いそべさとしのホームページ

過去の2日に1回日記(旧・お知らせ)保管庫(2009年10月〜12月)


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久しぶりのネクタイ
 いよいよ10月。クールビズ期間も終わり、久々にネクタイを締めての出勤です。とはいえ、まだまだ暑く、私自身は職場にいるときだけネクタイをしておき、行き帰りは外している状況です。暑かろうが寒かろうが、ある日一斉にみなネクタイを締めだしたり外したりするのは一種滑稽な気もしますが、職場の統制という点ではまあ仕方のないところでしょう。
 私も公務員生活が10年を超え、流石にネクタイを締めるぐらいは自動運動化しているのですが、このクールビズのインターバルが空いた際は、当面、締め終わった際に鏡で確認しないと危険です。昨日も、昼休み後に締め直したのですが、あとで鏡で見てみると、かなり変でした。体が覚えているものでも、間が空き過ぎると能力が落ちるようですね。
 毎年、クールビズが終わった直後は「こんなに暑いのに、なんでネクタイを締めなきゃあかんねん」と思っていますが、しばらくするとネクタイにも慣れ、気温もだんだんと下がってきて、徐々に思わなくなってきます。今日も昼間は蒸し暑かったものの、朝型や夜中はすっかり秋の気配。いよいよ本格的な秋がやってきました。(2009/10/2)

連立方程式
 現在、次のような連立方程式を解こうと思っています。適切な解(旅行先、ツアーか個人旅行かなど)は?
  1. 海外旅行初めての人とそこそこ慣れた人が一緒に海外旅行に行く。
  2. 初めての人に「海外旅行って楽しいんだよ」と分かってもらうことが一つのテーマ。
  3. 慣れた人はヨーロッパに入ってきたばっかり、5月に上海に行くことが確定なので、そこは避けたい。できれば過去のディスティネーションも避けたい。
  4. 日程は3月18日(木)の午後〜22日(火・祝)の4.5日間。
  5. 基本は関空発。伊丹→成田でもいいけど。
  6. お互い社会人なのでそこまで安さにはこだわらないが、あまり高すぎるのもしんどいかも。
  7. 「うーん、海外」と思えるディスティネーション。
  8. 2人は興味の方向性がかなり違う気がするので、ある程度、個人個人でも動ける場所。
 こんなの考えだすと、本当に楽しくて睡眠不足だわ…。(2009/10/4)

久しぶりの歯医者
 ポーランドから戻ってきてから、仕事だの舞台技術学校だので、全然旅行記は進んでいません。今度の3連休は1日を除き暇なので、そこである程度はまとめようと思っているのですが…。
 実は今回の旅行、割と様々なトラブルに見舞われました。その中でも大きかったのが、途中で奥歯が痛みだしたこと…。実は、数ヶ月前から2週間に一度ほどそういうことがあったのですが、しばらく経つと何事もなくなるためほっておいたのです。ところが、そこがポーランド2日目のワルシャワの時に痛みだした…。どうやら今回は本格的に痛く、もしかするととうとうダメになったのかもしれないと。まだまだ旅程は残っているし、ワルシャワは日本語はおろか英語もあまり通用しないような街だし、歯痛では海外旅行保険も使えないし、今回は荷物を減らすためにバファリンも置いてきたしと、非常に不安な夜を過ごしたのでした。
 と思っていたのですが、翌朝は多少違和感は残っているものの痛みはだいぶおさまり、2日後には全く忘れる程度になったのでした。というわけで事なきを得たのですが、流石にこれはまずかろうと、昨日、数年ぶりに歯医者に行ってきました。
 レントゲンも撮ったのですが、奥歯にそれほどの大きな虫歯は見つからないとのこと。ただ歯石がたまっていて、そこから炎症を起こしている可能性もあるということで、歯石取りをしてもらいました。私は鼻づまりのため歯科治療は苦手なのですが、きれいに歯石を取ってもらうとなんとなく気分の良いものです。歯と歯の間がスースーするのも、新鮮な感覚です。
 もう1回歯石取りをして、様子を見るとのこと。痛みが再発しないか多少不安ですが、とりあえず大きな欠陥はないようなので、これで安心して舞台技術学校の中間発表会に臨めそうです。(2009/10/6)

大阪府メール問題に思う
 台風が列島を通り過ぎて行った今日、大阪府の橋下知事が、職員からのメールの内容が不適切であるとして処分を行うという話題が、大きく取り上げられています。一部では公務員はやはり社会常識に欠けるなど公務員バッシングがなされているようですが、よく調べてみると実はなかなかに根の深い問題のようです。
 朝日新聞によると、橋下知事が「利水からの撤退によって府の損失が386億円に上った紀の川大堰(和歌山県)をめぐり、議会で原因を淡々と説明するだけだった府幹部について「何事もなかったかのよう。給料が保障される組織は恐ろしい」などと書いて全職員に送った」ところ、職員の一人が「責任は(投資を)決断した人にある。こんな感覚の人が知事である方が恐ろしい」と返信」し、さらに、「「愚痴はご自身のブログ等で行ってください。メールを読む時間×全職員の時間を無駄にしていることを自覚してください」とたしなめた」そうです。
 後段は確かに余計な気がしますが、前段の部分はなかなかに複雑な問題をはらんでいます。よく勘違いされがちなのですが、地方自治体(都道府県、市町村)の仕事は、あくまでも選挙で選ばれた首長(知事・市長等)が、選挙で選ばれた議会の同意や承認を得て行うものであり、地方自治体の職員はあくまでも首長の「補助機関」にすぎないのです。これは、地方自治法上、明確に規定されています。たとえ全職員が「これはおかしい」と思っていても、首長と議会がその事業を推進するのであれば、法令上明確に違法でない限りは進める義務があるのです。逆に、全職員が「これはおかしい」と仕事をボイコットすれば地方公務員法違反です。ここは、一定程度組織としての責任を負う民間企業とは明確に違います。
 386億円も損失を出す事業のゴーサインはトップ(首長)から出たはずです。そして、これほど大きな事業は議会の同意を得る必要があります。その決断をした議会に対し、補助機関たる府の幹部職員が事実関係を淡々と説明するのはむしろ当然と言えます。逆にその場で、府幹部職員が当時の府知事や府議会を名指しで「なんでこんなあり得ない決断をしたのか」と、熱烈に情熱を持って厳しく指摘すれば、それこそ問題ではないかとも思うのです。
 もちろん、選挙で選ばれた首長や議員の責任をどこまで追求できるのかについては、法制上も非常に難しい部分があります(自治法もいろいろと変遷しています)。とはいえ、このあたりの議論をどこまでわかった上で橋下知事とメールした府職員が言葉の応酬をしているのかというと、若干「そうではないだろな」という気もするのが残念なところです。(2009/10/8)

長年の懸案を解決
 最近、大阪名物といえば真っ先に上がるのが「串カツ」ですが、むかしから関西人ならば知らない人はいないお店があります。JR大阪駅から御堂筋線&阪神電車の地下に降りてすぐのところにある立ち食い・立ち飲みの「松葉」です。物心がついたころからあの前は通っていたとおもうのですが、なんとなく通や常連でないと入りにくい雰囲気もあり、行かずじまいでした。
 先日、舞台技術学校生の飲み会の際にも話題に出て、みな「知っているけれど、行ったことないよねぇ」とのこと。ならばということで、今日、多少の勇気を出して、同級生たちと食べに行ってしまいました。入ると、結構さっぱりとした店構え。最初こそ多少とっつきにくいものの、お店の人はフレンドリーで、揚げてくれるものはみなおいしく(特にカキとジャガイモ、レンコンがおいしかった)、なかなかよいお店でした。ただ、今回は3人でしたが、人数はこれが限界だろうなあ。
 同期生とは、今度はUSJに行こうかとか、太秦映画村に行こうかとか話しています。こういったところも久しく行っていないので、とても楽しみ。学校に通いだしたことで、舞台以外の世界も少しずつ広がりつつあります。(2009/10/10)

地元の歴史への鎮魂(ギンギラ太陽’s 感想その1)
 今日、ギンギラ太陽’sという「かぶりもの」で有名な劇団の神戸公演を見てきました。題目は、「翼をくださいっ!さらばYS−11」。いかにも私好みの演目でしょうということで、ピッコロの同級生が誘ってくれたのです。新規参入したスカイマークを主人公に、YS−11や雁ノ巣飛行場など、さまざまな飛行機や空港などがかぶりもので登場。笑いあり、涙あり、地元ネタあり、業界ネタありの波乱万丈の125分間、派手でわかりやすい芝居を志向する私にぴったりのお芝居でした。
 アフタートークでもあったのですが、地元密着で地元ネタを調べていくと、歴史という縦の軸にも興味を持ったとのこと。たしかに、地元や地域のことを調べていくと必然的に歴史にぶつかるというのは、私のようにホームページに駄文を連ねているだけでもよくわかります。この場所で、その時代時代に悩み、考え、ある時は時代に翻弄され、ある時は時代に逆らって生きてきた人々の物語というのがすっと目の前に見えてくる、そんな瞬間があるのです。
 「かぶりもの」というのは歌舞伎のお面のようなものと言っていましたが、むしろ神への奉納を目的として演じられた能面のようなものなのかもしれません。掘り起こされた地元の歴史への鎮魂としての舞台。意図的かどうかは分かりませんが、あのかぶりものに、一種神々しいものも感じてしまったのです。(2009/10/12)

スカイマークいつまでも(ギンギラ太陽’s 感想その2)
 さて、「翼をくださいっ!さらばYS−11」の主人公というか、メインキャラクターのひとつが新規参入した「スカイマークさん」でして、JALさんやANAさんからの嫌がらせを受けたり、なかなか空を飛ぶことができなかったり(1日3便)と苦労するわけです。そのオープニングが「はじめて黒字になったよ」という語りかけ。ちょうど5年前の2004年のことです。実は、私は2003年に、人生はじめての株式としてスカイマークエアラインズ(当時)の株式を購入しており、それ以来、零細株主としてずっとこの会社を見守ってきました。
 設立当初は「日本の空をカジュアルに」と題して、スチュワーデスの水着姿が載ったカレンダーを販売したり、全面広告の飛行機を飛ばしたりと、なかなか意欲的な会社であったのですが、このころはその熱意も若干冷めてきていたように感じます。大きかったのはITベンチャー出身の西久保氏が社長に就いたことで、大幅な路線の統合・縮小や海外進出の完全断念、シグナスクラスの廃止、CIの変更と立て続けに大きな変革が行われました。「今は醜いあひるの子でも、将来はハクチョウとなって羽ばたくぞ」という信念のもとに作られたはくちょう座のロゴマークの廃止は大変残念でしたが、むしろそういうスローガンなり理念優先から実態やビジネス重視になったからこそ、新規参入で唯一生き残ることができたところもあり、なかなか複雑です。
 ご存じの通り、昨今、航空業界を取り巻く環境は大きく激動しています。もし今、大塚ムネト氏がこの業界を描くとしたら何を題材にするのか。非常に興味のあるところでもあるのです。(2009/10/14)

ピッコロ演劇学校研究科・ピッコロ舞台技術学校 合同発表会
 10月31日(土)午後5時開演
 11月1日(日) 午後2時開演
 今日、研究科の通し稽古を見ていたのですが、かなり良い作品に仕上がっていました。泣かせるシーンもあり、音響や照明に比べればゆっくりと舞台を見ることができた美術コース生の中には「つい泣きそうになってしまった」という人も。まだまだ荒削りな部分はありましたが、あと2週間できっちりと仕上げてきてくれるはずです。さすが研究科との感を強くしました。
 本科のほうはほとんど見ていないのですが、それなりに苦労しているようです。こちらは多少、暖かい目で見ていただいたほうがよいかもしれませんが、やはりプロの俳優が指導しているわけですから、学生演劇とは一味もふた味もちがったものを見せてもらえるのではないかと期待しています。
 とはいうものの、舞台技術学校18期美術コース11名の知恵と汗と涙の結晶の舞台装置が最大の見どころなのは言うまでもありません(笑)。巨大なパネルが立つ予定です。(ちゃんとできるんかな…。)
 ということで、自信を持ってお薦めできそうですので、もしこのページを見ている方の中で見てみたいという人がおられましたらぜひ、いそべまでご連絡くださいませ。くわしくは、こちらのページで。(2009/10/16)

物語の力の復活(ギンギラ太陽’s 感想その3[最終回])
 ギンギラ太陽’sの神戸公演ですが、公演終了後アフタートークがあり、主宰・作者・演出家である大塚ムネト氏のお話を伺うことができました。演劇的にもさまざまに面白くためになる話が聞けたのですが、そこで出てきたキータームの一つが「物語の力の復活」ということ。
 私と同世代で多少心理学などに興味のある人であるならば「共同幻想」という言葉になじみがあるかもしれません。簡単に言ってしまうと、社会というのは一つの物語(神話でも「追いつけ追い越せ」でもなんでもよいのですが)を共有している集団であり、その物語はあくまでも幻想にすぎないということです。そういう意味では現在の日本というのは物語を失った集団であるとも言えそうです。
 おそらく大塚氏の言う「物語」は、神話的なものではなく、地域で人々が悩み考え取り組んできたこと(スカイマークの就航でもいいし、福岡空港への日本航空就航でもよいし)を再発見し、再構築し、物語化する。そして、それを一つの演劇として提示することにより、地域に根付いた物語を共有する、新しい社会を構築する。そんなことを考えている気がしました。おそらくそれが大好きなのは町や学校に著名人の名前を付けまくるアメリカだと思いますが、彼らは歴史がないからこそ、偉人から共有できる歴史と物語を引き出そうとするのでしょう。
 最近、演劇を見に行く機会が非常に多いのですが、このようなタイプの演劇というのはある意味初めてでした。斬新な手法や意欲的な題材を取り上げるのも結構ですが、少なくともその場のお客さんの中でさえ物語が共有できないような芝居は、少なくとも私は好きになれないのです。(2009/10/18)

「自分はこの街を好きになりそうな気がする」
 最近は個人ホームページというと「ブログ?」となってしまう時代ですが、昔はなかなか面白い個人ホームページが数多くありました。なかでも大好きだったのが、「コザに抱かれて眠りたい」でした。20代半ばの女性がコザ(沖縄県沖縄市)で2年2カ月暮した話が書いてあるのですが、その人間や社会に対する冷静かつ愛情あふれる視点には、本当に参ってしまいました。「中央駅めぐり」など、結構このページの影響を受けている気もします。
 いろいろと素敵な文章が並んでいるのですが、中でも自分が一番共感できたのは、なぜコザなのかということ。彼女が旅行者として初めてコザの街を歩いていたときに、不意に「自分はこの街を好きになりそうな気がする」という感情が湧きあがってきた、というのです。この感覚、実は私も非常によくわかります。
 小学校6年生の時、筑波万博の会場から土浦駅までバスで帰る際に、たまたまつくばセンター経由のバスに乗ってしまいました。バスの窓からつくばセンターを見上げた時、なぜか「僕はまたいつの日か、ここに来ている気がする」という強い感情が湧きあがってきたのです。中学・高校時代はそんなことをすっかり忘れていたのですが、高校1年のある日、心理学の学べる学校を探していたときに「筑波大学」をたまたま発見。さらに調べると筑波大学は東京教育大学時代からの伝統がある日本でも有数の心理学のメッカとのこと。こうして私はあの愛すべきつくばの街で7年間を過ごし、さまざまな人や自然と出会うことになったのです。
 街は人ではないけれど、街の持つ雰囲気や物語というのは、時として人を魅了してしまいます。これからもそんな運命的な街と出会っていきたいなと、最近時々思うのです。(2009/10/20)

ピッコロ合同発表会まであと1週間
 ピッコロも合同発表会まであと1週間あまり。いよいよ大詰めに入ってきました。
 道具関係はほぼ最後の大物(見に来てからのお楽しみ)に取り掛かりつつあります。ただ、これがなかなかの大物のため、移動や保管場所にも一苦労。計算上はなんとか中ホールに搬入できるらしいのですが、なかなか計算と実態とは合わないもの。そんな不安も抱えつつ、前に進んでいます。
 バタバタしていたり、若干のバラバラ感があった研究科、本科もここにきていよいよ臨戦態勢。舞台衣装を着てピッコロ内を動きまわっていても、若干の自信と心地よい緊張感とこの場を楽しもうという余裕が感じられます。
 私自身も21日(水)からは、休館日の26日(月)を除き、基本的に毎日ピッコロに行くことになります。ホームページの更新は滞りがちになりそうですが生きていますので、ご心配なきよう。(2009/10/22)

県内横断→仕込み初日
 今日は仕込み初日。とはいえ、他のイベントが大ホール・中ホールを使っており、作業ができるのは午後6時以降。ということで、歯医者[元町]、月に1回の面接[姫路]、兵庫県民農林水産漁業祭[明石]、マリンピア(アウトレット)[垂水]と兵庫県内を横断しつつ用事を済ませ(?)、ピッコロ[尼崎]へ。今日はパンチカーペット敷きのみとのことだったのであっという間に終わるかと思いきや、バミリに加え、結局台組みの途中までやってしまいました。まあ、早く仕事が済めばそれに越したことはなく、結果オーライなのですが…。
 明日は朝から1日仕事のため、今日はピッコロ始まっていらい、ほぼ初めて塚口で食事をすることなく家に帰りました。さほど厳しい作業もしておらず、拘束時間も長くはないのですが、やはりなんやかんやで疲れているのかもしれません。本番までラスト1週間。体調を整えつつ、頑張りたいと思います。(2009/10/24)

明日から1週間ピッコロです。
 いよいよ来週の土曜日・日曜日はピッコロの合同発表会。明日から1週間、毎日ピッコロに行く予定です(木曜日は仕事の都合で大幅に遅れてしまう or 欠席になってしまうのですが…)。今日は本番前、最後の休養日。散髪に行って、家で食事をして、1週間の舞台美術学校日誌を書きました。内容が濃かったので、1週間前のことはかなり昔のことのように思え、思い出すのも一苦労でした。パネルの作業状況など、もしかすると若干違っている部分があるかもしれません。
 しかし、30代も後半になってこんなにワクワクした、高揚した気分を味わうことができるとは思っていませんでした。もちろん大変なことや緊張すること、果たして間に合うのかなど心配なこともなくはないのですが、当日それほどクリティカルな仕事がない美術コースであることもあって、心配や緊張よりは楽しみ、期待の方が大きいです。当然、安全には十二分に配慮し、気分を引き締めつつ、このワクワク感も楽しみたいなあと思っています。(2009/10/26)

やってくるか、演劇の時代
 ピッコロ演劇学校・舞台美術学校では2カ月に1回ほど、その分野の著名人を招いての「特別授業」を行っています。11月には平田オリザ氏の特別授業が予定されていたのですが、先日急きょ取りやめとの連絡が。なぜかなあと思っていたところ、平田オリザ氏は内閣官房参与に就任され、鳩山首相の所信表明演説にもアドバイスを行ったとのこと。なるほど、その影響かもしれません。
 諸外国では劇作家がスピーチライターになったり、スピーチの指導を行うことはごく普通のことです、さらに、チェコのハベル大統領のように、劇作家自身が政治家になるということも珍しくなく、かの国では演劇と政治が非常に近しいものと考えられているようです。確かに、自分以外の他者に扮して、ストーリーを物語っていくという演劇の手法は、まさにまつりごと、政治の本質なのかもしれません。
 平田オリザ氏は、最新刊の『コミュニケーション力を引き出す』(2009,PHP新書)の中でも、古い地縁・血縁型の共同体崩壊後、お互いにコミュニケーション力を高める上で、演劇教育や演劇ワークショップが重要になってくるということを主張されています。このような人物が内閣に招かれたということは、この国においても演劇というものの重要性が多少なりとも認められ、地位も向上していくのかなと、ほんのちょっと期待しているのです。(2009/10/28)

手段と目的
 ちょっと前のお話ですが、鳩山首相の所信表明演説が「長い」ということで、話題になりました。前回の日記を書くにあたり、全文を読んでみたのですが、平田オリザ氏がからんでいるからかどうかはわからないのですが、なかなか素晴らしい文章でした。まるでアメリカやドイツの演説を読んでいるような感覚さえ受けました。きっこの日記ではありませんが、中途半端に施策に言及した後半はともかく、前半は非常によい文章なのでぜひ一読されることをお薦めします。
 そこで大きなテーマとなっているのが、「人と人が支え合い、役に立ち合う『新しい公共』『新しい共同体』」を作り上げること。これ自体は陳腐化したモノ言いなのですが、その目的を「人間にとって大きな喜び」「すべての人々が互いの存在をかけがえのないものだと感じあえる」「一人一人が「居場所と出番」を見いだすことのできる」と明確にしたところがなかなか素晴らしいと思うのです。
 日本人は宗教的な感覚が薄く、また大上段に構えるのを嫌う雰囲気もあって、手段にはこだわってもその目的をあまり明確にしない傾向があります。しかし、お金儲けも、介護・医療も、教育も、本来は人々が喜び、楽しく暮らしていくという目的のためにあるもの。目的なき手段は諸外国や他文化から理解されないだけでなく、暴走する危険すらあります。こういうなか、多少書生臭いきらいはあるものの、目的を明確に打ち出したこの演説というのはなかなか貴重であり、日本社会も変わりつつあるのかなと感じたところでもあるのです。(2009/10/30)

意外と見られているようで
 舞台技術学校の本番があったため、2日で1回日記が1回分飛びました。まあ、わかりやすい事情なので、仕方ないということで。
 打ち上げではいろんな人といろんな話をしましたが、正直、結構飲んでいたためあまり覚えていないところも。何人かの方から「ブログ読んでますよ」と言われたような気も…。ちなみに、ブログじゃないんですけど…。個人ホームページ=ブログというのがなんとなく一般化しつつあるな…。まあ、技術学校日誌ともども、多少書き過ぎな時はご連絡くださいませ。対処します。
 しかし、最終日の打ち上げというのはどうしても始まるのが遅くなるため、時間が短くなります。またどうしても本科は本科、研究科は研究科、技術は技術と固まってしまいがちなため、もっともっといろんな人と語りたかったのに残念です。とはいえ、語っても覚えていないのでは仕方ないのですけどね。
 市民劇団時代に、舞台監督さんが「飲み会の時は色々といい話をしているのに、酔いからさめたら全部忘れているので残念」とよくおっしゃって言いましたが、私もだんだんそうなってきた気がします。(2009/11/3)

国内旅行?ですかね
 ここ1、2カ月程度は舞台技術学校の前期発表会で忙しかったのですが、それも終わり、小休止といったところ。水・金はずっと授業で埋まっているのですが、今月、土日の授業は1日のみ。となると、行きたくなってきたのが旅行。今年は9月に大きめの旅行(ポーランド・オーストリア)をしたものの、それ以外ほとんど行っていない…。今年度は1回も東海道新幹線に乗っておらず、国内線の航空機は皆無…。実家に戻ってきてからの状況としてはかなり特異です。
 土日は学校の授業のほか、同級生と遊びに出ることも多く、そういう意味では非常に充実しているのですが、ここらへんで国内でのんびり一人旅するのもいいかなと思っている自分もいます。やはり海外旅行は、若干修行的な意味合いというか、のんびりしきれない部分もありますし、集団行動ではどうしてもツアコンになってしまいますので…。その点、国内一人旅であれば言葉や習慣の違いも少なく、外国人だという視線も無く、一人でのんびりと安心して旅ができます。
 いまのところ、21日からの3連休に何の予定もなく、翌24日も休めそうなので、ここで行こうかなと思っています。食べ物のおいしい季節でもありますし、場所によっては紅葉が楽しめるかも。さて、どこに行こうか、久々に国内に視点を移しつつ、探しているところなのです。(2009/11/5)

コインロッカー事情
 私は旅に出たり、美術館・博物館・ホールに行くことが多いため、コインロッカーを使うことが結構多いです。体に似合わず、あまり大きな荷物が好きでないというのもあります。ところが、コインロッカーの通常料金300円を支払うことにいつも大変躊躇してしまうのです。300円あればペットボトル2本買えるし、神戸から大阪まで行けるし、牛丼並も食べられるし…と、かなり高く感じています。
 そのためにわざわざ家や職場に戻ったり、無料のところを探したりすることもしばしば…。ほんとはさくっと預けて遊びに出た方が、コストからいえば正しい選択なのでしょうが、ついついやってしまうのです。今日もポートライナー8000型ラストランに乗るにあたり大きな荷物を持ち込めないため、泣く泣く三宮でコインロッカーを利用したのですが、わざわざ200円のところを探してしまいました。
 ホールや博物館では無料のところが多いのですが、一昨日行った国立文楽劇場(大阪)は利用料金10円。10円単位のコインロッカーというのは初めてです。むしろお金の回収の方がコストがかかってしまうのではと心配してしまいます。どなたか、他に変わったコインロッカーをご存じありませんか?(2009/11/8)

がんばれ新長田
 前回、3日に1回日記となってしまいましたな…。全然気がつかなかった。いまさら変えるのもなんなので、とりあえずこのままで。
 今日は去年の職場の同僚と一緒に飲み会。最近、舞台技術学校の若い人たちとの飲みが多くなっているので、こういう機会は貴重です。今日は新長田の知る人ぞ知るイタリア料理屋(というか、居酒屋というか)へ。これがおいしいおいしい。4人でワイン2本空けて、思いっきり食べて5千円弱というのはコスパも最高です。
 新長田といえば、今、「鉄人28号実大モデル」で結構注目を集めています。もともと安くておいしい店も多く、庶民的な味のある町だったのですが、震災で壊滅的な打撃を受け、その後立派な再開発ビルが林立したものの、それが逆に客離れを招き、ビルには空き家が目立っていました。しかし、28号ブームもあって、大分お客さんも戻ってきているようです。明らかに町中を歩く人の数が増えました。今日行ったお店のように、ひそかな名店も結構あり、ネットの口コミで広がっています。
 大阪の新世界も一時は相当寂れていましたが、最近、観光の町としてすっかり復活しました。「ぼっかけ」「そばめし」など神戸が誇るB級グルメのふるさととしても、ぜひ新長田が活性化してほしいと願わずには居られません。(2009/11/9)

忘年会ってします?
 今日は11月11日、ポッキーの日だそうで。だからと言って、何もしませんが。
 さて、気がつけば11月も中旬。忘年会のことを考えだす季節になってしまいました。ということで、うちの職場でも忘年会の日程調整が来たのですが、12月第1週・第2週を想定しているようで、見事に舞台技術学校の実習とぶち当たっている…。せめて、第3週にといったのですが、懇親会の幹事さん曰く、「みんな、本当の年度末は他の忘年会も一杯入っているでしょうし…」とのこと。
 課長や上の方の人ならさて知らず、私のような下っ端の人間で、公私にわたりそこまで忘年会ってあるのでしょうか。私自身の付き合いが狭いからかもしれませんし、ずっと年末が大忙しの仕事に就いていたからかもしれませんが、忘年会だから飲みに行きましょうというのは、最近あまり記憶にありません。年度末(3月)は、送り出しだのなんだので、多少はありますが。
 本当は、年末は「忘年会で大変ー」とかいう状況の方が、季節感が感じられていいのかもしれませんけどね。最近の若い人たちの間ではどうなのでしょうか。(2009/11/11)

スリム化が必要です
 今日は11月13日、13日の金曜日でした。だからと言うかどうかわかりませんが、仕事の方でちょっとバタバタがありました。まあ、全国でも大きく報道されているので、ご存じの方も多いようかも。
 この件についてはいろいろと言いたいこともあるのですが、実名を出してホームページをやっている以上、さすがに私見は書けない部分があります。まあ、多少書いたところで誰も気がつかないとは思うのですが…実名ですしね。
 ところで、さすがに神戸も寒くなってきたため、暑がりの私も冬の装いに変えつつあるのですが、何と1年前の服がだいぶきつくなっていました。あるYシャツなど、着てみたところ、まさにボンレスハム状態。昨年冬も決して痩せていたわけではないのですから、かなり大問題な気がします。美術コースはさほど動かないし、明らかに飲みに行く機会が増えたもんなあ…。
 仕事も体も(最近はお財布も)スリム化・リストラが必要なようです。(2009/11/13)

エルリック・コスモスと22万時間
 今日は尼崎アルカイックホールで、「エルコスの祈り」という劇団四季のミュージカルを見てきました。
 この作品、もともとは「エルリック・コスモスの239時間」という題名で、初演は1984年の「ニッセイ名作劇場」。実は私はこの公演を小学校で見に行っているのです。小学校6年生だったのですが、非常に感動してちょっと泣いてしまいました。そのあと、神戸文化ホールからの帰り道、同級生の女の子とずっと劇の感想を語り合っていたのを、いまでもよく覚えています。
 覚えているといえば、劇中曲の「語り合おう」。数年前、この曲を20年ぶりぐらいに聞いた時、記憶とほとんど違っていないことに本当にびっくりしました。ちなみに、覚えていたのは「語り合える 分かりあえる きみと共に この手つないで 見つめあおう 分かりあおう きみと共に このぬくもりを」。正しい歌詞は「見つめあおう 語り合おう きみと共に この手つないで 見つめあおう 語り合おう きみと共に このぬくもりを」なので、かなりの再現率です。当然、この曲を聴いたのは本公演を見た2時間だけ。ほぼピークといわれる小学校6年生の記憶力のすごさに改めて驚くとともに、この曲自体の素晴らしさにも感心せざるを得ません。(ちなみに、メロディーはここで聴けます。)
 作品自体は「管理教育で心が冷たくなった子どもたちのところに、心が素直で正直なロボットが乗り込んでいき、自信と希望と夢を取り戻していく」という、どこかで見たことのあるような筋書きではあるのですが、現代的なダンスと近未来的なセットが逆に現実感を増していました、さらに、劇団四季なので、演技も当然一流。子どもが多数いたにもかかわらず、真剣なシーンではホール内に静寂が走り、いかに観客が劇に集中していたか、私自身も正直びっくりしたほどでした。そして、例の「語り合おう」が出てくる第1幕終盤では、懐かしさもあり、ついほろり。
 あの感激から25年、約9千日、約22万時間。あの時の感激が、いま自分を舞台に向かわせている大きな原動力となっていることは間違いないのです。(2009/11/15)

去年も今年も来年も20年後も
 今日は新神戸オリエンタル劇場で、「エンジェル・イヤーズ・ストーリー」という劇団キャラメルボックスの演劇を見てきました。
 演劇自体の感想は後に回しますが、今日はちょうど出演者の方(岡内美喜子さん)のお誕生日だったということで、カーテンコールの際に会場の全員で「ハッピーバースデー」を歌い、ちゃんと小振りのケーキも出てきました。これもいかにもキャラメルボックスらしい演出ではあります。
 彼女いわく「実は20なん歳のときから、10年以上毎年、舞台の上で誕生日をお祝いしてもらっています。しかし、今年は初めて雨の日になりました。そして、2時間近くずっと舞台に立っていたのも今回が初めてでした。いくつになっても、毎年毎年新しいことがあるなあと思っています」とのこと。
 私も30代になるまでは、「30代になったら落ち着いて、ずっとおんなじような日々が続くのかなあ」と思っていました。しかし、そんなことは決してなく、いくつになっても、いつになっても、毎年新しいことはあるし、楽しいことはあるということが、心からわかるようになってきました。
 最近、ときどき「老後、家族も無く、男一人でどうやって暮らしていくんだろうか」などと考えたりするのですが、今の自分には見えていないだけで、年をとっても意外と面白いことが、また毎年待っているのかもしれません。そう考えると、1年1年と人生を重ねていくのも楽しいものです。(2009/11/17)

来週末は金沢旅行です!
 今日、家に帰ってきたら、阪急交通社トラピックスから1通のメールが。先週キャンセル待ちで申し込んでいた金沢フリープランの空席が出て、席が取れたとのこと。これまで何回かキャンセル待ちにチャレンジしたものの行けた試しがなかったのですが、今回はたまたま空いたようです。特急で往復+ホテル付きで約1万1千円はお得です。
 実は、金沢は私の初めての一人旅の行き先でもありました。中学校2年生から3年生になる春休み、東尋坊→永平寺(泊)→金沢→宇出津(泊)→能登半島一周→輪島(泊)→自宅と3泊4日の旅をしたのです。なんせ22年前、当時はまだJRではなく国鉄でした。京福電鉄は事故を起こしてえちぜん鉄道に変わり、輪島や宇出津からは鉄道がなくなりました。能登には空港もできてしまいました。
 実は金沢の街には8年前に再訪していますが、連れがいたため、かなり慌ただしい旅だった気がします。今回は気軽な一人旅。長い間の懸案であった21世紀美術館を中心に、街並みなども楽しもうかと。魚のおいしい季節でもあり、近江町市場も楽しみ。最近ちょっぴり心がすさんでいるようですので、演劇とも中央駅とも関係なく、難しいことを考えることも無く、のんびりと国内旅行を楽しんでこようかなと思っているのです。(2009/11/19)

ホルンと歩んだ9年間
 今日は、ピッコロシアターで演劇ではなく、ホルン四重奏(五重奏)の室内楽(コンサート)を聞いてきました。私は中・高・大と約9年間、濃い薄いはありましたが、この楽器に取り組んできたのです。
 ホルンというと、後打ち楽器や伴奏・和音楽器という印象が多そうですが、実際には甘い恋のささやきから、高原に広がる羊飼いの角笛、朗々としたコラール、勇壮な狩りの音、割れるような雷の音まで、非常に幅広い音色と音域をもっています。これが如実に表れるのが実はアンサンブルで、ホルンは金管楽器であるにもかかわらず、木管五重奏にも金管五重奏にも含まれるのです。今日の演奏でもそのホルンの魅力を最大限に発揮。室内楽なので退屈かと思いきや、多彩なホルンの表現が爆発し、これまで室内楽では感じたことがなかった感動を覚えました。
 ところで、日本(あるいは吹奏楽)ではどちらかといえばのんびりとしたイメージのあるホルンですが、実はギネスブックにも認定された「世界一難しい金管楽器」。和音が多いくせに音程をとるのが難しい(その調整のために右手を使ったりする)のと、倍音がやたら多く音を外しやすいという難点があるのです。また、マウスピースが深く小さくて、他の金管楽器に比べても疲労が溜まりやすいとも。逆にそれが柔らかで自然な音を作っている部分もあるのですが、のんびりとした外観と繊細な内情という、相反する性格をもった楽器でもあるのです。
 「オーケストラ楽器別人間学」という有名な本がありますが、特定の楽器と数年間付き合っていれば、多かれ少なかれ性格に影響を受けるもの。この気難しくも素晴らしい楽器と歩んだ経験は、自分の性格形成に大きく影響しているなあと改めて感じました。(2009/11/21)

リアル「阪急電車」
西宮北口→宝塚の電車の中で、目の前に立っていた大学生カップル。
どうも2人は甲東園駅で待ち合わせていたらしい。
 女「やっと乗れたねぇ」
 男「本当にもう…」
 女「だって、西宮北口で今津線に乗り換えなんて言うからいけないんだよ。
   電車乗ったら、阪神国道、次が今津で終点になっちゃった。びっくりしたよ。」
 男「なんで携帯持っていないの?」
 女「だって、仕方ないじゃん…。
   でも、そもそも今津に行かないのに、今津線って名前がおかしいよ。
   絶対おかしい。誰かに、変えるように言わないと!」
 男「…」
女の子はかなり可愛かったですが、明らかに関西弁ではなかったです。
暖かな晩秋の光が差し込む、休日の午後の今津線でありました。(2009/11/23)

※ご存知の方も多いと思いますが、「阪急電車」というのは有川浩さんが、阪急電鉄今津線(のうち、主に宝塚・西宮北口間)を題材にして書いた作品です。

電撃文庫デビュー(狼と香辛料)
 ピッコロに通い始めてから、いろいろと若い人の興味を持つものに触れることが多いのですが、ライトノベルもその一つです。で、今回は同級生からアニメ化もされた「狼と香辛料」を借りて読んでいます。以前、久しぶりに行ったアニメイトでポスターを見て、ちょっと気になっていました。実は「電撃文庫」デビューです。
 で、読みだしたところ、なかなか面白い。魔法も剣も出てこず、ファンタジーの姿をした経済小説なので、大人の方でも十分楽しめるものとなっています。たとえば、第1話のテーマは「金貨の改鋳」、第2話は「関税と密輸」、第3話は「バブルと信用売り」といった具合。また、街の雰囲気やお祭りの記述も中世ヨーロッパ(ドイツあたり?)のイメージであり、旅情に駆られます。
 とはいえ、この小説の一番の魅力はなんといっても、ヒロインのホロであることは間違いありません。普段は10代半ばの見目麗しい娘の姿でありがながら、実は伝説上の賢狼の化身。仕事の上での老練さと、食べ物や主人公ロレンスとの恋愛話(?)で見せる幼い部分。そのアンバランスさが、なんとも小気味良いのです。彼女の存在が、この話をより親しみやすいものにしているのは間違いありません。ベージュを基調にした文倉十さんのイラストも雰囲気をよく伝えています。
 しかし、読んでいてびっくりしたのが、ホロにしても、ロレンスにしても、孤独感をよく語るということ。「もう、目を覚まして誰もおらんのはいやじゃ……。一人は飽いた。一人は寒い。一人は……寂しい。(1巻から)」
 もちろん、人生のほとんどを一人で旅する行商人と、豊穣の神として崇められながらも人間社会からは受け入れられない狼という、物語特有の設定もあるのでしょうが、もしかしたら今の日本というのは家庭も会社も地域も崩壊し、拠り所や人生設計や基本的信頼感なども失われて、実はみんな孤独感を感じながら生きているのかなとか、そんな心配もしてしまいました。(2009/11/25)

ウィンリィ がんばれ!(鋼の錬金術師)
 今度は別の同級生から「鋼の錬金術師」のコミックを借りました。「はがれん」といわれ大変人気があるらしく、先日ネットカフェで読んだところなかなか面白い。現在のところ23巻まで出ており、ネットカフェだけでは読み切れないため、同級生からお借りしたのです。今回は14巻まで大人貸し(?)してくれました。
 で、このお話は、魔法やら剣やら、当然ながら錬金術なども出てくるのですが、決して派手なシーンが続くわけでもなく、むしろ淡々と進むため、逆に入り込みやすくなっています。そして、奪われたお姫様を探したり、親の仇を討ちにいくでもなく、むしろ失われた自分探しの旅であるというところが、斬新に感じました。
 さらにこのお話を味わい深いものにしているのは、個性豊かなわき役たちの存在でしょう。冷静なキャリアウーマンながらも恋する女性・ホークアイ中尉や、すぐに登場しなくなるものの話の背景として常に存在感を有するヒューズ中佐、かなり怪しい風貌である一方で軍人として不向きなほどに優しい側面も持つアームストロング少佐など、この作品は愛すべき人物で満ち溢れています。ただ、その中でも別格なのが、ヒロインとも言うべき、ウィンリィ・ロックベルでしょう。
 旅する男の子を見守る女の子という構図は少年マンガの典型ではあるのですが、このお話は、むしろウィンリィの成長物語でもあります。主人公兄弟の幼馴染兼彼らの義肢(機械鎧)整備士として登場し、単にかわいいだけ、メカニック好きなだけでなく、わずかな医学知識で出産を成功させたり、違う街に出て行って技術を磨いたり、とても能動的に行動する女の子です。で、巻を経るに従って、彼女はどんどんきれいになっていきます。特に圧巻なのが、12巻です。
 医師であった自分の両親は命を救った患者に殺されたという事実を知り、その犯人を前に結局引き金を引けなかった後、彼女は修行中で今暮らしている街からの電話を受けます。多くの患者さんたちが彼女の修理を心待ちにしているという電話でした。それに涙し、彼女は語ります。「あの時止めてくれてありがとね/あたしにも待っててくれる人達がいるんだよね/その人達に顔向けできなくなるところだった/父さんと母さんのことはまだ心の整理がつかないけど/皆(みんな)待っているから…/皆(みんな)のおかげで耐えられる」
 実は、最後のセリフのシーンに一種のあきらめとほのかな希望とが入り混じった、彼女の笑顔が描かれるのですが、実はそこまで、彼女の顔はあえて描かれていないのです。作者がこの1コマにかけた意気込みが感じられます。そして、その後、主人公と別れ自分の街へと帰っていくシーン。ここでもまた彼女の単純ではない、美しい笑顔が描かれています。世の中も社会も人生も、単純にうれしいだけとか、頑張ればいいだけとか、そんなに単純なものではありません。楽しい中にも苦しさやら厳しさやら後悔やらが潜んでいるはずです。それも分かった上で、全部受け入れながら、だけれども、お互い笑顔で頑張っていこうよ。そんな決意とメッセージのこめられた女性の笑顔はとても素敵だなと思います。
 さて、お話はまだまだ中盤。主人公たちは無事自分を取り戻すことができるのでしょうか、軍上層部を一掃することができるのでしょうか、そしてウィンリィはどこへいくのでしょうか。もうしばらく楽しめそうです。(2009/11/27)

美術とは、違う視点を教えてもらうこと。
 1泊2日ではありましたが、金沢に一人旅をしてきました。今回の目的は、前から行きたかった「金沢21世紀美術館」。実は、大学2年生の時に広島市現代美術館で新鮮な衝撃を受けて以来、ひそかに現代美術ファンなのです。
 現代美術というととかく難しい印象がありますが、作者と自分が同時代ということもあり、本来は分かりやすく面白いはず。それを前面に押し出したのが、この美術館の成功の理由の一つなのでしょう。個々の作品に対して丁寧な説明があり、触れたり体験できるものも多く、楽しく現代美術に親しむことができます。
 私の鑑賞の基本は、「いかにびっくりしたか、自分で考えつかないようなものを作っているか」ということ。岡本太郎の有名な言葉で「芸術は爆発だ」というのがありますが、作者の精神の爆発が、見る側に衝撃と感動をもたらします。そして、美術館から出てきた後、ちょっと違った視点で世の中を見ることができるのです。
 また、逆に、この作品を自分だったらどう表現するかと考えることもあります。特に今年は舞台美術を勉強していますので、何かお芝居に使えないかなと考えるのもまた一興です。常に自分との関係の中で作品をとらえていくと、現代美術というのは決して難しくはない気がします。
 多くの人に現代美術の楽しさを伝えてくれている金沢21世紀美術館。その波及効果が兵庫県や神戸にもやってこないかなと期待しています。(2009/11/29)

鳴らない、電話
 先日、友人から直接、携帯電話に電話がかかってきてびっくりしました。最近、携帯電話が鳴ることはめったにないからです。
 ヨーロッパを旅していて思うのですが、現地の人は携帯電話を通話で使っています。一方、日本ではひたすらメールやウェブを使っている人が大多数です。私自身、待ち合わせなどでない限り、通話することはまれになりつつあります。
 細かい機械好き、手先が器用で、どこか遠慮しがち、周囲の目を気にする日本人の性格には、携帯メールの方があっているのでしょう。エヴァンゲリオンが放映されていた14年前、すでにインターネットは普及しつつあったのですが、携帯電話がここまで電話以外のものになるとは予測できませんでした。
 とはいえ、メールだけの文章では相手の感情が伝わらないことも多いもの。また、ちゃんと読んでくれているのか、読んだときに相手がどういう感情になったのかがわからないのも不安なものです。電話だと、顔は見えないものの、話の雰囲気とかでわかりますからね。そういう意味では、やはりコミュニケーションが更に希薄化しているのかなと思わなくもありません。(2009/12/1)

30代後半 がんばれ同世代
 今日、舞台技術学校の後、同世代の先生と色々話していたのですが、そこで出た話の一つが、「最近、CMにせよ、パチンコにせよ、明らかに同世代の人が作り出しているものが多いよね」ということ。なっちゃん堀ちえみバージョンや、パチンコのエヴァ、マクロスなどが例に挙がりました(笑)。
 確かに私たちの世代(30代後半)というのは、そろそろ中堅どころを越えつつあり、ディレクター的役割やリーダー的役割を果たしつつあります。まだまだ組織全体を動かすことはないものの、企画や運営などを任される立場となりつつあり、その人々が同世代の琴線に触れるものを生み出しているのでしょう。
 とはいえ、いろんな意味で競争の激しい第二次ベビーブーム世代。私のように、そういう立場に立っていない人も多いです。でも、そのような人々もいい消費ターゲットになっており、例えば、アニメイトとかに行っても、いつまでたっても僕らの世代が一番上だったりします…(笑)。
 最近、若い人とのお付き合いが多いのですが、だからこそ、同世代のこともまた気になるのです。(2009/12/3)

いつの日にかまたどこかで会える気がするからね
 さて、来週はいよいよ舞台技術学校の「軽音楽ライブ実習」ですが、この学校は県立ということもあり、県政記者クラブで記者発表を行っています。その資料が、県のホームページに載っているのですが、その中に「卒業生動向調査(19年3月)」の結果がありました。なかなか興味深いデータなので、ご紹介します。
 資料によると、舞台技術学校の卒業生は累計538名。卒業後の主な活動として「プロスタッフとして活動 66名(12.3%)」「文化施設スタッフとして活動 19名(3.5%)」「アマチュア劇団等で活動 21名(3.9%)」「中・高・大学教員として指導 13名(2.4%)」「その他関連職業 23名(4.3%)」などなっています。
 で、この率をそのまま今年の22名に当てはめてみると、プロスタッフ2.7名、文化施設スタッフ0.8名、アマチュア劇団0.9名、教員0.5名、関連職業0.9名。大体3〜4人が舞台技術プロの道に進むという結果は、なんとなく納得の数字です。
 舞台技術学校も実質あと3カ月。中にはプロへの第一歩として、ピッコロでの人脈をもとに、関連したアルバイトなどを始めた同級生もちらほらと出始めました。最後どうなるかはわからないけど、どんな世界でも真剣に目指した経験というのは必ず役に立つはず。十数年して、すっかりプロとして成長した、あるいはその経験をもとに違った道を歩んだ彼ら彼女らと、また楽しく飲み明かしたいと思う今日この頃です。(2009/12/5)

先回りしすぎ
 前回の日記は「卒業」にまつわるお話であったわけですが、12月に卒業の話題というのはなんとも気の早い話です。どうも、私はいろんなことを先回りしすぎるきらいがあります。もともとの性格もあるのでしょうが、職歴による部分も大きい気がします。
 まずは大学・大学院時代の魚屋稼業です。デパ地下の魚屋で5年ほどアルバイトをしていたのですが、魚屋というのは、ハウス栽培で旬のなくなった野菜類と違い、21世紀になった今でも非常に「旬」のある仕事。サヨリ、サワラ、カツオ、サンマ、生鮭、生筋子、かき、カニなど、季節にしか手に入らないものがたくさんあります。更に私はデパートだったので、他のスーパーに比べると希少価値の高い初物が早く入荷されることが多かったのです。たとえば、初ガツオは4月、初サンマは7月には入っていました。こうして大幅に前倒しした季節感を見に付けてしまったのです。
 そして、社会人になってからついた仕事が広報。広報誌を作っていたのですが、出版の世界はほぼ2カ月前倒し。お正月のことを書いているのは10月・11月だったりします。とすると、12月に卒業シーズンのことを考えていても全くおかしくはないわけでして…。
 その後の仕事も、企画的な仕事が多く、どうしても先回り先回りしがちな性格が固まってしまいました。今日はルミナリエに行ってきたのですが、考えていたのは「昔に比べて人も規模も小さくなったし、本当に来年度以降できるのかなあ」だったりするわけで。もうちょっと「いま」を楽しまないといけないかなあとも思いつつある、今日この頃です。(2009/12/7)

年賀状のシーズンではありますが
 12月もいよいよ中旬。年賀状のシーズンとなってきました。
 実家に帰ってきてからはいつもダイエーの早期割引でお願いしていたのですが、今年は、最低限の数のみ、古いプリンターを使って自分で作ることにしました。というのも、どうせホームページに新年告知を出すんだし、年々、年賀状の送る量も届く量も減ってきているから…。なんせ、最近新しく知った人の住所は、ほとんど分からないのです。最近は昔と違い、個人情報保護があって、人が集まったらまず名簿作りとはなりません。そのため実住所のストックは減る一方です。
 その一方、ネットの連絡先だけが分かるリアルの知り合いは増えています。さらに、何年間もあってない人とmixiで再会してメールを交わすなど、旧友との交流も容易になっています。決して人間関係が希薄化したわけでもないのですが、ますますメールやホームページで事足りるようになっているのです。
 うちの親は今年も印刷をお願いしたそうですが、お店の人から「今年は本当に申し込みが少ない」と聞いたそうです。時代の流れとはいえ、お正月の楽しみの一つでもあった年賀状の束が毎年減っていくのはちょっとさびしかったりするのですが、それは古い時代の人間の感慨なのでしょうか。(2009/12/9)

最近の若いもんは…
 今日は「軽音楽ライブ実習3日目」。いつもの授業時間よりちょっと早めに来て、作業をしていました。そこで、ある同級生から「今の若い人って何か違うなあと感じることがあった?」と聞かれました。改めて聞かれるとなかなか難しい質問です。
 あえて言うと、一つは「定職に就いている人が少ないし、ついていても転職が多い」ということ。これは演劇を扱っているという学校の特殊性もある気がしますが、舞台技術の仕事を目指している人ばかりでもないだけに、やはり世代の傾向なのかとも思います。かくいう私も、大学院をやめて公務員になったクチなので他人のことはあまり言えないのですが、同世代の中では「普通ではない」という意識を強く持っています。ただ、最近はそういう転身が普通になってしまったようです。
 もう一つは、良くも悪くも真面目な人が増えているような。若いんだからもっとハメをはずして、無邪気に自己主張したり遊んでもいいと思うのですが、KYと言われないようにか、真面目に将来のことを考え過ぎているのか、周囲の目が気になるのか、小さくまとまり過ぎている人が多い気が。大学の先生から「大学の授業をさぼる生徒が減った」とか「休講を喜ばなくなった」とも聞いているので、やはり小オトナ化しているのかもしれません。真面目は悪くはないのですが、不真面目が許されるのは若い時(あるいは学生)だけだったりするので、貴重な機会を逃しているとも言えます。そのあたり、なかなか難しいところです。
 ということで、久しぶりに「最近の若者」について考えてしまいました。とはいえ、今も昔も、先の見えない中、一生懸命に生きようとしている本筋はあまり変わっていないな、というのもまた本音ではあるのです。(2009/12/11)

舞台監督…ですか。
 先月から全4回シリーズで、ある公立文化ホールの舞台技術ワークショップに出ています。全4回のうち3回で音響・照明・美術の基礎を習い、最終回では演劇ワークショップと合同でちょっとした舞台を作り上げます。ホールという存在自体が好きなのと、ピッコロで身に付けた技術がどれぐらい通用するものか確かめてみたくもあり、気軽な気持ちで参加しました。
 ところが、このワークショップは5期目(2年半目)ということで、大半の人は経験者。やっていることはなかなか高度です。そして、お互いによく知っており、初めての人は私だけ。ホールの人も参加者のことをよく知っており、正直疎外感、感じまくりです。「ここはおとなしく見ておくだけにしておくか」と思い始めていたのですが、音響・照明・道具とチームを分けると道具は私を含め3名しかおらず、うち1人は役者メインで、もう1人は最終日出れないとのこと。必然的に私が舞台監督ということになってしまいました。
 人もホールも全く分からず、細かいところはピッコロとは何かと違うので、たとえ練習とはいえ全体の舞台監督を命ぜられたのは正直、納得できない部分もあります。他の参加者も不安でしょうし。文句の一つも言いたくはなりましたが、事情(と私のレベル)を察したワークショップの主宰の方や指導の舞台担当の方が協力的なので、まあ、試練&いい経験だと思ってがんばることにしました。
 受ける以上は段取りなども考えておかないといけないし、必要な備品も(大ホールと小ホールで備品を共用しているので)事前に発注せよとか。仕事もバタバタしているなか、なかなか大変な12月となってしまいました。(2009/12/13)

神戸観光案内
 神戸に戻ってきた10年ほど前、よくあったのが「大学時代の友達が神戸に来るので観光案内」でした。三ノ宮駅のTIS前で待ち合わせ、まずは市役所展望台から街の概略を見てもらい、駅の北側に行ってランチ(お寿司かステーキか洋食か)、そして外せない風見鶏の館…というのが定番でした。その後は、各人の興味に合わせて、南京町やハーバーランド、あるいはモトコーなんてこともありました。
 最近は皆忙しくなったり疎遠になったりして来訪者が減っていたのですが、先日、岐阜の友人から「神戸に行くよ」との電話が。職場旅行で自由時間があるので、とのことでした。ただ、異人館はすでに案内ずみなので、違うところがよいとのこと。
 南京町に行って老詳記の豚まん食べて、ぎょうざ苑でぎょうざ食べてもいいし、スプラッシュ神戸も一度は乗ってみたいなとか、男鹿和雄展の県立美術館も彼なら喜ぶかなとか、いっそのこと新長田まで行って鉄人28号+そばめしもいいかなとか、なかなか楽しい悩みです。そうやって考えていると、神戸ってなかなか観光的にも面白い街だなあと、改めて認識させられるのでした。(2009/12/15)

共通知識化
 ということで、岐阜からの友人を迎えたわけですが…結局彼のチョイスは県立博物館の「男鹿和雄展」。「トトロの森を描いた人。」ということで、ジブリなどのアニメの背景画を描かれている方の展覧会です。「これに行ったら、他には全く行けないけどどうする?」と確認したのですが、それでも行きたいとのことでした。
 で、行ったのですが、本当に素晴らしく、特に光の使い方が非常にきれいでした。夕暮れの光が少しずつ変わっていくところの描きぶりなど、実物よりも実物らしく、「自然って本当に美しいんだな」ということを改めて発見できます。また、光だけで四季がわかってしまうのもびっくりです。更に驚くべきなのが、これを短期間で大量に作成しているところ。美術作品ではなく、あくまでもアニメーションという商業ベースに乗るべきものですから、職人的な大量生産が必要なようなのです。その中で、あれだけのクオリティを保っている。それも凄いことだと思います。
 平日の午前中〜お昼という、一番美術館が空きそうな時間に行ったにもかかわらず、会場内は結構な混み具合。そして特筆すべきはその観客層の幅広さ。修学旅行生風の女子高生から、初々しい大学生カップル、穏やかな老夫婦、美術サークルか何かのご年配の女性陣、小さな子供を伴った家族連れと、本当に多種多様な人々が来ていました。確かにアニメーション、特にジブリのアニメというのはもはや国民の共通知識となった感があります。たとえば、トトロやネコバスのぬいぐるみを見てそれが何か分からない人は少数派でしょうし、ラピュタの滅びの呪文を知らない若い人というのもまずいないでしょう。昔は名作文学を読んでおくことが若い人の必須条件でしたが、今はジブリの著名アニメ(ナウシカ、ラピュタ、トトロ、もののけ姫ぐらい?)を見ておくことの方が必要な時代なのかもしれませんね。
 ちなみに、トトロが公開されたのは1988年。私は高校1年。「火垂るの墓」と一緒に上映された当時のことは良く憶えているのですが、その時に生まれた赤ちゃんが今や21歳。その年の人達と共通知識としてトトロのことを語れるというのも、ある意味感慨深い今日この頃です。(2009/12/17)

上海万博の入場券を見て思うこと
 年賀状のために来年の予定などをつらつらと考えていたのですが、仕事は別として、プライベートでは3月の卒業公演と5月の上海万博がいまのところ2大イベントのようです。
 私は昔から万博などのイベントが大好きでして、ポートピア81、筑波科学博、大阪花博、そして愛知万博と、それぞれに忙しかったり受験を目前にしたりという不利な条件がありながら、結構通いつめています。とはいえ、海外での万博はこれが初めて。おそらく日本人も多いのである程度は日本語表記を期待はしているものの、さてどうなることやら。不安でもあり、楽しみでもあります。
 ちなみに、すでに入場券も入手済みなのですが、これが1枚160元(約2,400円)。現地の物価(地下鉄の初乗りが3元(約45円))からすれば、日本での1万円に近い感覚のはずです。とはいえ、中国国内の観光地の入場料は日本人から見ても意外に高く、例えば、上海の東方明珠塔の入場料は135元(約2,000円)であり、逆に言うと、これを気軽に払える層というのが中国国内に確実にいるわけです。一方で、中国における1人当たりGDPは日本の十分の一ぐらいですから、決して東方明珠塔とか上海万博に行くことのできない大多数の国民というのもいるわけで。なんだか不思議な隣国だなあと思わなくもありません。(2009/12/19)

舞台監督メモ
 日曜日、某公立ホールでの「スタッフワークショップ」最終回でした。道具さんは私と役者兼務のもう1名だけということで、全く慣れていないにも関わらず、舞台監督を拝命。右往左往しつつも、なんとか終わりました。あとあと(?)のために、感想を箇条書きで書いておきます。(2009/12/21)

演技する舞台装置(芸文C・ヘンデルとグレーテル感想)
 今日は兵庫県芸術文化センターでオペラ「ヘンデルとグレーテル」を鑑賞。行く前にNHK教育でやっていた劇団四季「エルコスの祈り」を見ていたので、そもそも気分が演劇モード。それもあったのかもしれませんが、想像以上に楽しめました。
 まず目についたのは、舞台装置や転換、特殊効果。メルヘンオペラということで舞台装置もメルヘンチックで仕掛けいっぱいなのですが、決して安っぽくなく、非常に品の良いものに仕上がっていました。特にオープニングのどんどん舞台が仕上がっていくところなどは、ワクワク感いっぱい。舞台装置であれだけ演技ができるというのは再発見でしたし、細かいことを知らずに見ても単純に面白いので、舞台技術学校生でなくても見る価値は十分にあるかと思います。もちろん、佐渡さんにのせられたPACオケも(細かいミスは目立ちましたが)なかなかの熱演。合唱団の子どもたちも、決して安っぽくない上質な歌声と演技でした。
 演目が演目なので子ども連れが多かったのですが、大人でも十二分に楽しめる、品の良い、そして掛け値なしに楽しいオペラでした。もちろん子ども達も十分に楽しんでいたようで、「こういう芸術に触れるきっかけが、地域の文化力を高めるんだろうな」などと、公務員っぽいことも考えてしまいました。 (2009/12/23)

喜劇って難しい!(ザ・ニュースペーパー感想)
 今年は本当に演劇ばかり見ていまして、昨日は新神戸オリエンタル劇場でザ・ニュースペーパーでした。テレビでご存知の方も多いであろう、社会風刺コントの劇団です。今回は「気軽に楽しんでやろう」という思いで行きました。
 2009年を振り返る内容でしたが、確かに今年は良くも悪くも「変」な年。現実の方が「コント以上にコント」な状況も数多くありました。政権交代やオバマ大統領の就任、八ツ場ダムや普天間基地の行方などはともかく、薬物騒動、JALの経営問題、地デジ騒動、首相よりも目立つファーストレディー、首相のおこずかい問題、30日ルール…本当にネタの多い1年だったとも言えます。ザ・ニュースペーパーはこれらの出来事を如何なく調理し、爆笑の中にもどこか新しい発見がある、プロフェッショナルな舞台を繰り広げていました。
 しかし、喜劇というのはどこで受けるのか、本当に一回一回が真剣勝負です。人が死ぬ話で他人の心を動かすのはある意味容易ですが、喜劇で心を動かすというのは本当に難しい。さらに喜劇にはどこかで他人を傷つけているかもしれないという怖さもついてまといます。だからこそ、それらを乗り越えてきちっと決まった時は、これほど面白く、人生を豊かにしてくれるものは無いのでしょう。なかなかアマチュアでその域に達するのは、難しいかもしれませんけどね。(2009/12/25)

フライヤーと舞台と(うそツキ大好きかぐや姫感想)
 マイ演劇イヤーだった2009年の締めくくりとして、昨日、兵庫芸術文化センターでピッコロ劇団の「うそツキ大好きかぐや姫」を見てきました。「サラダ記念日」で有名な歌人の俵万智さんが書き下ろした子供向けのお芝居です。夏にも1度やっていたのですが、今回は場所を芸術文化センターに移しての再演。舞台装置も大きく変わるとのことで楽しみにしていました。
 うそツキの国のお姫様であるかぐや姫が「うそのまこと、まことのうそ」を求めて現代世界にやってくるというお話で、主人公の男の子が死にそうなおばあちゃんに「もう一度幻のロールケーキを食べさせてあげたい」という願いを持っていることを軸に話が進むのですが、そこに大人たちの恋愛模様や竹取物語本来のお話が絡んできます。歌人が書いた脚本ということで一言一言が多義的であり、単に子供向けだけとはとても言えない、シンプルだけど複雑で、重くはないけど心の中に何かを残してくれる、すてきな舞台が展開していきました。また、今回は作家以外はピッコロ劇団内で回しているためキャストやスタッフの息もばっちりで、「やっている側も楽しんでいるんだろうな」ということがこちら側にも伝わってきました。
 そして見事だなと思うのが、チラシ(演劇の世界ではフライヤーと言いますが)のイラストとラストシーンとがオーバーラップしていたところ。「ああ、あのイラストはこのシーンだったのか」と。意地悪そうに見えていたイラストが、終劇後、何だかとても愛しく感じられるのです。演出が先かイラストが先かは分かりませんが、こういうやり方もあるのだなあと参考になりました。(2009/12/27)

天体観測その1
 今年2009年は世界天文年でした。ガリレオ・ガリレイの望遠鏡を用いた天体観測から400年を記念し、皆既日食の中継プロジェクトなどが行われましたし、ここ神戸でもシンポジウムや星の観察会が行われました。ということで、今年の締めくくりとして、天体観測で2題を。
 さて、神戸で天体観測と言えば、何といってもオリックスバファローズの応援団「天体観測」でしょう。ブルーウェーブ時代から続く、女の子主体の応援団です。応援団と言えば「猛虎会」とか「青波連」などといった任侠団体風なネーミングが多い中、「天体観測」というのは明らかに異質です。そして、応援旗もチームのマークなどではなく、「天体観測」と大きく描かれています。あれってなんだろうなと、何回かスカイマークスタジアムに通った後、ネットで調べてみました。
 と、教えて!gooに回答が。『「星は地平線から上って天空を巡りまた沈んで行く。一方でプロ野球選手、即ちスターも入団してプロの世界に登場し、自らを鍛えてだんだんと活躍し、そして最後は力衰えて引退する。プロ野球人生は星の軌跡にまた重なる。その「選手の軌跡」を見届けるのがファンの務めである」ということで「天体観測」と名乗っている』とのことでした。多少語弊があるかもしれませんが、プロ野球の応援団とは思えないロマンチックな理由にうなされました。
 「ファンとしてできることは、選手の軌跡を見届けることだけ。ただ、それでも、わたしはあなたのことを必死で応援するよ」という、その健気な姿には、共感するとともに、一種の感動も覚えます。相手に届くか届かないかは関係なく、誰かのことを応援したい、見届けたいという気持ちは、一人ひとりの心の中にあることなのかもしれませんね。
 さて、今年のオリックスはダントツの最下位。去年2位のチームとしてはあまりに不甲斐ない結果でした。神戸を本拠地とするチームとして、岡田新監督を迎え、ぜひ来年は生まれ変わってほしいと、遠くから応援しています。(2009/12/29)

天体観測その2
 いよいよ2009年も終わろうとしています。思い起こせば、今年も多くの人とものに出会いました。中でも、もっとも今年を特徴づけるのは舞台技術学校に通って、大勢の若い方と知り合ったということ。若い人の考えを聞いて「自分もそうだったなあ」と懐かしんだり、あるいは「自分も頑張らなければ」と勇気づけられたりと、いろんな意味で刺激になりました。もちろん、自分自身、ちょっと忘れかけていた積極性や好奇心をまた取り戻すことができたような気がします。
 さて、天体観測と言えば普通はBUMP OF CHICKENの名曲「天体観測」でしょう。特にイントロのつかみが秀逸で、普段J-POPを聞かない私にも「おやっ」と思わせるものがありました。ところがこの曲、Wikipediaにも書いてあるのですが、歌詞が謎なのです。サビの最後の部分も、「君と二人追いかけてた」→「今も一人追いかけてる」→「今も一人追いかけてる」→「君と二人追いかけてる」と細かく変わっていきます。これに気がついた時には一人でうーんと唸ってしまいました。二人が一人になり、一人が最後には二人。単純に見れば一回喧嘩別れして、再度復縁する歌と読めなくもないのですが、最後の歌詞は「君が来なくても 「イマ」というほうき星 君と二人追いかけてる」となっており、どうも単純ではないようです。
 ということで、ネット上でもさまざまな解釈があるようですが(たとえばこれとかこれとか)、私がなんとなく考えていたのは、少なくとも最後の場面は「自分と、自分の中で生き続けている他人(君)」なんだろうなということ。他人との付き合いの中で痛みを知り、それを抱えながら自分は今を生きている。もう君とは逢うことができないかもしれないけれど、だけど(心の中では)一緒に今を生きているんだよ、そんな意味かなあと自分で解釈しているのです。
 心理学的ですが、他人というのはあくまでも自分というフィルターを通してしか認識できません。一方でそのフィルターは、他人との相互作用の中でしか作られないことも、また事実なのです。だとすれば自分を高め、自分の世界を豊かにするには、出来るだけ多く、さまざまな考えや思いを持った人々と出会い、一緒に今を生きていくことが必要なのではないかとも、思うのです。どうやら、演劇の世界の人は、言語化をすることはなくとも、そのあたりを分かっているような気がします。
 今年1年間、いろいろとありがとうございました。来年も、また多くの人との出会いを通じて、自分の世界を豊かにしていきたいと考えています。(2009/12/31)



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