受け入れられている厳然たる証拠であり、行政も大企業も多くの人に受け入れられているものにお金を投資するのは当然のことです。演劇冬の時代、相次ぐ劇場閉鎖も、演じる側(創造者側)の問題というよりはむしろ、観客数が減っていることの帰結であるという気がしてなりません。
 小劇団関係者には商業演劇を馬鹿にする人が多いのですが、あの世界はあの世界で綿密なセオリーとシミュレーションの中で、最適な解を求めた創作活動をしています。様々な確執を乗り越え、率直に良いところは真似して取り込んでいくようにしないと、本当に近々小劇場系演劇は消え去る日が早々に来るのではないかと思わなくもないのです。(2010/1/9)

テレビの力
 土・日・月と3連休だったのですが、日・月はひたすら技術学校の模型づくり。基本的なプランはある程度できていたのですが、劇場の箱を作るのが実に大変。さらに途中で、ピッコロまで運ぶ方法がないという根本的な問題に直面し、なんとか運べるように手戻りが発生するなど散々でした。とはいえ、こつこつとこういう作業をするのは嫌いではありません。
 ところで、今回は作業をしながら、テレビを見ていました。お正月に「新春かくし芸大会」を見ながら作業をしたのがなかなか楽しかったので、それに倣ったのです。ピッコロ学校生の間で大人気の「四国一周ブログ旅」をはじめ、まじめな経済ドキュメンタリーから、アニメソング番組まで。作業(工作)しながらのながらTVだったのですが、この2日間で「高知県ではぼうしパンが名物」とか、「ウズラの卵割り用のはさみがある」とか、「電気自動車の蓄電池を電気の貯蔵庫として使うプロジェクトが進んでいる」とか、「3色おはぎが東日本は『あん・きなこ・ごま』で西日本は『あん・きなこ・青のり』」とか、「九谷焼には落ち着いたものもある」とか、「『生き残りたい 生き残りたい』という歌のタイトルが『ライオン』」とか、かなりの知識が手に入りました。ネットの世界では自ら積極的に求めていかないとなかなか情報は手に入らないのですが、単につけているだけでどんどん厳選された情報が提供されるテレビというのはなかなか馬鹿にすべきではないなと、改めて認識しました。
 となりの係の担当でしたが、たかが数分の県政紹介番組でも、綿密な時間割と詳細な打ち合わせ、取材先や撮影場所の選定、紹介する適切な言葉えらびと、膨大な労力がその裏にありました。そういう点で、テレビは、演劇や映画、コンサートやライブ、あるいは新聞やインターネットに全く引けをとらない立派な作品とも言えます。私自身、最近かなりテレビ離れしていましたが、今後はある程度積極的に、そして違った目でテレビも見ていこうかなと思っています。(2010/1/11)

雪国生活の経験
 今日は天気晴朗なれども、時折雪がちらついていました。そして六甲山の向こうには濃い鉛色の雲。これは兵庫県北部で大雪が降っている典型的パターンです。
 昔々、兵庫県北部の豊岡市で2年間ほど生活したためか、ついつい冬の気候には敏感になってしまいます。あの頃、神戸が快晴でも北に戻ると大雪ということがよくありました。今ほどインターネットや携帯電話による道路情報も充実しておらず、北に戻る前に県庁で道路のライブカメラを見せてもらってビックリしたことも。道路情報や積雪情報、さらに融雪パイプのありがたみなどは、雪国で生活して初めて身に染みて分かりました。それが、その後、予算の仕事に携わったときにも、ある程度生かされた気がします。
 就職3年目、但馬へ転勤したのは「もっと兵庫県のいろんな所を見てみたいので、極力遠くへ」という希望によるものでした。確かに、現地に住むことによって、雪のありがたさと怖さ、田舎で生活と仕事をすることの良さと悪さなどを、ほんの少し体験することができました。そう言う意味では、当初の希望どおり、大きな意味のある2年間であったといえます。
 人間、ありとあらゆる事、全てを体験することは不可能です。でも、できるだけ新しいことを体験し、新しい人と出会って、更に自分の世界を広げていきたいなあとも思っている、今日この頃なのです。(2010/1/13)

さびしくなっちゃうから
 本日、歌謡ショー実習が終了。美術コースはほぼ当日参加だけのお客さんだったのですが、特殊効果(?)などで十分ステージを楽しませていただきました。
 これでいよいよ、舞台技術学校のカリキュラムは卒業公演を残すのみ。もちろん、卒業公演というのは最終にして最大の山場、大ボスなわけですが、それにしてもここまで良く漕ぎ付けたものだと、あらためて改めて振り返ってしまいます。4月の入学式の際には「果たして1年間続けられるのだろうか」と不安になっていたものでした。それが、いよいよ、卒業公演を目前にしているのです。
 そしてすごいのが、私も含め舞台技術学校18期生は過去に例をみないほど多くの人が卒業までこぎつけそうなこと。仕事と体調の不具合で1回も授業に出れなかった1人を除き、21人全員が最後まで行き着き、一緒に卒業できそうなのです。全員が残ることを目標に努力した訳でなく、逆に雰囲気が甘いから全員残った面も否定はできないものの、私個人としては非常に心強く、嬉しいことです。
 いよいよあと1ヶ月半。飲みの場でも来年度はどうする?ということが話題に上がります。と、ある役者さんが、「来年のことは考えないようにしているの、さびしくなってしまうから」と一言。確かにまだ感傷に浸る時期でもないし、まずは卒業公演に向けて最大限努力し、その後次のことを考えてみるというのが最善なのでしょう。またゆっくりと考えてみようかなと思っています。
 最後になりましたが、中間発表会、歌謡ショー実習と付き合ってくださった研究科の皆さん、これまで本当にありがとうございました。そして、今度は本科と一緒にやる番です。今日も何人かの本科生が歌謡ショー実習を見に来てくれていたのですが、なんとなく場の雰囲気が引き締まってきたかなと、多少思いました。卒業公演は3月6日、7日、最後の大仕事、また新たな出会いの中で、一緒に演劇を作って行きましょう!(2010/1/15)

心あらん人 墨を入たまふべし
 大阪ドームからほど近い橋のたもとに、「大地震両川口津波記」という石碑が立っています。安政南海地震(1854年)の被害と教訓を記した石碑です。
 1854年の安政南海地震の際、多くの人が水の上なら安心と小舟に乗って避難したところ、大津波が来て大勢の人が犠牲となってしまいました。また、川岸にあった小屋は船のために損傷を受け、救助活動もままらなかったそうです。いかにひどい状況であったか、連綿とつづっています。
 と、途中で、この石碑はこう書き出します。「今より百四十八年前…大地震節も、小船に乗り津浪にて溺死人多しとかや、年月へたれば傳へ聞人稀なる故、今亦所かはらす夥敷人損いしまし敷事、隈なし」。148年前の宝永地震の教訓が伝えられていなかったから、このような人的被害が出たのは間違いないと言っているのです。約150年前の教訓を生かせなかったことを悔やんでいる。今とは時間の感覚が違うのかもしれませんが、ある意味、すごいことです。そして、「船での避難は絶対してはいけない」「何よりも火の用心が大切」「海や池の近くの新田は液状化現象が発生するので気をつけろ」などとの教訓を記しています。
 最後にこう結びます。「願わくば心あらん人、年々文字よみ安きよう墨を入たまふべし」。すなわち、「心ある人は時々碑文が読みやすいように、文字に墨を入れて伝えていってほしい」と願っているのです。そして今でも、毎年、地元の住民により墨が入れられているとのことでした。
 今日で阪神・淡路大震災発生から15年。我々は何を150年先にまで伝えることができるのでしょうか。そして、何を150年先まで伝えるべきなのでしょうか。情熱を持ちつつも、冷静になって考えていく時期なのかもしれません。(2010/1/17)

運動嫌いのスキー好き
 昨日、職場の同僚と日帰りスキーに行ってきました。17日が震災記念行事関係で出勤したため、その代休をとったのです。私は今年初で2年ぶり、同僚に至っては高校時代から十数年ぶりということで、初心者向けのコースとして定評のある滋賀県・箱館山スキー場へ。滋賀県ということで雪質・雪量を心配したのですが、ちょうど前夜に雪が降って、当日は曇りときどき晴れという絶好のコンディション。琵琶湖北部を一望できる素晴らしい景色の中、スキーを十二分に堪能しました。
 ところで、私の実物をご存知の方は分かるとおり、私はそもそも運動が大嫌いです。というか、スポーツと名のつくものは全て苦手。特に球技は親がいくら教え込もうとしても全然慣れなかったそうで、ある程度先天的なものがありそうです。そんな私でもできる(それなりに楽しめる)スポーツが水泳とスキーです。水泳は無理やりスイミングスクールに通わされたことにより憶えたものです。一方スキーは、大学時代、研究室の研修旅行がスキーとセットになっており、どうしても参加せざるを得なかったことにより憶えたものです。
 どちらも習得には非常に苦労した記憶がありますが、いずれにせよ、今はそれぞれを楽しむことができます。特にスキーは、旅行好き・変わった景色好き・一人好きの私に合っていたようで、一人でもほいほい出かけてしまうほど好きになってしまいました。私の但馬時代はスキーなしには語れないほどです。嫌なものであっても、強制的にやらされたものであっても、それが最終的に楽しくなり、人生を彩ることもあるというのは、子どもたちの自主性を尊重しすぎな昨今の家庭教育や教育現場に対する一つのアンチテーゼという気もいたします。
 ともあれ、今年はどこのスキー場も近年稀にみるほど雪に恵まれており、絶好のスキーシーズンです。1月末に岐阜県には行くのですが、さらに2月にも一人でどこかに行ってやろうかと、密かに画策中なのです。(2010/1/19)

ナンバー学群制度の恩恵(筑波大学の想い出1)
 3月下旬に筑波大学人間学類35周年記念式典が行われます。それに合わせて、ちょっと当時を振り返っていきたいと思っています。
 さて、私の通っていた筑波大学というのはいろいろと変わった大学で、一般教養がなかったり、立て看が一切なかったり、大学なのにクラスがあったりするのですが、受験生や外部の方に一番分かりにくいのが、学部学科がないこと。たとえば、私は心理学を学んでいたのですが、その部門の正式名称は「筑波大学第二学群人間学類心理学主専攻」というものでした。
 「人間学類」や「心理学主専攻」というのはなんとなく想像つくのでしょうが、「第二学群」というのは他ではまずわからない発想です。第一学群は基礎的分野、第二学群は応用的分野、第三学群は工学・実学的分野ということで、文系と理系を融合させるという開学当初の理想の高い理想のもとに作られたそうです。とはいえ、私が通いだした筑波大20周年のころにはだいぶ有名無実化していました。ということで、近年再編成がおこなわれ、私のいた心理学分野は「筑波大学人間学群心理学類」となりました。これであれば、学群=学部、学類=学科と考えればいいわけで、分かりやすいです。筑波移転前はもともと「東京教育大学教育学部心理学科」だったわけで、歴史的にいえばほぼ元に戻った感があります。
 ということで、ほとんど意味を失っていた学群制度だったのですが、私は1度だけその恩恵にあずかったことがあります。というのも、第二学群には世物学類があり、同一学群ということで、他大学で行われる『公開臨海実習』に参加できたのです。私自身、心理学といっても動物行動を勉強していたので、生物学では動物行動をどうとらえているのかに興味があり、無理を言って熊本大学の講座に参加させてもらいました。今もほとんど同じようですが、なんとか文系学生にもついていける内容だと思ったのです。実はこのとき台風が来てしまってかなり雨が降っており、ひたすら実習所で鳥の刺身をあてに焼酎を飲んでいたのですが、そこでの様々な会話はその後の研究や人生の選択に大きな影響を与えました。もちろん、間には晴れた日もあり、シオマネキをいかに騙すか、楽しく、頭を使いながら実習に取り組んだのをよく憶えています。
 第一、第二、第三というナンバー学群は、確かに理念だおれだった気もします。とはいえ、そのおかげで、私の大学の成績表には、燦然と臨海実習の2単位が輝いているのです。(2010/1/21)

ちょっとはまりつつあるかも…(宝塚歌劇星組公演感想)
 今日は宝塚歌劇を見てきました。去年の7月、宝塚初体験が星組公演だったのですが、その際見たのはミュージカル1本もの。その後いろいろと調べていると、どうも「ミュージカル1時間半+幕間30分+ショー1時間」というのが宝塚の通常パターンということで、今回はそのパターンの公演を見に行ったのです。というか、夢咲ねねちゃんの可愛さにひかれてというのが正直なところかも。
 ということで、まずはミュージカル「ハプスブルグの宝剣」。藤本ひとみ原作の小説を舞台化したということで、かなり展開が早いものの、短い時間の中でも訴えたいことが明確な芝居になっていました。パンフレットによると「主人公の居場所を求める旅」とのことでしたが、色恋沙汰が前面に出ないところは、男性にも受け入れやすいお話ではないかと思います。舞台は前に見た「太王四神記 ver.U」とは異なり宝塚としては簡素なものでしたが、逆に迫りと盆の位置がよく分かり舞台技術的には楽しかったです。すごかったのは、プラーク(プラハ)のシーンで、盆の回転を使って町から追放されていくユダヤ人たちの寂しげな行列を表現していたこと。舞台は円形に回っているわけで、客席からどう見えるかを計算したうえで、その場で足踏みをしたり、各人がばらばらの方向とスピードで動いたり。役者も大変ですが、それを作る演出家・振付師も、相当大変ではないかと。宝塚でしかあり得ない演出ですが、あれはすごかった。見るべき価値があります。
 で、30分の後にショー(グランファンタジー)「ボレロ−ある愛−」だったのですが、うーん、正直ダメだったです。意味や話のつながりも良く分からず、正直、途中で眠くなってきたり。自分は宝塚のミュージカルや芝居は全然大丈夫というかむしろ好きなのですが、ダンスやショーはだめなのかなあと。ただ、帰ってからいろいろと劇評を見ると「ミュージカルはなかなかの出来だが、ショーは眠い」というのがわりと一般的な評価のようで、ちょっとホッとしました。
 で結論ですが、やはり夢咲ねねちゃんはかわいいなと。娘役としては高い背丈や、どうも素顔がかなり現代っ子(たとえばこのあたりの写真とか)なところとか、宝塚フリークのお姉さま方からは厳しい評価があるようなのですが、やはりあれだけ舞台に映えるのはすごいなあと。今回は特にテレーゼ(マリアテレジア)の演技がよく、執務室で仕事をしているシーンなどは若さと健気さに加えて、一種の威厳も伝わってきました。昔ながらのかわいらしい、守ってあげたい娘役さんではないのですが、新しい時代にはふさわしいのではと思ったりもしております。男性サイドの意見かもしれませんが…。
 当日B席であれば2千円と、映画並みで楽しめる素晴らしい舞台。せっかく近くに住んでいるのですから、今後も気軽に見に行きたいと思っています。少なくとも、星組公演には通ってしまう気が、とてもしているのです。(2010/1/23)

帰宅時にお買いもの
 土曜日に三宮のお店で見かけて、「どうしようかなー」と迷っていたのですが、結局、今日の帰宅時に購入してしまいました。何だか分からない人には全く分からないと思いますが…スキーのストック(ドイツ語)です。最近はポール(英語)とも言うようですね。Lekiというドイツの会社のものですが、メイドインチェコリパブリックで、日本限定モデルとのこと。無駄に国際的…。
 今年は1月18日の箱館山(滋賀県)に続いて、今週末に高鷲スノーパーク(岐阜県)、さらに来週末には念願の蔵王温泉スキー場(山形県)に行きます。せっかくスキーに行きまくるので、何かちょっとだけでも投資しようかなと。本当はウェアとかも変えたかったのですが、まずは滑りに関係あるところからと思い、左が若干曲がってしまっていたストックを交換することにしました。本来ストックは消耗品らしいので、数年間も一つのものを使っていた方が無理だったのかも知れません。
 今回は前回(120センチ)より多少短め(115センチ)のものを。ストックの長さは初心者では長く、上級者になるほど短くなるそうです。確かに、前のストックでは若干取り回しが邪魔になりかけていたので、ちょうど替え時だったのかもしれませんね。
 この新ストックを抱えて、岐阜県・山形県を滑ってきます!(2010/1/25)

いよいよ春!ラストスパート!
 本日、卒業公演の完成台本が手渡されました。これまでもちょこちょことはもらっていたのですが、役名が入り、最初から最後までそろった台本は初めて。そして、今日から卒業公演パンフレットのための写真撮影も始まりました。いよいよラストスパートの時期がやってきました。
 もちろん、これから大きな大きな最後の山場を迎えるわけですが、残り1ヶ月半となり、そろそろお別れの季節という雰囲気が出てきた気もします。今日も、終了後、同級生らと飲みに行っていたわけですが、「もうこんな時期なんだねぇ」と語り合うお互いの姿は若干寂しそうでした。
 ところで、今日、職場でとなりの席の女性から「午後4時半だというのに明るいね。少しずつ日が長くなっているんだね」と語りかけられました。確かにそのとおりで、5時半に真っ先に退庁してピッコロに向かう際も、少しずつではあるものの明るくなっていっているような気がします。まだまだ寒いのですが、明らかに春はそこまで来ています。そして、日の長さと夜の長さが同じになるころには、もう舞台技術学校を卒業し、それぞれが新しい道を歩んでいるのでしょう。
 こういう感傷は結構好きだったりしますが、まあ、雰囲気に浸りつつも、心は冷静にして、最後のラストスパートを駆け抜けたいなと思っています。(2010/1/27)

あばたもえくぼ(映画「アバター」感想)
 今月末まで有効の映画チケットがあり、明日・明後日は職場スキー旅行のため、仕方なく午前中だけお休みをもらって、今人気の映画「アバター」3D吹替版を見てきました。意外とミーハーなので、流行り物には飛びつくのです。シネマズミントでも一番大きな「シネマ2(定員308人)」でしたが、平日の朝一にもかかわらず、3分の1程度は埋まっていました。
 で、感想ですが…とにかく、酔いました。途中からは完全に酔ってしまい、3Dめがねを外してみていました。直接見ると当然二重になってしまうのですが、それでもなんとか見れなくはなかったです。
 ハリウッド映画らしく、正義と悪が戦って正義が勝利するお話なのですが、『人間の意識を持ったアバター(分身)』という存在を置くことによって、主人公が地球人(スカイ・ピープル)側と原住民(ナヴィ)側を毎日行ったり来たりするというのは、なかなか面白い着眼点でした。葛藤が明確だし、ドラマ性もあります。 
 ともあれ、この映画の売りは惑星パンドラの美しい自然でしょう。現実にはありえない世界なのですが、自然の美しさ・壮大さとはかなさを見事に表現しています。一方、地球人の基地やマシンは若干現実感のない、安っぽい作り。まあ、日本人だからそう思うのかも知れません。
 自分が酔ったからではありませんが、なにも3Dにしなくても良かったのかなというのが正直なところです。綺麗な自然も3時間近く、3Dで見れば、正直飽きます。一度は体験しておくべきだけど、何度もみたいかというと???ではあります。
 ちなみに、表題は、うちの父がこの映画のタイトルを憶えるのに使っているそうです。ご参考まで(笑)。(2010/1/29)

多少無理はしつつ
 昨日・今日と岐阜県の奥地へ、職場の同僚と一緒にスキーに行ってきました。1日目は高鷲スノーパーク&ダイナランド、2日目はホワイトピアたかすへ。土曜日の午前中に新雪が降り、その後は晴ときどき曇りという絶好の天候で、ゲレンデの雪質もかなりよいコンディション。また、どのスキー場も、それほど巨大ではないもののバリエーションに富んだコースを持っており、十分に楽しむことができました。
 職場スキーのイメージとは裏腹に、1日目から相当ハードな滑り込み。宿に入った時にはみなすっかり疲労しており、食事・入浴後は酒盛りもせずにとっとと就寝という、高校生か大学生のスキー合宿のような状況でした。そして2日目、ホワイトピアに行ったのですが、案の定、滑り出した時には板がまったく思い通りに付いて来てくれません。「昨日の疲れがたまっているし、今日はダメだなあ。レストランで休みを入れつつ、のんびりと滑るか…」などとも思っていたのです。ところが、何回か滑っているうちに体がほぐれてきたのか、ある意味、1日目よりもすいすいと、変に力を入れることなく滑れるように。このスキー場を存分に堪能することができました。ちょっとしんどいなあと思った時にやめてしまうのではなく、多少無理してでも続けてみると、また新しい世界が切り開けていくのかもしれませんね。
 そして来週は今シーズンのメーンイベント・山形蔵王温泉スキー場です。快晴は望みにくそうなものの、雪は期待できそうです。大きな無理はせず、多少は無理をしつつ、日本有数のスキー場を楽しんできたいと思います。(2010/1/31)

2日に1回日記
 今日書いてしまうと正確には2日連続になってしまうのですが、「奇数日」という方が分かりやすいので、今後はそのパターンにしますね。
 この2日に1回日記も、なんやかんやで1年間ぐらい続いています。途中からmixiの日記にも転載しており、確実に読んでくれる人がいるのが続いている一つの理由かも。また、もともと小学生のころはずっと日記を書いていた人で、仕事でもずっと文章を書いていたので、書くこと自体はあまり苦にならないのかもしれませんね。自分で言うのもなんですが、年齢の割には好奇心旺盛・フットワーク軽めなので、書くネタにもあまり困りません。
 ちなみにホームページを始めたころは「Weekly Diary (週記)」で、週に1回ぐらい、もうちょっと長めの文章を書いていました。その頃の文章を読むと、主張が今とあまりにも変わっていないので、自分で自分の文章が楽しくなってしまいます。時代を感じさせるものなど、いくつか面白い文章もあったので、またそのうちに、ネタに困った時にご紹介します。(2010/2/1)

お墓とチュッパチャップスと(「銀色の雨」感想)
 最近、演劇の感想を結構書いているのですが、これはあとあと読み返すとなかなか面白いからです。というか、記憶力が落ちてきたのか、書いておかないと、どんどん忘れていってしまいます。ということで、しばらく前(12月末ごろ)に見に行った映画なのですが、「銀色の雨」の感想を書いておきます。
 ピッコロの同級生が関わっていたということで見に行ったのですが、それを割り引いてもいい作品だったなあと。細かい部分では、自然や風景(特にお墓[花見潟墓地]!)の美しさに比べて雨や回想のシーンがいまいち紋切り型とか、主役の男の子が他の役者さんとレベルが違いすぎて浮いてしまっているとか、いろいろとあるのですが、全編から伝わってくるほんわかとしたムードが「小さくともきらりと光る佳作」というイメージなのです。なんだか人間愛にあふれているんですよね。それが逆に悪人を悪人に描き切れていない甘さでもあるのかもしれませんが…。
 特筆すべきはヒロイン(?)の前田亜季。決して明るいだけでも、綺麗なだけでもない、なかなか難しい役だったと思うのですが、過剰でなく「思春期の男の子がちょっと気になる、綺麗な年上のお姉さん」を好演していました。最後のシーンなどは、見事に余韻を残した幕引き。前田亜季というとチャイドル(死語)のイメージが強すぎるのですが、すごくいい方向に年齢を重ねたなあという感慨も。そして、その前田亜季演じる菊枝の心象風景を見事に表現した「チュッパチャップスのような部屋」。原作には全くないシーンなので、監督さんと美術さんのこだわりなのでしょう。鳥取県の給食センター跡地に作られたそうですが、飾りつける美術さんもなんとも楽しかっただろうなとか、つい思ってしまいました。
 邦画というのはあまり見ないのですが、こういうほっこりとした気分にさせてくれる映画というのも良いなと、改めて思ったのでありました。(2010/2/3)

明日から蔵王です
 明日から蔵王に行きます。今回はスキーがメインです。
 蔵王は私の好きな観光地の一つ。大学時代に冬の東北周遊をした際、たまたま泊ったYHで「今、樹氷が綺麗だから見に行けば」と言われて樹氷だけを見に行ったのがはじめです。列に並ぶスキー客をしり目に、ロープウェイに優先乗車したのを良く憶えています。そして、確かに他では見たことのない風景に圧倒させられました。このときにはまだスキーを始めていなかったため、スキー場の光景自体が物珍しかったのもあるかと思うのですが、心に残る光景でした。
 そして蔵王好きになった極めつけは、温泉街に降りてきて共同浴場に入ったこと。おそらく川原湯だったと思うのですが、下から温泉が自噴しており、その素朴さとお湯の質の良さにぞっこん。温泉街で食べたそばや玉こんにゃくもおいしく、一気に蔵王温泉ファンとなってしまったのです。さらに、一昨年はゴールデンウィークに蔵王を訪問し、雪のない季節の良さも確認してきたところです。
 そして、今回は蔵王のもっとも蔵王らしい姿である「スキー」に訪問します。好きな人に会いに行くような気分で行ってきます!(2010/2/5)

吹雪のち曇のち快晴
 蔵王へスキーに行ってきました。
 2泊3日だったのですが、到着日は全国的に大荒れの天気だった日。山形空港への飛行機自体が「仙台空港に向かうか引き返す可能性があります」という条件運行でした。なんとか蔵王までたどり着いたものの、温泉街の中で方向を見失ってしまうような猛吹雪。リフトやゴンドラも次々に運休してしまい、とてもスキーができる状況ではありませんでした。夜に予定されていたイベント「雪と炎の饗宴」も45年の歴史で初めて中止。山間部の蔵王であっても、まさに歴史に残るような吹雪だったようです。
 明けて2日目。この日は決して天候は良くなく、朝と夕方にはかなりガスが出ておりコースが分からなくなることもあったのですが、風はだいぶ収まっていました。そして、ゲレンデには前日の新雪が積もっていて、最高のコンディション!所々に圧雪していないオフピステがあり、そこを滑るのも実に爽快でした。
 そして、最終日3日目は目を見張るような快晴!蔵王の2月でここまで快晴なのは珍しいそうで、地元の人々もびっくりするぐらい。特に蔵王山頂からは樹氷原と山形盆地、更には飯豊山地や朝日山地(月山)などが一望できました。1月中旬に一度崩壊してしまった樹氷(スノーモンスター)も前の週の吹雪で復活。まさに観光写真でみるような素晴らしい風景が広がっていました。
 今回はスキー自体が楽しかったのはもちろんのこと、蔵王の自然の奥深さに改めて触れることができた気がします。そして、図らずも蔵王の歴史的な瞬間(?)にも立ち会ってしまったわけで、今後ますます蔵王ファンになってしまいそうだなあとも思っているのです。(2010/2/9)

EXPO'87と実感装置
 私が小学校高学年の時に好きだったSF作家のひとりに眉村卓さんがいます。薬師丸ひろ子主演で映画化された「ねらわれた学園」などが有名ですが、彼の初期作品の一つに「EXPO'87」があります。1968年に約20年後の万国博覧会(愛知県安城市で開催)を想定して書かれたSFです。その主役が、「大阪レジャー産業」という会社。さまざまな非日常的な状況をリアルに体験できる機械「実感装置」を開発・製造している独立系の会社なのですが、万博を機に大きな産業界(財閥・政府など)にのみ込まれていきます。
 ところで、昨夜、ふとゲームセンターに立ち寄った(ほどんど視察状態)のですが、人間が乗り込める大きな筐体を見かけました。ガンダムを題材にした体感型アーケードゲームで「戦場の絆」というのだそうです。実際に自分がモビルスーツに乗りこんで操縦している感覚が味わえるとのこと。個人のデータをカードで持ち運べ、ネットワークを通じて他店のプレーヤーとも対戦したり編成が組めたりもするようです。なるほど、知らないうちにここまでアーケードゲームは進歩しているのかとびっくりしました。まさに眉村卓が40年以上前に想像した実感装置の世界が実際に広がりつつあるわけです。
 ただ、気になるのが、産業界が大阪レジャー産業をつぶさなかった理由の一つが「実感装置を使って庶民に夢を見させておけば、現実から目をそらさせることができる」ためだったこと。あまりに現実感の高いゲームは、ちょっとそのあたりが心配だなあと思わなくもありません。映画やテレビでも3Dが流行りつつありますが、せめて2次元から3次元を想像するぐらいの力は各自が持っていても良いのではないかとも、古い人間なのでつい思ってしまうのです。
 ちなみに、このEXPO'87は当然ながらすでに絶版。amazonでも千円近くするようです。反グローバル化抗議運動やレアメタルの買い占めなど、非常に現代的な問題も指摘していたこの作品。おそらく本棚の中のどこかにはあるはずなので、また時間があるときにでも探してみようと思います。(2010/2/11)

携帯電話5代目
 今日、携帯電話を機種変更しました。昨日、携帯の電池が膨らみ切ってケースを押し出してしまった状況をみた職場の人々から、真剣に交換を薦められたもので。仕事柄、科学技術に詳しい人が多く、「ニッケル水素電池に比べてリチウムイオン電池は危険度が格段に高い」などと言われてしまっては替えざるを得ません。
 会社は引き続きソフトバンクです。私自身は一度も会社を変えたことがないのですが、会社の方が、11年の間に、関西デジタルホン→ジェイホン関西→ジェイホン西日本→ジェイホン→ボーダフォン→ソフトバンクモバイルと、どんどん変わってくれました。その間に、携帯電話を4台使いつぶし、今回ので5台目のようです(液晶が白黒だった初代以外は全て持っています。さらに2代目はいまだに目覚まし時計として、毎朝活躍中!)。概ね2〜3年で1台の計算となり、若干長めかなとも思います。
 4代目のは離婚した直後に機種変更したもの。その後、実家に戻ってきて、仕事では財政課から出してもらって科学振興課に行き、イベントの担当に。出張がちのため、携帯電話が大活躍。そして、今年度は舞台技術学校へ。若い同級生たちに教えてもらい、昔は決して使わなかった絵文字だの赤外線通信だのを使いだすようになりました。思い起こせば、激動の3年間でした。
 新しい携帯は935SHオニキスブラック。これから共に歩む2、3年はどんな日々なのでしょうか。少し楽しみです。(2010/2/13)

やっと終わりました…
 去年9月のポーランド&ウィーン旅行の旅行記、先日、やっと書き終わりました。帰ってきたらすぐに中間発表会だったため、「年内にできればいいかな」とは思っていたのですが、結局全然できず、ポーランド分は何とか正月休みまでに書ききったものの、ウィーン&ブラチスラバは結局ここまで引きずりました。書くことが多いというのも確かなのですが、行ってから書くまでに時間が経ち過ぎて、思い出すにも時間がかかり、さらに掲載が遅くなったという側面も…。やはり、行ってすぐに書きあげないと、ああいうページはダメですね。その反省もあり、金沢(12月)と蔵王(2月)はさくっと、帰ってきて翌週には上げました。
 なぜホームページを書くかとも関係しているのですが、旅行の時は憶えていても、書き残しておかないと意外と忘れてしまうもの。たとえば、今回のウィーン・ブラチスラバ編でも、「白ワインのミネラルウォーター割」の話や「呼び鈴の必要なバス停とそうでないバス停」の話、「日本の劇場と西洋の劇場の違い」「日本人の妙な平等・公平志向」など、書き起こすまで半年ほど忘れていました。そういう意味では、半年ほどたってから書くのも(大変ですが)悪くはないかもしれません。
 ちなみに、次に予定しているのは3月の「つくば+中央駅2つ」。そして5月に「上海万博」。それまでには舞台技術学校の「卒業公演」もあるわけで、当面書くネタには事欠きません。というか、振り返る時間が無いぐらいかも…。上海万博後は少し大人しくしようかなあ、でもたぶん無理だろうなあと思う今日この頃なのでありました。(2010/02/15)

巡る思い 巡る季節
 昨日から約10日ぶりに舞台技術学校が再開しました。卒業公演まで1カ月を切った時期でのこのお休みは、作業工程上かなり痛いものの、気持ちの切り替えという点では決して悪くなかった気がします。
 昨日、いつもどおり午後6時20分ごろ阪急塚口駅に着き、10分ほど歩いてピッコロシアターに向かったのですが、その時、なんとなく空の色が今までとは違っていることに気付きました。すっかり暗くなっているのはなっているのですが、雲や空の上の方にほんのりと茜色がさしていました。どこかに夕焼けの名残がほんのりと残っているのです。明らかに季節は春に向かいつつあるようです。
 この同じ時代に生きている人々の、つらい思いや後悔、あるいは幸福感や達成感などとは関係なしに、季節はただ確実に巡っています。それが冷たくも暖かく感じられる、今日この頃なのです。(2010/02/17)

鳥肉 大好き!
 プロフィールの「好きな食べ物」の一つに「親子丼」を挙げていますが、親子丼に限らず鳥料理は大好物です。
 鳥好きになった一番の原因は、小学生のころ、おばあちゃん家に行った時に近くの焼鳥屋で買ってくる焼き鳥を心待ちにしていたことでしょう。特に、レバーのおいしさはここで知りました。今も昔から全く変わらないたたずまいでお店は残っており(商店街のホームページに写真がありますが、なんと市内局番が3ケタ!)、以前東京出張の際、つい荏原町まで足を延ばして買ってしまいました。記憶と全く違わぬ味に、懐かしさを通り越してびっくりした記憶があります。
 親子丼に開眼したのは高校1年生の時にたまたま観光に行っていた長浜で、何の前知識もなく「鳥喜多」に入ってしまったのがきっかけ。昼に食べたものの、あまりにも美味しく、結局夕食もここで親子丼を食べてしまいました。
 鳥のさしみとの出会いは、大学3年生の夏。天草で熊本大学臨海実習に参加していた時です。臨海実習だったにもかかわらず、台風の日が続き、室内で鳥の刺身をあてに、地元の焼酎を飲んだくれていたのです。魚の刺身とは違った美味しさにぞっこんになってしまいました。最近では全国で鳥のお刺身が食べれるようになりましたが、昔は九州ぐらいでしか食べられなかった気がします。ちなみに、その時に飲みながら語りあった話はその後の自分の人生の中で大きな意味を持ってくるのですが、その話はまたそのうちに。
 焼き鳥といえば、東京・京橋「伊勢廣 京橋本店」のランチ「三本丼・四本丼・五本丼」もお気に入りの一品。東京出張の際はわざと早めの新幹線で行って、ここでランチを食べてから霞ヶ関に向かったものです。いつかこの店で「伝統のフルコース」を食べてみたいものだなあと思っています。
 他にもしっとり系唐揚げの名店・長崎の「江戸善」、高いだけはある東京・神田の「鳥つね自然洞」、なかなか関西に進出してくれない名古屋手羽先の最右翼「世界の山ちゃん」、神戸なら「ニューミュンヘン 神戸大使館」の丹波地鶏の唐揚げなど、鳥料理については語りつくせぬ思いがあります。とはいえ、同じ鳥料理の店に3日間通うのはどうかと…さまざまな事情があれど、さすがにこれは新記録でした。でも全く飽きなかったのは、やはり鳥肉のおかげでしょうか。(2010/02/19)

熱かった時代へのレクイエムと冷めた時代へのエールと(真田風雲録感想1)
 今日、芸術文化センター中ホールでピッコロ劇団公演「真田風雲録」を見てきました。ピッコロ劇団だけでなく関西小劇場界から数多くの俳優を集め、南河内の内藤裕敬が演出。関西演劇史に残る大企画であり、大いに期待していました。
 素晴らしかったのは、群衆力とそれを最大限に生かした舞台美術でしょう。41名の役者さんが出ていたそうですが、ほぼ全員が走り回り、その迫力が直に観客に伝わってくるのです。オープニングの関ヶ原の合戦のシーンから、戦いの迫力と悲惨さが伝わってきます。そして、大阪城落城シーンの幟旗。あれも壮観でした。群衆の使い方には定評のある内藤演出ならではです。
 そして、巨大な舞台装置がそのパワーを見事に支えていました。巨大と行っても、基本は円弧と四画だけで作られたシンプルな装置。同じ美術家が作った「かぐや姫」だの南河内の芝居だのに比べると、装置自体に明確な主張は有りません。しかし、この単純な装置を役者が次々にいろんな世界に変えていくのです。大作・時代物というと素人は立派で写実的な舞台を想像してしまいがちですが、そうしなかったところが逆に美術家の主張であるともいえます。さすがです。
 登場人物それぞれの生きざまも、役者のうまさもあってしっかりと描けていました。その反面、焦点がいまいち見えなかった気も。ただ、これはあえて焦点を見せない演出なのかもしれません。もともとが学園紛争に対する喪失感などを描いた作品であり、熱かった時代の雰囲気が随所に感じられるのです。いや、むしろ、「今は熱いけれど、これからは冷めるしかない」という時代背景が見え隠れするのです。関ヶ原の合戦が終わり、大阪冬の陣・夏の陣も過ぎ去り、もはや戦争はない。それが、戦争復興をなし終え、安保闘争だの学園紛争だのをやってみたものの結局何も変わらなかった当時の雰囲気とオーバーラップしていたのでしょう。内藤氏は、それを冷めた今の時代にオーバーラップさせて描こうとしていた気がします。そういう意味では、知らなくても良いことでも知ってしまう佐助というのは、情報過多に陥りつつある現在の私たち自身にも見えます。
 最後のシーンで、どちらにも進めない佐助に対して、今は亡き真田10勇士が現れ、エールを送るかのように片手をあげます。それはまるで、熱くない、冷めた時代であっても生きていかなければならない今の日本人に対するエールのようにも見えたのです。(2010/02/21)

冷めた関西演劇界へエールを(真田風雲録感想2)
 小劇場系の演劇を見に行った方ならご存知かと思いますが、公演のときにはいつも入り口付近に「祝初日」とか書かれたお酒がずらっと並んでいます。関連する劇団などから贈られたもので、打ち上げで消費してしまうまでの間、並べておくのです。
 今回のピッコロプロデュース「真田風雲録」は、ピッコロ劇団以外の役者さんが大勢参加しており(11劇団!)、在阪・在神の主な小劇場系劇団からものすごい数のお酒が届いていました。あれだけの量と質はなかなか見れるものではなく、まさに関西演劇界の総力を結集した作品にふさわしいものでした。
 ところが残念なことに、日曜日は1本公演、更に千秋楽にもかかわらず、劇場はほぼ7分の入り。それも2階席を全てクローズしての結果です。1階席は約600席なので、400人を超える程度。十分立派とはいえ、役者が41人もいることを考えるとあまりにももったいない結果であるともいえます。テレビCMも打ち、新聞でも取り上げてもらい、時代は戦国ブームであるにもかかわらず、ちょっとさみしい気もしました。関西演劇界も熱かった時代は過ぎ去り、冷めた時代に入っているのだなあということを改めて感じました。
 もちろん、そういう冷めた時代を打破する一つの取り組みとしてこの「真田風雲録」が企画されたのは事実ですし、来年度も同様の企画を引き続き行うそうで(今度は「天保十二年のシェイクスピア」を松本祐子演出で!)、それはそれで期待できるのですが、内輪受けの企画で終わってしまいかねない危険性も…。今回の動員数を見ていると、内輪にも十分に伝わっていないのではないかという危惧さえ抱いてしまいます。
 「内輪だけでいいんだ。分からない人には見てもらう必要などない」というのも一つの主張ですが、それではピッコロを含めて公的な助成をもらい続けるのは厳しいですし、衰退させてしまうには演劇というのはあまりにも惜しい芸術だと思います。特効薬などはないのですが、まずは「ここを見れば大阪・神戸で今週末行われる演劇の演目が分かる」といった最低限のアクセシビリティを確保すること、そして小中高生や大学生を含めた演劇人口の掘り起こしを図ることがまずは必要なのではないかと思います。少なくとも県立劇団を有する兵庫県においては、そういった地道な取り組みが行われてほしいものだと切に願います。
 クラッシック音楽の演奏会が嫌いという人は結構いるものの、演劇を見るのが嫌いという人はあまりいないように思えます。そして誰もが「自分以外の何物かを演じてみたい」という潜在的願望は持っているはずなのです。そういった人々にどう働きかけて、劇場に足を運ばせるのか。演劇のテーマや主張、役者の力量も大切ですが、むしろそういった広報・制作的な側面が、これから関西演劇界が生き残るためにはまさに必要ではないかと思ってしまったのでありました。(2010/02/23)

あれから12年 これから12年
1998年長野オリンピックinつくば:
 兵庫県に就職も決まり、かといって大学院も籍を置いているだけでする研究も書く論文もなく、せいぜいアルバイトをするぐらいしかなかった時代。あんまりにも暇なので長野まで見に行こうかと思ったものの、お金もないし、それほどウィンタースポーツが好きなわけでないし、宿なんかとれないだろうし…ということで結局家でひたすら観戦。「やったね、多英」も「ふなきぃ〜ふなきぃ〜」も生で見る。
2002年ソルトレイクオリンピックin豊岡:
 4月から東京へ出向ということで、スキーにはまっていた時期であるにもかかわらず、あまり記憶にない。結婚どうしましょうとか、いろいろとあった時期でもあった。
2006年トリノオリンピックin加古川:
 加古川とはいうものの、前半は、職場で深夜残業中に、テレビをつけっぱなしにして見るでもなく聞いていた。記者発表資料を作りつつ、日本選手団の入場やモーグル女子などを聞いていた記憶が。最後の方の、荒川静香のフリーは加古川の家で早朝に。まさに何かが降りてきたかのような素晴らしい演技で、「これを見れただけでもう十分」と堪能し、そのあとの演技は一切見なかった。金メダルという結果もあとで職場で聞いた記憶がある。
2010年バンクーバーオリンピックin神戸:
 今回はピッコロ舞台技術学校の卒業公演と重なり、開会式も何にも見ていない。ここまでオリンピックを見なかったのは久しぶりかも…。明日のキムヨナ・真央ちゃん直接対決もイベントの会議中なので見れそうにない…。
 さて、4年後、8年後、12年後、私はどこでどんな冬季オリンピックを見るのでしょうか。(2010/02/25)

お疲れ様でした・・・。
 森光子さんの伝説となりつつある舞台「放浪記」の公演が中止となったそうです(Yahooニュース)。89歳という年齢を考えて、4時間に及ぶ大作に出演するのは厳しいとドクターストップがかかったとのこと。20代の若者であっても4時間の舞台に主演するのはおそらく相当大変なことで、年齢から考えれば何の疑問もないのですが、ご本人を含めて大変残念な思いでしょう。
 とはいえ、紅白歌合戦でのやり取りも含めて、「本当に大丈夫か」という声が上がっていたのも事実。Yahooニュースでも「最近痛々しい」とか「引き際が大切」とか「もう休んでは」などとの感想が。冷静になって考えれば、やはり私もそういう思いを抱いてはいました。一方で、「あなたはもう十分に大女優です。本当にお疲れさまでした」「これからもがんばって女優として生きて」などの暖かいメッセージも。誹謗中傷も激励も含めて、いろいろと考えさせられました。
 時の流れというのは残酷なもので、大女優を引退させ、「過去の人」の中へと送っていきます。と同時に、同じ時に、初めて俳優として舞台に上がっていく人々もたくさんいます。たとえば、今回初舞台を踏むピッコロ演劇学校本科生たち。彼ら・彼女らにとって、これが最初で最後の舞台になるのか、あるいはこれから延々と舞台で生きていくのかわかりませんが、必ずいつの日か、何らかの事情で舞台に立てない日が来るはずです。しかし、その時には、また若い人々が役者として舞台へ上がっていきます。そうやって舞台が続いていくのです。
 そんな移り変わりを、役者に比べれば明らかに寿命(?)の長いスタッフとして眺めているのも悪くないなあと、最近感じているのです。
 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し…(方丈記/青空文庫から)。 (2010/02/27)

今までにしがみついとってもなんも変われへんよ…。
 いよいよ卒業公演も大詰めなのですが…正直、この土日は疲れました。道具はとても順調に仕上がっており、集合時間も午後からなど体力的には楽なのですが、転換だの、飾りつけだの、道具の手直しだの、つりものだの、慣れないことを次々にやっていくのは精神的に大変疲れます。というか、「慣れないことをすること」に対する耐性が落ちていることを、最近とみに感じるのです。
 これはピッコロに限らず、海外旅行でも。昔のように「今度は趣向を変えて違う雰囲気の国に行って冒険しよう」というよりは「ヨーロッパとか整備された地域で古い町をみるのがいいかな」となり、現地においても、言葉の分からない現地テレビで何とか情報を得ようとするよりはついついNHK国際を見てしまいます。
 思うのですが、この年になるとよほど出世欲でもない限り、多くの物事を惰性で動かせるようになってしまいます。私自身、コロコロと持ち場が変わる仕事とはいえ一つのところに勤めて10年以上が経過し、正直、仕事に関しては惰性でやれる部分が増えてきているのです。そして、長い経験で多少の失敗であればリカバリーする技と狡猾さも身につけてしまっています。それが利かない分野(たとえば演劇とか海外とか)はだからこそ、しんどく感じるのかもしれません。
 学生や社会人なりたてのころは全てが新しく試行錯誤の世界だったはずなのですが、いつのまにか心が錆付き出していたということに、ちょっと気づきました。まだまだ人生は折り返し地点の手前(のはず)。生活の糧としての仕事にはしがみつかざるをえませんが、プライベートの部分ではまだまだしがみついてはいけないなと、気分新たにあと1週間、走りぬけたいと思います。(2010/03/01)

しょうもない!!しょうもないのぉ!!
 卒業公演も追い込み。本科・研究科・技術の学校生はもとより、格子の先生方やスタッフさんなどが劇場を動き回っています。ざっと50名ほどでしょうか。これだけの数の人間が、プランニングや稽古を含めればほぼ1カ月近く、これに関わっています。膨大な時間を費やし、議論で人間関係を悪くしたり、お休みとり過ぎで職場で居心地が悪くなったり、泣いたり怒ったり悩んだり落ち込んだりして、結果として出来あがるのは本科・研究科合わせても3時間程度のステージが2回だけです。演劇というのは実に非効率な営みだなあと、改めて思います。
 でも、こんなしょうもないことに一生懸命になっている人が、全てに効率性を求められつつある時代に、こんなにたくさんいる。それは実は素晴らしいことなのかもしれないなあとも思う今日この頃、卒業公演まであと3日なのです。(2010/03/03)

ちょいと夢を上乗せするんやで
 いよいよ明日、卒業公演の幕が開きます。学校に通い出した当初は本当に仕事と両立できるのか、1年間通うことができるのかどうか、憶えが悪いので着いていけるのかどうか、更に若い人たちと溶け込んでやることができるのだろうか、といろいろと不安でした。でも、同級生の協力もあり、なんとかここまでたどり着きました。思えば長いようで短い、でも充実した1年間。ついこないだ中間発表会だったような気もしていて、本当にあっという間に終わりつつあるという印象です。
 今日、本科および研究科の作品の通し稽古を見ました。正直なところ、まだまだとの感もなくはありません。細かいアラは素人の私が見ていてもたくさんあります。でも、みんな本当に一生懸命に演じています。その一生懸命さが、登場人物の生きている姿に乗り移って、大きな感動を呼ぶのではないかなと、袖から見ていてちょっと感じました。本科生21名、研究科生12名、そしてわが技術学校生20名。それぞれの夢を大きく上乗せして、今、緞帳が上がります。
 さあ、演劇の時間です!(2010/03/05)

神様はいてもいなくても、いいんだ
 いつもは当日の夜に書く「2日に1回日記」ですが、今日は特別な日なのでちょっとフライング気味で。日が変わっているから、まあ良いでしょう。
 昨日、初日が終わり、いよいよあと12時間後に、ピッコロ演劇学校・舞台技術学校卒業公演の最後の幕が開きます。2回目、千秋楽です。そして、それが終わればいよいよ卒業となります。
 初日前の本科練習ではこれまで割と順調だった転換で、本番なら公演一時停止となるような大きなミスがありました。これまでは人数がそろわず、代役で先生が入ってくれていたため問題が表面化しなかったのかもしれません。個人的にはかなり肝を冷やしましたが、本当に練習でよかったですし、それほど大きな被害もなくて一安心でした。さっそく舞台監督さんが対策を講じてくれたため、その後はなんとかできるようになりましたが、舞台が事故と隣り合わせであることを改めて認識させられました。良い方に考えれば、いい勉強の機会であったともいえます。
 ともあれ安全最優先で、明日の千秋楽そしてバラシが終われますように。そして、みんなが満足できる結果で終われますように。神様がいるかどうかは分からないけど、たくさんの人々の夢と思いが詰まっているあの神社に、またお願いをしたいと思っています。(2010/03/07)

ここじゃない何処かへ!
 認知症にかかった人は、過去の記憶がどんどんと抜け落ちていきます。そして最後に、その人が最も幸せだった時の記憶だけが残るそうです。私にとってはこの1年間が、幸せだった時の候補になりました。
 ピッコロ舞台技術学校の卒業公演、無事終わりました。そして、第543号の修了証を頂きました。舞台技術学校としては9日に「バラシ」があるので完全に終わったわけではないのですが、自分自身は仕事があるため作業に参加できませんし、ほぼ終わってしまったのは間違いないです。
 卒業公演自体は「やりきった」という満足感がある半面、正直失敗したことや、まだまだ足りない部分も。たとえば、エレベーションや道具帳は結局、一度も書かないままに終わってしまいました。まあ、その分、まだまだ「伸びしろ」があるということでもあるのでしょう。そういう意味ではもう一回、同じコースでやってみるのもいいかなと思いだしています。あるいは、もっともっといろんな場所で本番をこなしたいなとも思います。いよいよ次のことも考えられるようになってきました。
 最後の学校からの帰り道は、技術学校のみんなと一緒でした。技術学校だけ、これだけの人数で移動するのおそらく初めて。そして、最後。この中には、もう二度と会うことのない人もいるはずです。楽しく歓談しながらも、ちょっと複雑な気分でした。でも、たとえ二度と会えなくても、この学校で出会った人々のことは記憶の中でずっと生き続けて、大切な宝物としてどこまでも持っていくことでしょう。
 みんな本当にありがとう!そして…さようなら。
 『皆が動くんや!ここじゃない何処かへ!ここへは何時でも帰ってこれる…せやから、これでええやないか!』(2010/03/09)

けじめをつけなあかん時期やったんよ…。色んなことに…・。
 ひさしぶりにホームページのアクセスログを見たところ、月曜日に「贋艶狂詩曲」で検索してきた人が多い模様。ということで、こちらも負けずに「贋艶狂詩曲」で検索してみたところ、確かに上の方に出てきました。そしてさらに、未知の学校関係者のブログをいくつか発見。中には『「贋艶狂詩曲」でたどり着いた人が多そう』と書いてあるページも。うーむ。まあ、いまさらいいのですが…。
 ともあれ、9日にバラシも終わり、いよいよ完全に学校も終わってしまいました。美術コースは3月末にもう一度、展示室での展示があるため気分はちょこっとだけ残ってはいるのですが、学校生としての作業があるわけでもないようです。さびしい気もしますが、学校というのはそもそもそういうものなのでしょう。
 バラシの後の打ち上げでも話していたのですが、学校生の中には、新しい劇団や演劇ユニットを立ち上げる人も。さらに、プロの劇団に入った人やここで学んだことを糧に仕事に就こうとしている人、研究科や技術学校2年目へ進もうとする人、演劇とは全く違う世界に新たに踏み出そうとする人、少しゆっくりと来し方行く末を振り返ってみる人、何かをなし終えて遠くの実家に帰る人、ここでの出会いを恋愛に結び付けた人も。いよいよ次の一歩を踏み出し始めたようなのです。
 1年間というのは短い気がしますが、11月・12月ごろに多少だれたことを考えると、方向性を決める時間としては適当なのかもしれません。急に寒さがぶり返した3月上旬。本科生21名、研究科生12名、技術学校生20名。それぞれに決断して、けじめをつけて、それぞれの方向に歩き始めました。(2010/03/11)

思い出かぁ…。
 もと(?)舞台技術学校生の間で話題になっているのが、学校に関するアンケートを14日中に提出しないといけないこと。私自身、文章を書いたり、アンケートに答えたりするのは決して苦としていないので、すいすいと進んでいったのですが、最後の最後に「この1年の感想を、自由にお書きください」とA4の白紙が1枚ついているのを見て、ここで進まなくなってしまいました。「卒業公演の感想」であればまあ、書けないことはないのですが、「この1年の感想」を書かせるには卒業公演終了後1週間以内はあまりにも早すぎないかと。まだそこまで整理しきれていないのです。
 少しは参考になるかと思い、昔の「学校日誌」を読み直したり、卒業公演を舞台美術の面からまとめてみたりはしたものの、「こんなこともあったなあ」「あの子はこんな感じだったなあ」と、思いは拡散するばかり。もう少し「思い出」にならないと、この1年のことは語れそうにありません。(アンケートは適当に書きますが。)
 最近、結婚していた時のことが「思い出」に変わりつつあります。加古川だろうが、姫路だろうが、特段の気負いなく行けるようになりました。それがちょっとさびしかったりもし、うれしかったりもする、そんな春なのです。(2010/03/13)

…母さん一番、神様二番やな…
 今日、職場に育休中の同僚がやってきました。運転免許の更新で近くまで来たので…とのことでしたが、3カ月の赤ちゃんを連れてきたのです。うちの職場はもともとほのぼのとしているのですが、昼休みは去年在籍していた人々もやってきて、ちょっとした赤ちゃんフィーバーでした。お母さんに似たのか、本当に大人しく、でも好奇心旺盛に色んなものをきょろきょろと見ていました。公務員ということで出産・育休経験のある女性も多いのですが、普段てきぱきと仕事をする人がすっかりお母さんの顔になってあやしている姿を見るのも、なかなか感慨深いものです。
 話の中で、「ずっと寝ているので頭の後ろの方が禿げているけど、大丈夫?」という話が出ました。すると、すかさず経験者のお母さん方が「うちもそうだった」とか「気になっていたので4ヶ月検診の時に他の子を見たらみんなそうだった」とか。このあたり、育児を手伝っていても男性にはあまり気付かないことです。こうやってお母さんからじっと見守られることによって、みんな基本的な信頼関係(心理学では"Basic Trust"といいます)を確立していくんだなと。そんな営為が今も当然のように日本中、世界中で行われていて、私たち一人一人もその結果として今を生きているんだなということに、なんだか感激してしまったのでした。(2010/03/15)
[しばらく卒業公演の名セリフからタイトルをとっていましたが、そろそろ日常に戻るべきですし、20日からの筑波・東北旅行がちょうどいい機会ですので、これも19日の日記更新分までとします。あと2回です。]

身体を動かさんと人はろくなこと考えへんよ…
 昔から思っていたのですが、どうも私は物事を前後に引きずる性格のようです。卒業公演から10日近くもたっているのに、まだだいぶ引きずっています。
 特に、先週はダメダメで、仕事中でも気が付くとつい「あめつちの歌」を口ずさんでいたり、セリフを思い出してついニヤッとしてしまったり。社会人としては、かなり問題です。最も著しかったのが先週土曜日で、一日家にいたため、「何か書いていないかな」とネットで関係者のページを何回も見てしまったり、歌謡ショー実習のCDを聞いてはキュンとなり、「卒業アルバム」を見てはニコニコし、思い立って昔の市民劇団時代の台本を読み返すなど、部屋の片づけをするでもなく、掃除をするでもなく、奇妙な一日を過ごしてしまいました。これではアカンと、日曜日は京都(比叡山)へ乗り鉄&観光に。時々は卒業公演のことを思い出したものの、町や鉄道自身も十分に楽しむことができました。仕事も年度末ということでそこそこ忙しく、こうして働いたり動いたりしているうちに徐々に「思い出」に変わっていくのでしょう。
 こうして働いたり動いたりしていることが、結果として次のステップへの準備になるなのかなと。もちろん、何が目的で何が手段なのか、それが本末転倒になってはいけないのですけどね…。(2010/03/17)

あめ つち ほし そら
 高校の卒業式の日、これまで6年間(中高一貫だから)、ほぼ毎日会ってきた友人たちともう会う機会が無くなるということが、正直信じられませんでした。「どうせ同窓会とかで、また会うんだろうな」と思っていたのですが、その後同窓会をやっても集まるのはせいぜい、4分の1から5分の1程度。みんな忙しいし、海外に行っている人も多いのです。そうしているうちに、ぼちぼちと亡くなる人も。振り返ってみれば、小学校の時の同級生には震災で亡くなった人もいますし、大学の時の同級生も、担任の先生も亡くなりました。30代も後半となると、こんなもんなのかもしれません。卒業式の日が最後の別れだった、ということは結構あるものです。
 今回一緒に卒業を迎えた舞台技術学校・演劇学校の仲間とも、もう以前と同じように全員が集まる機会は二度とないはずです。そして、中にはこれが永遠の別れとなった人も必ずいます。さびしいのですが、それは厳然たる事実です。
 でも、たとえ二度と会うことが無くても、この地球上のどこかでみんな一生懸命生きているのだろうなと。そして、たとえ亡くなったとしても、どこかから僕らのことを見守ってくれているのだろうなと。そう考えると、この世界って実に愛すべき、暖かい世界に思えてきます。見守る立場に入る前に、この素晴らしい世界を少しでも多く知りたい。たとえいつかは別れるにせよ、より多くの人と出会いたい。これからもその旅は続きます。(2010/03/19)
〔卒公名セリフシリーズ、これにて終了。20日〜23日はつくば・東北旅行のため、次回更新は23日or25日の予定です。〕

〔おまけ〕贋艶狂詩曲・使いそびれた名セリフ集
※明らかにピッコロ関係者向けです。ご了承くださいませ。
“名セリフを使って2日で1回日記”で結局使わなかった名セリフを記録も兼ねて残しておきます。
--------------------------------------
「嫁入り前のこの綺麗な体に傷付けた罪は重いで!」
「…自分のもんは、自分で調達します…」
砥草ちゃんの性格付けのセリフでもあるんですが、
若干、脚本家の当て書き感が無くもない…。
特に「自分で調達」はなかなかよろしいですな。

「大丈夫、転んだときは転んだ時だ…」
かすみちゃん、いい人すぎます(笑)。
このセリフが3場の出来事の伏線なわけですが。
理屈では理解していても、心では納得できないこともありますよね。

「よう、笑う子やったらええなあ…」
厳しい生活の中でも希望をもっている、萌黄ちゃんの名セリフです。
萌黄ちゃんって明るいだけでなくて「カスカスになるまでまわされて」
とまで言うんですよね。そのギャップ、演じるの疲れただろうなと。

「邪魔するで!」「邪魔するんやったら帰ってや…」
打ち上げなどで大活躍のセリフ。解説不要。

「痛いこと、辛いこと、苦しいこと全部引き受けるのが母親や…
全部引き受ける覚悟で稚児こさえるんやからな」

「お母さんは強いなぁ…男なんか屁ぇみたいなもんや…
母さんが一番やな…母さん一番、神様二番やな…」

ざらめの名セリフです。19でこれをああ言うとは、末恐ろしいですな。
彼女自身、かなり体調の悪い中で本番に臨んでいたようで、
それが一種の悲壮感と決意をセリフに与えていた気がします。

「姉さん、幸せになりたいです…」
「不幸そうな人たちだなあ」
2場から3場にかけて、場を和ませる幕間狂言でした。
あの3人、本当にどんどんうまくなって言った気がします。
本編とあまり絡まないのが残念なぐらいでした。

「布団の中で話ししたことは、布団を出たらもう、ない話や。」
まあ、そうですなあ(笑)。

「死ぬまで片付かんのかもな…片づけたつもりでも」
「なぁー神さん、いつになったら楽させてくれんねん!」
本当に、人生ってその時その時に大変なこと辛いことがあって、
安住だの悠々自適だのなんてないんですよね。
ある程度年をとってくると、そんなことが分かってくるんですよね。

「最初から、夢なんか見んかったら、望みなんてもたんで済むのに…」
「いつもの日常にもどろう…せやけど、今日だけは…」
このあたりの一連の萌黄ちゃんセリフは本当に良かったなあと。
あのシーンは井戸を生み出した美術コースも
場面設定に大きく貢献したなあと自負しています。

「一生懸命なだけではあかんねん…」
うーん、これは役者さんにどういう思いで語っていたのか聞いてみたい。
確かに、プリミティブな一生懸命だけでは
どうしようもない時、どうしようもないことって人生には多いですよね。

「神さんも仏さんもみんな一緒や、人さまの勝手で分けただけで、
神さんは一人や…何処からでも聞いてくれるわ…」

なんとなく『深い河』やなあ。インド好きだから、そこから来ている気もするなあ。
この台本を読むと、鳥居になんであんなにこだわったのか分かりますな。
…早く台本がほしかったものです(苦笑)。

「与えられたもんは容易く取り上げられるんよ」
私自身はあまりこのセリフがよく分からないんですが、見に来ていた友人から、
このセリフがよかったと言われました。
個人的には与えられたものでも自分のものにしていけばよいと思っていますが。

「野良には野良の魂があるってもんや…」
京さん、すんきさん、かっこいい!
男性陣の中でどんどん株が上がっていったのがよく分かります。
他の3人も実はなかなか細かい芝居をしていましたね。

「汚くてもぼろくても、神さんが居ようと居るまいと、この場所は大事な場所や…
ここはそういう場所や…金に代えられんそういう場所や!」

まさに決めセリフ、4場のクライマックスですな。
芝居臭さが逆に感動を誘う場面ではないかと思います。
「せんべえ」さんって、どうしてもアラレちゃんを思い出してしまうのは年のせい?

「変わらんのは天と地だけや、それだけや、その間のことは全てが変わりよる」
若干唐突、かつ説明セリフなんですが、まあ、最後には必要なのかなと。
しかし、何でこの男にかすみちゃんが惚れたんやろうか、謎だなぁ。
いやいや、あくまでも役の話ですよ…。

「あんたら若いんやから…もっと色んなもの見ぃ…」
本当に色んなものを見てね。
世の中は広いし、本当に色んな人がいますし、色んな出来事があります。
自分が20代のころは今を想像できなかったぐらいに。

「なんや、楽しなってきた!」
最初の頃は、はたから見ていても、
このシーンのみんな、全然楽しそうでなかった。単なるせりふだった。
苦しんで苦しんで、でも、最後には心からこの言葉が出ていた気がします。
--------------------------------------
私自身も、楽しい舞台、楽しい時間を過ごせました。
本科20名の皆さん、本当にありがとうございました!お疲れ様!

日本最後の秘境は?
 3泊4日の筑波・東北旅行から戻ってまいりました。
 今回は風が吹いたり、雪が降ったり、みぞれ交じりの雨が降ったりと、決して天候には恵まれていなかったのですが、自分が関係している部分では一切、交通の遅延が無かったこと、中央駅の写真撮影時はどちらも晴れていたことなど、ラッキーなことも結構ありました。 。
 温泉に入り過ぎて、多少疲れた気も…。気が付けば写真撮影枚数も965枚になっていて、その整理も今後大変そう…。まあ、楽しいからいいんですけど。今週はピッコロもないのですから、忘れないうちにさくっとまとめたいなと思っています。
 ちなみに、3泊目に泊ったのは鉛温泉という、花巻からもかなり山間部に入っていった秘境とも言えるところにある一軒宿で、昭和16年建築の本館や、湯治場の雰囲気を強く残した湯治部・売店などタイムスリップ感を味わえるのですが、なんとテレビは地デジでさらに携帯電話の電波もばっちり。のんびりしていても携帯メールが入ってきたり、ついついmixiを見てしまったりして、なんだかなあという感じでした。実は、携帯が通じないところこそが日本最後の秘境なのかなと思ったりもしたのですが、立山室堂でもばっちり電波が拾えた記憶が…。まあ、住んでいる人にはそのほうが良いのですけどね…。(2010/03/23)

脳が見る 脳で見る
 今日、仕事が終わった後にピッコロシアターで話題の展示会、「関西 劇空間の創造者たち」を見てきました。実は土曜日の夕方に受付で入るのですが、さすがにそれが最初では宜しくないだろうと思い、事前下見も兼ねて行っておいたのです。卒業公演以来のピッコロシアター、ちょっとこそばゆいような気分でした。
 決して狭くない展示室なのですが、中にはびっしりと模型や舞台写真、舞台衣装が。よくあれだけ詰め込んだものです。とにかく、数に圧倒されました。そして、良く良く見ていくと、一つ一つに大きな工夫の跡が。「なるほど、これで屋外と屋内を表そうとしているのか」「抽象的な舞台が逆に現実感を引き立てているな」「布を使った舞台は綺麗」などさまざまな発見がありました。
 実は、去年の6月ごろ、別の場所でしたが、同様の舞台美術に関する展覧会が行われていたのですが、その時にはここまでの発見は無かった気がします。やはり、中間発表、卒業公演と2回の本番を終え、そこで悩んだ経験が、舞台美術を見る目を養ったのかなと。
 人間は物を見るのに、決して機械的に見ているのではなく、脳が積極的に情報処理をしているそうです。たとえば全盲の人が光を取り戻しても、四角や三角を認識するには相当な訓練が必要だとか。一方、2つある目の一方を失っても、相変わらず物事を立体的に、距離感を感じて見ることができるのは、脳が「こういう場合は手前にある、こういう場合は丸い」などと情報処理しているからだそうです。同じものを見ていても、脳(この場合は経験ですが)が違うと見えてくるものが違うんだろうなと、改めて感じたのでした。(2010/03/25)

最後には幸せな結末を。あなたは私の友達だから。
 今日はピッコロで行われている展示会の受付に行ってきました。卒業公演の時の大道具なども飾られているのですが、あれからまだ3週間しかたっていないのに、かなり懐かしい思いでした。見に来てくれた同級生も同じ思いだったようで、「この場所はこう苦労したよねー」などと思い出話に花を咲かせました。
 ところで、卒業、そして春ということで、新しい世界に向けて踏み出した人も多いのですが、一方で踏み出す先が見つからない人も多いようです。厳しい雇用情勢、さらにもともと就職口の狭い演劇関係業界を希望している人が多いので、仕方ないともいえます。しかし、厳しいのは当然とはいえ、それぞれの個人が抱えるストレス、焦り、そして失望感は、友人として非常に心が痛いのも事実です。そして、それをどこまで相手に伝えて良いのかも、非常に悩みます。単純に「頑張って」というだけでは、何の意味もないのが分かっていますから。
 ただ、私自身、大学院に入り研究者の道を目指したものの挫折した経験があります。その中で「たとえ挫折しても、一つの道を求め続けた経験というのは、後になって人生経験の上でも、さらに実利的な面でも役に立つ」ということは確実に言えます。人生経験に役立つのはもちろんなのですが、それぞれのプロフェッショナルな世界にはそれぞれの流儀・考え方というものがあり、これが役に立つことが多いのです。私の場合は、「目に見えないものを見える形で定義づけして、それを操作することによって本質をつかむ」という心理学的思考が身に着いたことと、大学・学問というものの本質が少しは分かったことが、現在の仕事(イベント・産学連携など)にも非常に役立っています。社会というのは広いようで狭く、どこで何がどう役立つかなどというのは、本当に分からないものです。
 今、進路で苦労している友人たちも、できるかぎり今の道を追い求めてほしい。で、たとえうまくいかなくても、何かにチャレンジしたという事実に誇りを持ってほしい。そして、最後には「決して思い通りにはならなかったけど、でも幸せな人生だったな」と思えるようになることを、ただ祈っているのです。(2010/03/27)

生身の演劇の力(劇団四季「ウィキッド」感想1)
 昨日、劇団四季の「ウィキッド」を見に行きました。しばらく前からずっと見たかったもので、音楽などはサントラを聞いてほぼ知っていたのですが、実際に見るのは始めて。とても期待して行きました。
 ということで、実際に見てみたのですが、確かにスケールが大きく、題材もすばらしく、音楽も感動的で、いろいろと考えさせるストーリーで、高品質なエンターテイメントでした。ですが、正直、事前情報が入り過ぎていて、どちらかと言えば謎解き感が強く、あまり純粋に物語を楽しめなかった気も…。もうちょっと早い、自分の中で盛り上がっていた時期に見に行っていた方が感動できたかもしれませんね。ある意味、今後の反省点です。
 しかし、アンサンブルの人々が繰り広げる群衆ダンスの迫力や、幕前からシズ大学のシーンに至るまでのグリンダの変わりゆく表情、そして1幕ラストの大仕掛けとそれを見守るグリンダの笑顔、そして「For good」での二人の心の交流などは、現実にその場にいないと決して味わえないもの。また、「時計」をモチーフにしながらもそれを感じさせたり感じさせなかったりと変幻自在の舞台装置も、十分に見ごたえのあるものでした。やはり、このあたりはあらすじと音楽を知っていたとしても、その場に行かないと感じられないもの。良く知ってしまっていた話だったからこそ、より純粋な形で、生身の演劇の力を感じることができた気がします。
 新劇や現代演劇の世界の方々は、つい、劇団四季や宝塚歌劇のような商業演劇のことを「何度も同じように、判を押して、形式的にやっているだけ」などと批判することがあるのですが、四季も宝塚も生身の演劇の魅力にあふれており、さらにそれを何倍も増幅させる手法も知っています。大衆に大いに受け入れられ(まさしく”popular”ですな)、興行としての採算性も確保しているものというのは、それだけの何か秘訣や素晴らしい点があるはず。食わず嫌いではもったいないなあと思ったりもするのです。(2010/03/29)

大切なものは失って初めて分かる
 今日は3月31日。年度最後の日。役所にとっては大晦日です。私の異動はなかったものの、親しくさせてもらっていた数人の同僚が異動となりました。そして、仕事内容が大きく変わります。財政課を出てから2年続けていたイベントの仕事から離れることになりました。
 内示があるまでは「もう1年同じメンツで同じ仕事をするのはしんどいなぁ。3年目ではさすがにマンネリだなあ」などと思っていたのですが、いざ人が替わり、仕事が替わりとなると何となくさびしいものです。書類などを整理していても、「もっとこうしておけば良かったかな」とか「こんなこともできたのにな」という後悔がちょっと湧いてしまいます。
 続若草物語か第3若草物語かに、亡くなってしまったベスに対して「おとなしかった彼女が居たことの意味は、彼女が亡くなってから初めてみんなに分かった。本当に大切なものは失って初めて分かる」ということが書いてあった気がします。おそらく、明日からの仕事の端々で失ってしまったものの大切さをかみしめるのかな、そんな気がしています。(2010/03/31)



←2009年10月〜12月へ
2日へ1回日記目次へ
2010年4月〜6月へ→

いそべさとしのホームページへ


いそべさとしのホームページ Copyright with S.ISOBE(2010)(isobe@isobesatoshi.com)