いそべさとしのホームページ

過去の2日に1回日記(旧・お知らせ)保管庫(2009年7月〜9月)


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My Favorite Commercials. その3「ソニーウォークマンWM-501」
 がらっと雰囲気が変わりまして、これも名作との名が高いソニーウォークマン「瞑想サル」のCMです。
 数年前、出演していたサルのチョロ松が老衰で亡くなった際かなり話題になりましたが、それだけ多くの人に強烈な印象を残したのでしょう。それは、このCMが単に「猿がウォークマンを聞いているのが面白い」だけではなく、キャッチフレーズが「音が進化した。人はどうですか?」であるように、「そもそも進化って何よ」ということをサブテーマとして訴えているからにほかなりません。さらに、製作者が意図していたのかどうかは別にして、生命や自然の尊厳といったようなものまでも映しこんでいるような気がします。
 ちなみに、音楽はオリジナル曲とのこと。音源が手に入らないのは残念ですが、ホルン風の分散和音の入り方など、オリジナルならではのタイミングです。
 当時はウォークマンが圧倒的なシェアを誇り、時代もバブル最盛期だったのでこういうCMが作れたのかもしれません。たった30秒ですが、言葉にはいい表しにくい、複雑な感動を与えてくれる、ちょっと他にはないCMなのです。(2009/7/1)

18年間変わらないもの…
 心理テストの一つに、「エゴグラム」なるものがあります。交流分析という手法の一つなのですが、これを簡単にグラフ化・カテゴリー化したものが、私が大学生のころからあります。これをウェブでできるページがありました。こちらのページです。大学時代は当然ネットではなく本だったのですが、仲間うちでやってみて、誰と誰が一緒とか、かなり盛り上がったものです。
 で、やってみたところ、何と大学生の時と全く同じ結果になりました。人間、二十歳を過ぎると基本的な傾向って変わらないもののようです。社会人になって良かれ悪しかれ人生経験を積み、多少は丸くなっているかなと自分で思っていただけに、うれしいようなさみしいような、多少複雑な気分です。
 ちなみに、私の性格は「世間や自分と云うものを十分に識っていながら、我儘で気儘」なタイプとのこと。心理テストというのは何を書かれていても自分に当てはまると思ってしまいがちなものですが、「十分に識っていながら」というところは、ちょっと耳に痛い感じです。(2009/7/3)

My Favorite Commercials. その4「のぞみ大通り」
 今回は、ニコニコ動画しかないのです。アカウント持っていない人はごめんなさい。
 またもJR東海ですが、JR東海は(列車や企画きっぷの良し悪しは別にして)本当にいいCMを作ります。代表作は"My Favorite Things"を使った「そうだ京都、行こう」で、名CMシリーズとして15年以上も続いています(ただし、関西人は「京都」のCMを知りません。当然ですが、関西では流れていないので…)。この「のぞみ大通り」も"My Favorite Things"とおなじサウンドオブミュージックから"Climb Ev'ry Mountain"の最後の大合唱が使われています。すなわち音楽だけで、「これはJR東海の新幹線のCMだよ」ということを表現しているのです。なかなか見事です。
 内容はオムニバス形式というか、次々に話されるせりふと映像とが若干リンクした感じです。大きく「ビジネス編」「帰郷編」「在来線特急編」に分けられます。私が一番心をひかれたのが「帰郷編」の女の子のセリフ。「いいよ迎えなんか来なくて…えっ、着くの?10時26分」。そして、しばらく後に満面の笑みでハイタッチをしているシーン。鉄道は多くの人と多くの物語を運んでいる、それが実感できるCMです。
 1994年のCMということで、私は大学3年生。当時は関東地方にいて、新幹線に乗って帰る神戸に若干の郷愁があったのかもしれません。そういう意味でも印象深いCMです。(2009/7/5)

ぶらばん!
 舞台技術学校に通っていてビックリしたのは、吹奏楽経験者が非常に多いということ。私自身は自己紹介でも「もともと吹奏楽をやっていました」と言っていたのですが、後からこそっと「実は私もやっていました…」と教えてくださる人が多くてびっくりしてしまいます。ピッコロ舞台技術学校吹奏楽団ができてしまいそうな勢いです。
 確かに吹奏楽団は全国津々浦々、大体どの中学校・高校でもありますし、音楽が好きな人・舞台を目指す人にとって非常に容易な入口になっているようです。音大への人材供給源として大きな割合を占めている一方、舞台関係では本ベル、上手・下手、照明のシューティング、平台、ホリゾントぐらいは、どんなものか感覚として知ることができます。我が国のパフォーミングアーツにおける吹奏楽の地位というのは本当に重要だなあと、改めて思い知りました。
 ということで、今宵は吹奏楽曲「The Seventh Night of July -TANABATA-」を聞きつつ、夜も更けていくのでありました。(2009/7/7)

My Favorite Commercials. その5「愛する人のために〜改札篇〜」
 平成16年から現在まで、もう5年間以上も流れているCMです。途中に保険金未払い問題があったりしたので放映には空白がありましたが、それでもかなり息の長いCMかと思います。
 このCMがすごいのはその細かさ。種明かしは、ここにほぼすべて書いてありますが、手前の花壇の花を見ているだけでも、シーンごとの変化が良く分かります。さらに、売店ができて屋根を赤から青に塗り替えたり、改札が有人から自動改札に代わったりと、本当に細かく凝っています。そこまでしたからこそ、娘5才からの18年間、時の経過している感じが、短い1分の中で伝わってくるのでしょう。
 このCMが流れだした頃、私は今とだいぶ違う境遇にいました。このCMを、ほほえましい気分で見つめたことも、決意の中で見つめた時も、つらい気持ちで見つめた時もありました。そういう意味で、単にシナリオや光の捉え方がいいよねとか言ったこと以上の、複雑な感情も抱いてしまうCMなのです。(2009/7/9)

今日から職場旅行
 今日から1泊2日で職場旅行です。新幹線で新山口にいって、SL「やまぐち号」に乗り、津和野、萩へ。一般的なコースではありますが、職場旅行は「行くところ」ではなく「行くこと」に意義がありますので、まあよいでしょう。今の職場の面々は非常に気持ち良く、付き合いに難を覚える人があまりいないので、そう言った意味でも気が楽です。
 山口は1994年以来15年ぶり。その時も秋芳洞・津和野・萩・仙崎と回っていきました。ただ、その時にはコースと時間の都合で「やまぐち号」を入れることができず、ちょっと残念だったのを覚えています。
 ちなみに、この「やまぐち号」に使用されているSL、C571は実は阪神・淡路大震災の被災者なのです。ちょうどJR鷹取工場に検査の際、震災にあい、ジャッキ上にあったC571は転落、大きな損傷を受けました。しかし、JR西日本技術陣の懸命の努力でよみがえり、今また、山口県で走り出しているのです。
 単なる復活運転ではなく、今も活躍を続ける被災建造物でもあるC571「やまぐち号」。これから、会いに行きます。(2009/7/11)

My Favorite Commercials. その6「山田悠子の就職活動」
 これも最近、2007年のCMです。ただ、リアルで見たのはおそらく第1話だけ。不安げにショーウィンドーのリクルートスーツを眺める女の子の姿と、国歌斉唱風の音楽がとても印象的でした。その後、全7話を動画投稿サイトで見ることができ「こういう話だったんだ」とうれしくなったのを覚えています。
 最近のCMの特徴の一つが、後からネットで流されることを明らかに意識しているCM。たとえば、余りに荒唐無稽な「銀のさら」や、さまざまな番組を下敷きにしているサントリーの「宇宙人ジョーンズシリーズ」なんかも一例で、ブログや動画サイトで何回も流れることにより浸透を狙っているように思えます。確かに、TVにCMを流せば1回数百万円かかるわけで、TVCMで興味を持ってもらってWebで展開というのは良い方法です。昔のauとかもよくやっていましたよね。
 私自身は普通の就職活動をしたことはないのですが、就職氷河期と言われた時代で公務員試験もかなり厳しく、体力的というよりも精神的に厳しい日々でした。そして、今年もまた大変厳しい状況のようで、若者が暑い中リクルートスーツに身を包み、くたびれ気味だけどピカピカに磨いた靴でビジネス街を歩き回っている姿をいまだによく見かけます。私自身は何もできないけど、頑張ってね、いい就職を見つけてねと応援せずにはいられない気分なのです。(2009/7/13)

好きなものは好きと
 イベントの代休で、先日、ひさしぶりに平日がお休みでした。貴重な平日休みを有効に活用しようと、フリー切符を買って阪急へ。ところが途中からかなりの雨。電車の中で「どうしよう…」と頭を抱えてしまいました。
 と、突然思いついて、西宮北口で乗り換えて宝塚へ。生まれて初めて「宝塚歌劇」を見てきました。男性一人はどうかなと思っていたのですが、思いのほか男性比率も高く(5〜10%程度かな)、意外と気になりませんでした。
 いちばん遠い席だったものの、逆に全体の流れや、舞台装置、照明、音響などを堪能。普通の演劇・ミュージカルとして見ても十分に素晴らしいものでした。最後のレビューも練りに練られた伝統が感じられます。
 ちなみに、舞台技術学校の同級生から「いそべっちが宝塚を気に入るのはよく分かる」と言われました。たしかに、華やかな照明、生オケを使った音響、派手な舞台装置、分かりやすいベタベタのストーリー、かっこいい女の子とかわいい女の子、と私の好きなものが宝塚にたくさん揃っているのは間違いありません。まあ、自分が好きなものを知ることは舞台を作っていくうえで大切なことなので、それが分かったのは有意義かなとも思っている、今日この頃なのです。(2009/7/15)

My Favorite Commercials. その7「ポカリスェット SUMMER JUMP編」
 39度のとろけそうな日!出だしのワンフレーズで全部決まり、というタイプのCMです。
 もちろん細かく見ていけば、ちょうど中間点に「転換」が設定されていたり、どのシーンもポカリ色の青白が効果的に使われていたりと、見どころはあるのですが、やはり出だしのフレーズの印象が強すぎます。この曲Sunny Day Sundayは高校野球の応援でもよくつかわれていますが、いつ聞いても私はポカリのCMと後藤理沙を思い出してしまいます。それだけCMと曲がぴったりとあっているのですね。
 ちなみに、最後に「一九九九年の夏。」と出ますが、この1999年の夏というのは私にとっていろんな意味で転機になった夏です。大学生たちを連れて沖縄に行ったり、同期で但馬に泳ぎに行ったり、大学時代の同級生が亡くなって東北まで行ったり、急に同期の女の子が結婚することになってまた但馬に出かけたりと、本当にいろんなことがありました。ちょうど27歳、「青春時代というのは明らかに終わりつつあるんだな」ということをずっしりと感じた夏でもありました。
 あれから十年、いよいよ明日から小中学生は夏休み、「二〇〇九年の夏。」がやってきました。今年の夏、私には何が待っているのか、どこか楽しみな季節がやってきます。(2009/7/17)
[CM編はこれにて終了。次回からは、遊郭について考えます。(うそうそ)]

施設無料化
 来月半ばまで、須磨海浜水族園や王子公園、六甲山牧場など、神戸市内の主要な観光施設が無料となっています。無料開放しても地元のお客さんが増えるだけで観光にはさほど寄与しないだろう、という危惧もありますが、どこもそこそこの利用客があり、お土産屋さんやレストランは大盛況なようです。
 そういえば、ゴールデンウィーク明けからの高速道路「どこまで行っても千円」もだいぶんと定着し、利用促進や観光地の活性化につながっている模様です。
 ただ、行政的な観点で言うと、無料化の場合、必ず裏で税金が必要。本当は、国民・住民としてはこの状況を喜んでばかりはいられないはずです。ですが、やはり、無料化なり低廉化なりは時代の要請でもあります。
 小泉改革後、さまざまな施設運営において民活や独立採算性が求められ、指定管理者制度も進められてきましたが、大きな転換点を迎えているのかもしれません。そもそも、本当に民活や独立採算が可能なのであれば行政が関わる必要はないのであり、行政施設にそれを求めるのはどだい無理であったとも言えます。。「お金がかからないようにするから行政施設を維持させてね」というのは、違った意味で大衆迎合的であったとも言えそうです。
 逆に言えば、道路でも施設でも「採算に合わないものを、なぜ税金を使ってまで作り運営するのか」という説明責任が行政に強く求められるようになります。住民がなんと言おうと、国や地域において正しいと思えることに政治と行政が覚悟を持って税金と投入していくことも必要となってきます。権威主義的な行政でもなく、大衆迎合的な行政でもなく、第3の道を探していく必要があるのではないか。政権交代前夜にそんなことを考えています。(2009/7/19)

明日は皆既日食
 私が死ぬまでに一度行ってみたい旅行先の一つに「トカラ列島」があります。行くには鹿児島から1週間に1度出るフェリーに乗るしかなく、島によっては桟橋がなくはしけで渡るところも。役場(十島村役場)は鹿児島市内にあり、分室はフェリーの中。島には温泉があるほか、野生化してしまったトカラ牛、仮面神ボゼなど独特の風俗も。10数年前、たまたまトカラ列島に関する新聞記事をまとめた本を読み、すっかり魅了され、一度は行ってみたいと心に決めているのです。とはいえ、相当な旅好きであっても分かってくれないほどマイナーな場所でもありました。
 と、この島が突如、脚光を浴びています。明日の皆既日食で一番よい観測ポイントがトカラ列島(悪石島)だからです。近畿日本ツーリストが事務局となり、大勢の観光客がトカラ列島の島々に押し掛けています。自分しか知らなかった島々が広く知られるのは嬉しい反面、多少さびしかったりもします。まあ、これで民宿や旅館なども整備されたでしょうから、落ち着いた後、行きやすくなったと思うことにします。
 天気がかなり不安ですが、皆既日食というのは、天文学に全く興味がなくともなんとなくわくわくするもの。素晴らしい皆既日食がトカラ列島に降り注ぐよう、約800キロ離れた神戸から祈っています。(2009/7/21)

Here is a Crossing Point of Life.
 美術コースに行くのを悩む理由の一つに、「絵が上手くない」というのがあります。というよりも、10年以上絵なんて描いたことがない…。これでは流石にまずいと百円ショップで小さなスケッチブックと色鉛筆を買ってきて、早速、「あひるのおもちゃ」をスケッチしたところ、悲しいほど全く描けません。なんだか分かりません。こりゃ本当にやばいと、グラスや箱、はさみなど書きやすそうなもの(直線が多いもの)を書いてみましたが、正直いまいち。明らかに絵を描く能力が退化しています。
 まあ、デッサン能力は少しずつ慣らすことにして、途中からは遊びでお絵かき。ピッコロ周辺の地図を描いてみました。最初はある程度デザイン重視で書いていたのですが、北口を描き始めたころから暴走。次々にいらないことを書きくわえてしまいました。スパゲッティのお店タント。居酒屋の万、笑笑、和民。カレーのアサヒヤ、アングル。ピッコロ通り。水田。上坂部西公園。JR塚口駅。昔から知っていたお店や場所もありますが、ピッコロに通い出してから知った所も多いですし、昔から知っているところでも思いがより強くなっているのも事実です。
 阪急とJRが交差する町、塚口。これからもこの町で多くの人や物事と出会い、多くの思い出が生まれていくことでしょう。いよいよ明日は1学期最後の授業、終業式です。(2009/7/23)

旅情の感じられる空間
 JR三ノ宮駅の南側、ミント神戸の下に三宮バスターミナルがあります。三宮のバス停があまりにもいろんなところに分散していたので、その集中化を狙い、旧神戸新聞会館の1階部分に作られたものです。神姫バス・淡路交通・リムジンバスは別のところにいたり、市バスは相変わらずバラバラだったりとまだまだ悩みは尽きないものの、ミント下ができたことによって一定の整理はできたところです。(詳しい経緯はこのあたりで。)
 このミント下の神戸バスターミナル、できた時は意外と小さく、殺風景で、ここを使っている会社も少なく、いまいちだなあと思っていました。ただ、何度かここから遠くに帰る人を見送ることがあり、「こぎれいで機能的で、これもありじゃん」と思い始めています。昨日も山陰方面へ帰る人を見送ってきましたが、夜汽車で故郷へ帰る人を見送るような独特な雰囲気が、そこには流れていました。
 神戸には新神戸駅・三ノ宮駅・神戸空港などの主要ターミナルがありますが、新神戸はビジネスの色が強すぎ、三ノ宮は優等列車もほとんど通らない通勤駅、神戸空港も就航都市がほぼ大都市だけになってしまい、いずれも旅情や旅の雰囲気には欠けます。そういう意味で三宮バスターミナルは、神戸では珍しく旅情の感じられる貴重な空間なのかな、と思ってしまいました。(2009/7/25)

スタッフロール
 先日、三宮で「剣岳 点の記」を見てきました。51年間第一線を走り続けてきたカメラマン・木村大作の最初で最後の監督作品として前評判も上々、近年の日本映画としてはかなり入っているようです。明治を駆け抜けた人物たちの物語や四季折々に美しい立山連峰の姿、そしてカメラマンならではの素晴らしい構図とみどころは沢山あるのですが、私が一番感動したのは最後のスタッフロールでした。
[以下、ネタばれ] この映画のスタッフロールには「キャスト」「スタッフ」「協力」などの肩書が一切なく、全員同じポイント数の文字で流れ、ただ、「仲間たち」という言葉だけがロールに流されることなく、そこに残っています。監督・撮影である木村大作自身も例外ではなく、途中に小さく出てくるだけなのです。
 映画でも演劇でも、監督(演出家)と役者、スタッフの間には目に見えない壁や序列があり、カメラマンだった木村氏もそれに悩まされたことが数多くあったはず。そんな中でも、一体となって一つの作品を作りだしていくなかで仲間意識が生まれる瞬間というのが、 必ずどこかにはあります。 それが大切なんだ、それを大切にしていこうという、木村氏の50年にわたるカメラマン人生を通じてのメッセージが美しい立山の景色とともに迫ってきました。
 そもそも、測量隊という、社会の縁の下の力持ち的な存在の話。全編がスタッフワークに対する賛歌とも言えます。さまざまな分野で裏方・スタッフを目指す人にとっても必見の名作です。(2009/7/27)

技術が身につく技術学校
 舞台技術学校の入学式があったのが4月22日ですから、3カ月程度たちました。まだ3カ月という思いと、もう3カ月もという思いとが交錯します。この間、さほど特別な舞台技術が身に付いているわけではないのです、明らかに演劇やイベントを見る目が変わってきています。イベントや講演会などに行っていても、段取りや光の変化などについつい気を取られるように。まあ、イベント企画側に立つこ私としては、悪いことではないのでしょう。
 しかし、この3ヶ月間で最も身に付いたのは、何と言っても携帯電話の使い方です。携帯電話自体は10年以上持ち続けていますが、これまでは電話かごく短いメールぐらいで、赤外線通信とかやったことはありませんでした。私の場合、もともと大型計算機端末からこの世界(?)に入ったこともあり、PCがメインで、携帯はサブのサブ扱いでした。ところが、舞台技術学校に通うようになって、今どきの若者の同級生たちはみな携帯の方が中心だったのです。
 当初はPCで打ったメールを携帯に転送して、さらに携帯から送るなどということをしていましたが、それもめんどくさく、最近は携帯でも相当長い文章を打てるようになってきました。3か月前に比べれば大きな進歩です。技術学校に通うようになって、真っ先に身に付いた技術であることには間違いがありません。(2009/7/29)

1991-1999-2009(プロローグ)
 今日は仕事が早く終わったことから、久しぶりにデパートへ。特設会場の沖縄物産展を覗いた後、地下のお酒売り場へ。私は基本的に家ではお酒を飲まないのですが、何か面白いものがあるかなと、つい足を運んでしまいました。
 「うーん、灘の酒はそこそこ置いてあるなあ」などと県産品の状況調査をしていると、一番下の棚にポツンと「清酒古酒」という表示が。「日本酒にも古酒なんてあるんだ」とびっくり。3年もの、5年もの、10年もの、21年物などもあり、相当褐色化しています。考えてみれば、同じ醸造酒であるワインでは年数を経たものが珍重されるので、日本酒でも原理的にはおかしくありません。
 と、1999年産の清酒古酒を発見。兵庫県山崎町(現在の宍粟市)のお酒で、但馬の明延鉱山で長期間熟成されていたものです。1999年といえば、就職2年目、個人的にいろんな思いと思い出の詰まった年。多少お値段も張るため一度は立ち去ったものの、なんとなく強く惹かれるものがあり、結局購入してしまいました。
 家に帰って、もう一つの「古酒」と並べてみました。1991年産、いちご酒。ちいさなワイン瓶に入っているこのお酒、実はここにも、いろんな思い出が詰まっているのです。(つづく) (2009/7/31)

スーツケースと女の子と鉄道と
 今日、この夏初めて青春18きっぷを使ってしまいました。姫路(はりま勝原)で用事を済ませるのに、青春18きっぷ利用で元が取れることが分かったからです。とはいえ、根が鉄道好きですから、単に元が取れるだけでは納得できないもの。用事を済ませ、塚口のピッコロで補講の始まる午後6時までに行けるところということで、結局、北条鉄道初乗りに行ってしまいました。県内の鉄道はほとんどすべてに乗ったことがあるのですが、北条鉄道だけ乗り残しになっていたのです。
 約3年ぶりに加古川駅で加古川線に乗り換え、粟生まで。粟生からいよいよ北条鉄道。22分400円の旅です。入道雲の浮かぶ青空と緑色の水田の水田の中を行く単行のローカル線というのは、おそらく外から見ると絵になっているだろうなあと思いながら列車に揺られているのは、なかなか乙な気分でした。
 とはいえ、古い駅舎を見かけると、「ここにスーツケースを持った女の子をモデルとして立たせたら、中間発表会のフライヤーに使えるかな」などと考えてしまうところが、多少昔の鉄道旅行とは違ったところではあるのです。(2009/8/2)

1991篇←テンションあがりませんでした。夏ってさびしいね
 1991編を書き出していましたが、正直、テンションあがらず。全部消してしまいましたとさ。また、そのうちに気が向いたら書きますわ。
 2つのイベントがそれぞれ佳境を迎え忙しいのに加え、上の方の人の思いつきでわけのわからない仕事が飛び込んできたり、関係団体との調整がうまくいかなかったり、ポスターやチラシの配布を誰も手伝ってくれなかったり、ポーランド旅行の計画が全く立たなかったり、トルンからポズナンまで1日1本しか列車が通っていなかったり、気分転換の技術学校も夏休みだったり、美術コースは多すぎたり、昔の水着が全く入らなかったり、スーツケースの課題に死や思い出を意識させるものがあったり、やっている泣きゲーについつい感情移入してしまったりと、テンションが低くなる要素はいろいろとあります。
 ただ、そんな個別事情はさておき、どうも近年、夏にテンションが高くならないのです。というか、8月に入ると、明らかに夜が早く訪れるのを感じ、「ああ、もう秋が、冬がやってきてしまうんだなあ。夏も終わりだなあ」とついついセンチメンタルな気分になってしまいます。そして、個人的な体験ですが、夏という季節が「死」と深く結び付いているというのもあるのかもしれません。まあ、感傷的な気分も悪くはないので、もうちょっと浸っておきますわ。(2009/8/4)

ポーランド・ウィーン旅行概略固めました
 木曜日は1日代休。イベント前で本来は休んでいる場合ではないのですが、そこは様々な大人の事情があり、出勤せずに家にいました。
 ちょうどいい具合に、ウィーンの友人から「結局どうすんねん」というメールが入っていたので、この日1日を費やして、予定を決めてしまいました。
9月18日(金) 飛行機でワルシャワへ(パリ経由・エールフランス) ワルシャワ泊(Polonia Palace Hotel)
9月19日(土) ワルシャワ市内観光    〃
9月20日(日) ワルシャワ市内観光後、列車でトルンへ。 トルン泊(Hotel 1231)
9月21日(月) トルン市内観光後、列車でポズナンへ。SL乗車 ポズナン〜クラクフ間夜行列車
9月22日(火) ヴィエリチカ炭鉱(このあたりは順不同) クラクフ泊(Grand Hotel)
9月23日(水) アウシュビッツ・ビルケナウ    〃
9月24日(木) クラクフ市内観光後、飛行機でウィーンへ(直行・LOTポーランド航空) ウィーン泊(Austria Classic Hotel Wien)
9月25日(金) ウィーン市内観光    〃
9月26日(土) ウィーン市内観光・オペラ鑑賞?    〃
9月27日(日) 飛行機で関空へ(アムステルダム経由・KLM) 帰宅
 改めて書き出してみると結構な大旅行ですね。骨格は決まりましたが、具体的に埋めていくのはこれから。旅行前の楽しい作業が続きます。(2009/8/6)

もうホームページ再開してもいいよね
 この2日に1回日記はともかく、他のコンテンツは2週間ぐらい追加していません。ネタ枯れというわけではなく、仕事も多少は忙しいのですが、それよりもなによりも最大の理由は、数年ぶりにゲームにはまっていたからです。いわゆる「エロゲ」とか「泣きゲー」とかいわれるもので、初めての体験でしたが、これがなかなかに面白く、話の筋もいろいろと考えさせられるし、演劇へのインスピレーションも湧いてきたりして、なかなか楽しい2週間を過ごしました。
 ただ、私は仕事もあるし、年齢も年齢なので、ハマると言っても限度があり、それほど登場人物に感情移入し過ぎたりということもないのですが、10代の若い人にとってはある意味、このシナリオの強烈さは危険だなと思ってみたり。エロシーン自体はインターネットで集められるものと比べれば全然大したことはない(?)のですが、感情移入の強さという点では18禁にしておくのも悪くないと思ったり。
 しかし、この手のゲームも37歳にして初めての経験。人生まだまだ未体験の、楽しいことがいっぱい待っているんだろうなと思わずにはいられない、父親73歳の誕生日なのでありました。(2009/8/8)

演劇ト云フ事
 最近、演劇のプロットを考えること&読むことがよくあります。そこでよく思うのが、「一体演劇というのはなにを表現するのに最も効果的な手法なのか」ということ。
 私自身はいま舞台技術を学んでいるわけですが、どんなに写実感ある舞台装置を作ろうが、照明や音響を当てようが、リアリティという点では映画などの映像にはかないません。さらに、舞台上で演じるという制約があるため、小説やゲームのような自由度もありません。音楽のようにどこでもする訳にもいきませんし、バレエほどに人体を表現もしません。高揚感という点では踊りやライブに負けます。能や歌舞伎、文楽のように世界遺産や人間国宝にもなりません。こうした中でなぜ演劇なのか、何を表現することが演劇にとって最も効果的なのか、つい考えてしまうのです。
 つくばりあん時代にも、ついつい台本が映像的になってしまうことに非常に悩みました。演劇学校の課題であったプロットを見せていただいても、相当映像に引きずられたものが散見されました。やはり現代は「映像の世紀」なのかもしれません。
 マルチメディアという言葉を最近とんと聞かなくなったのは、逆にマルチメディア化が完了したからとも言えます。ありとあらゆる場面で映像があふれかえっている現在、生身の人間が舞台上でリアルタイムに演じる演劇の長所・短所を十分に把握することが必要かなと思っています。(2009/8/10)

あの日
 昨日、5時15分ごろ、母親の「静岡で震度6」との声に起こされました。ほぼ反射的に思ったのが、静岡出身の友人に電話をすること。朝早いので若干躊躇はしたのですが、早ければ早いほどよいと思い電話しました。「静岡で震度6、テレビ見て」と。すぐに実家とも連絡が取れ、無事だったようで何よりでした。
 阪神・淡路大震災の朝、私は研究室に泊りこんでいました。当時は携帯電話などというものはそれほど一般的でなく、知ったのはたまたま朝8時に朝食(カップラーメン)を食べようとお湯を沸かしつつ、テレビをつけた時。すぐに実家に電話したものの通じるわけもなく、とりあえずアパートに帰ってみると留守電の山。しかし、神戸からの電話ではなく、心配した友人からのものばかりでした。結局、11時半ごろに親戚経由で無事が伝えられたのですが、それまではテレビから流れる変わり果てた神戸の光景を見て、「おそらくだめだろう…」と思っていました。
 幸いにも静岡の地震は震度の割には被害が軽度であったようです。東海地震が想定される地域であり、日ごろの心掛けが良かったとも言われています。震災からそろそろ15年、歴史になりつつありますが、時にはあの日のことを思い出して備えることも必要だなと思いました。(2009/8/12)

若い時にしかできないこと
 昨日、日曜日にイベントで出勤した分の代休として1日お休みをいただき、愛知県犬山市にある「博物館明治村」に行ってきました。通っている舞台技術学校の卒業公演のテーマが「明治時代」ということで、ロケハン(?)を兼ねていったのです。さまざまな成果があり、写真もそこそこに撮れ、面白い出来事もあったのですが、それはまた後ほどまとめることとして、改めて思ったのが「青春18きっぷで行くのはこれぐらいが限度になってきたなあ」ということ。
 行きは午前6時に最寄り駅を出て、10時20分ぐらいに明治村正門前に到着。帰りは午後7時に明治村からバスに乗って、11時半すぎに最寄り駅へ。片道約4時間半、往復で9時間ほど交通機関に揺られていたことになります。もちろん、ずっと新快速に乗っているわけでもなく、ディーゼルカーに乗ったり、名鉄に乗ったり、バスに乗ったりと変化はあり、今回は特殊事情で帰りルートは全く退屈しなかったのですが、それでも「遥々行って帰ってきたなあ」という感があります。今の私にとって青春18きっぷ往復の限界は中京圏ぐらいのようです。
 昔は一日中鉄道に乗っても、疲れることも飽きることもなかったのですが、最近かなり厳しくなってきました。青春18きっぷで昼間に神戸・東京間踏破など、夢のようです。そういえば、海外旅行でも最近ちゃんとしたホテルを事前にとるようになり、突然飛び込みでドミトリーに泊まることはなくなりました。しかし、そういうことも貴重な経験。若いうちにやっておかなければできないことというのは、結構いろいろあるのだなと改めて実感しました。(2009/8/14)

最近大阪づいてます
 舞台技術学校に通うようになって変わったことはいろいろとあるのですが、そのうちの一つが大阪に出ることが多くなったということ。学校はあくまでも兵庫県内(尼崎)なのですが、最東端なため、明らかに神戸に出るよりも大阪に出る方が早いし便利なのです。友人との待ち合わせや遊びに行く場所、演劇を見に行く場所など、どうしても大阪が多くなっています。
 私の場合、仕事がら大体神戸市内や兵庫県内で用が足りてしまうというのもあるのですが、一般的に言って神戸の人というのはあまり大阪に興味がない、あまり好きではないというのもありそうです。以前ある本で「大阪人は歴史のある京都も、ハイカラな神戸も大好き。京都人は、がさつな大阪は嫌いだが、西洋の香りがする神戸は大好き。神戸人は大阪にも京都にも関心がなく、この街だけで過ごすことが大好き。」と書いてありましたが、確かにそういう部分はあるかと思います。神戸というのは適度なコンパクトシティであるため、繁華街もすべて徒歩範囲内にあり、便利な町なのです。
 とはいえ、大阪に通い出してみると、演劇の種類にせよ、お店の品ぞろえにせよ、人々のパワーにせよ、神戸は日本第二の都市大阪とは比べ物にならないということを実感しつつあります。道州制どうこうはさておき、大阪には関西の盟主として頑張ってほしいし、発展してほしいなあと願っています。(2009/8/16)

物理現象を体感できる部屋
 私の部屋は2階の奥まったところにある4畳半で、ここにハイベットを置いています。この部屋、家の中でも阪神・淡路大震災で唯一壊れなかった部屋であり、壁が多く非常に頑丈なのですが、夏は本当に暑いのです。そこそこに涼しい日でも、部屋の温度計はいつも30度を超えています。逆に冬は暖かく、部屋に帰ってきたとき「もしかして暖房器具つけっぱなしだった?」と疑ってしまうほどです。
 特にひどいのが、ハイベットの上。部屋の最上部でほとんど天井のため、クーラーの冷気も扇風機で吹き上げてやらないと、いつまでたっても全く冷えません。毎日、「暖房の空気は上へ、冷たい空気は下へ流れる」ということを身を持って体験しています。
 とはいえ、朝晩は確実に涼しくなってきており、気がつけば確実に夏も過ぎ去っているようです。今年の夏は本当に短かった気がします。とはいえ、花火だの海水浴だの、近年になく充実した夏を過ごせたなとは思っています。(2009/8/18)

どこにでもあるネタ
 私はお昼、いつも外に食べに出かけます。非常に多忙だった財政課時代はお弁当がデフォルトだった時期もあり、また愛妻弁当だった時期もなくはないのですが、ここ2年ほどはずっと外に出ています。おおむね1人が多いのですが、最近は後輩と一緒に行っています。
 彼は期間限定ということで、なるべく多くのお店に行こうということで、毎回違う店をチョイスしています。県庁のそばには神戸らしい洋食や中華の店も多く、本当にお店には事欠きません。あえてブログ化はしていませんが、すれば県庁職員のために結構役だったかなと思わなくもないです。
 ホームページを再開してしばらく経ちますが、本当に身の回りにはネタになる事柄が沢山ありますし、このように昼休みを使うだけでもできるネタというのもあります。それをまとめる時間をどうとるのかは別にして、視点を変えてみると世の中には面白いことが沢山あるし、工夫次第でいくらでも面白くすることもできるなと感じる、今日この頃です。(2009/8/20)

すばらしき食材
 私は筑波時代、5年間にわたり魚屋でアルバイトをしてきました。そのため、普通の大学生・大学院生がなかなか口にできないようなさまざまな海産物を食べることができ、貧乏学生とは思えない食の充実ぶりでした。
 そこで思ったのが、「結局人は基本に立ち戻るのだな」ということ。お刺身は確かに非常に美味ですが、連日続くと飽きてしまいます。炙ったり、漬けにしてみましたが、限界があります。一方で、アジの干物などは何日食べてもまず飽きることはありません。また、変わった魚の刺身などはとりあえず物珍しさで飛びつきますが、結局おいしいのは鯛・マグロ・ハマチという基本ラインだったりします。
 これらベーシック食材の中でも、特に素晴らしいのは貝柱、帆立貝です。生でも(お刺身)、焼いても(バター焼き)、煮ても(シーフードカレー、シチュー)、揚げても(ホタテフライ)、どの調理法でもぴったり主役を張れる柔軟性。そのままでも、冷凍しても、缶詰にしても、干してもよいという、可変性と長期保存性。それ自体からだしが出るということも、大きなアドバンテージですし、カニやエビのようにアレルギーの心配もまずありません。白っぽい、なんとなく目立たない食材なのですが、わたしはオールマイティーさでは圧倒的に一番だと思っています。
 ところで、あなたの周囲にも、貝柱のような人はいませんか?(2009/8/22)

立ち位置
 先週は木曜日から日曜日まで4連続で遊んでいました。木曜日は精華小劇場で南河内万歳一座の公演&内藤裕敬×平田オリザのトークショー。金曜日は舞台学校の同級生と飲んだ後、懸案の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」レイトショー。土曜日は姫路で用事をこなした後、大阪で伝統芸能のワークショップ2つを受け、その後はいたみ花火をサカナに演劇論。日曜日は延々とバスに乗って加東市にある職場同期の素晴らしい新居へ。30代後半とは思えない遊びぶりで、疲れたものの非常に充実した数日間でした。
 ただ、自分の夢や希望に向かって歩んでいる人たちと話をしていく中で、逆に、なんだか自分の立ち位置が見えなくなってきたのも事実。私自身は演劇についても趣味の範囲内だし、仕事についてもそこまで入れ込んで立身出世を目指す気ももうないし、幸せな家庭を築くとか立派なマイホームを建てるなどという夢もないし。いろんなことができる立場って、実は中途半端なのかなと思ってみたり。
 とはいえ、いろんな世界や物事の見方を知ってしまった以上、今さら特定の立ち位置から動くなと言われても、それはできない相談という側面もなくはなかったり。
 とりあえずは、「心ゆくまで世の中のありとあらゆるものを見てみたい」という昔からの信条を心に抱きつつ、一日一日を大切に過ごしていくしかないのでしょうね。なかなか方向性は定まらないけれど、結局最後まで定まらない気もするけれど、さまざまなものを見、さまざまな人と触れ合う中で、モザイク画のように何か見えてくるものがあるに違いない、今はそう思っています。(2009/8/24)

右と左が分からないよ
 下にも書いたとおり、土曜日は大阪で伝統芸能のワークショップを受けてきました。これは200DOORSという、さまざまな市民や団体が数多くのワークショップを次々と開催していくというイベントの一環。大阪市がスポンサーで、平松市長が元アナウンサーという個人資格で出ていたりと、なかなか楽しげな取り組みです。
 申し込んだのが結構遅かったため、いくつかのワークショップはすでに締め切り状態。ということで、旅的な観点から興味のあった三重県の「唐人踊り」と鳥取県の「しゃんしゃん傘踊り」に挑戦。本格的なダンスはとても無理だけど、伝統芸能ならまだ大丈夫かと思ったのですが…やはり大苦戦でした。とてもダンスができる体ではない…ということはさておき、私がダンスが苦手な理由の一つが「とっさに右左が分からない」という点です。ぱっと右、左と言われてもどっちがどっちか、とっさには分からないのです。また人の動作を見て右左を判断するのも非常に苦手です。
 実はこの症状、「左右盲」といわれ、ギリシャ時代からこういう人がいることが知られていたそうです。このブログの記載が最もよくまとまっていますが、確かに自動車教習所では大変でしたし、車の運転がいまいち苦手なのもそのせいかもしれません。心理学時代にちょっと調べたところでは、学習障害(ある特定の事柄のみ、どんなに学習しても習得できない症状)の一種ではないかともいわれていました。10人に1人ぐらいは世の中にいるらしく、私も職場で同様の方に出会ったことがあります。普通に事務職の公務員をしている分には、まず職務に支障は出ないのですが、ダンスとなるととっさに難しくなってしまいます。まあ、日常生活に支障が出ない限り、問題ないとも言えますが…。
 ちなみに、舞台上では「右・左」はあまり使わず、基本は「上手・下手」。これならば私でも平気です。舞台が好きなのは、このあたりにも起因しているのかもしれません。(2009/8/26)

R35
 今日は退庁後、地下鉄に乗って総合運動公園へ。スカイマークスタジアムでオリックスVSライオンズの試合を見てきました。試合自体は1回裏に入った1点を守り切ったオリックスが勝利という、若干面白みの少ない内容でしたが、ビール片手に焼き鳥を食べながら、のんびり外野で野球観戦というのも良いものです。
 そこで知ったのが、明日・明後日は35歳前後の人を対象にした『R35ゲーム』で、特別企画としてなんと日のり子がウズイス嬢をするとのこと!日のり子といえば、タッチの南ちゃん!トトロのサツキ!らんまの天童あかね!ナディアのジャン!そして、トップをねらえのタカヤノリコ!なんとR35世代の心に取り入る人選でありましょう。というか、明らかにオリックスにその手の人がいるに違いない…。
 とはいえ、私にとって日のり子といえば、何と言っても「はいぱぁナイト金曜日」でしょう。私がアニメに造詣が深くなったのは、むしろこのラジオ番組のせいという側面も否定できません。Wikipediaで「AMラジオが若者文化だった時代の最後の光芒の一つ」と評され、あるページには「他の番組には無い「何か」が存在していた」とも書かれる、とんでもない、不思議な魅力を持った番組でした。回を追うごとに物事がどんどんと膨らんでいき、次々に面白いネタが実現していく。毎週毎週が楽しみで、エキサイティングな経験でした。
 当時の日さんは28歳。今考えてみると、よく生意気盛りの中学生や高校生を相手にして、さまざまな冗談やネタや悩みに本当に真剣に取り組んでくれたなあと感謝せずにはいられません。そんなことも考えつつ、なんとなく明日京セラドームに行ってしまう気が、書いていて段々してきました。(2009/8/28)

市民演劇今昔
 今日、三田市で行われた市民演劇を見てきました。三田市は大阪のベットタウンで、近年急速に発達した街です。ホールの指定管理者が、自主企画として市民主体の演劇を作っているようです。
 劇自体も意外なほど良かったのですが、何と言っても市民演劇特有の雰囲気があり、それが非常に懐かしかったです。明らかに姉妹が一緒に出ていたり、お父さん・お母さんがスタッフをしていたり、子どもたちも大人もうまい人とそうでない人がいたり、なかなかダンスが合わない人がいたりと、「そんなことあるある」と一人で突っ込んでいました。終演後のロビーは大混雑になり、中には泣いている女の子もいて…というのまで本当に一緒でした。場所も時間も違っても、10数年たっても変わらないものがあるなあと思ってしまいました。
 ちょっと考えてみると、田舎の中に突然都会ができてしまったという点や都心からの距離・経路など、つくばと三田はどこか似たところがあります。JR車内から遠くに眺める三田ニュータウンと、土浦学園通りから遠くに眺めたつくばの中心地区というのは、どこか似ているように感じます。そういう町で新住民と旧住民が一緒に、共通の話題として一つのことに取り組む。その題材として市民演劇というのは非常に良いのかもしれません。
 ちなみに、今回の市民劇団はつくばりあんと比べるのが失礼なほど高レベル。役者をオーディションで選んでいることともありますが、脚本や照明・舞台のようなスタッフワークをプロ主体でやっているのも大きな理由のようです(まあ、これも善し悪しありますが…)。で、良く見れば、中にピッコロの先生のお名前も。ホールの指定管理者も以前仕事で絡んだことがあり、なかなかこの世界、狭いもののようで…。(2009/8/30)

床屋さんが苦手
 イベント直前だというのに、なんだか結構暇です。というか、他のことに手を回す気分でもないので、逆にやることが少なくなっているのかもしれません。ということで、ここ数日はサクッと定時で帰宅しています。昨日は、帰宅途中に床屋さんに行って散髪をしてきました。
 ところで、私はどうも床屋さんが苦手なのです。一番苦手なのは、「どうしますか」とか「どこまで切りますか」とか「もみあげはどうしますか」とか「眉毛の下は剃りますか」と聞かれること。正直、おかしくなければいいので、適当にしてほしいのですがそういう訳にも行きません。特に悩むのが「どこまで切りますか」で何と答えたらよいのかわかりません。「ざくっと」とか「ちょびっと」とか「若干」とか「おおいに」とか言ったらよいのでしょうか?あるいは「何センチぐらい」とか言うのでしょうか?その場合、残す方の長さを言うべきなのでしょうか、切る方を言うのでしょうか。毎度のこととはいえ、いつも悩んでしまいます。
 さらに腹立たしいのが、切ったあと鏡を持ってきて「これでよろしいでしょうか」と了解を求めること。一度ぐらい「もうちょっと長めで」とか言ってみたいという誘惑にかられます。あそこで、だめと言っている人を聞いたことがありませんが、言っても良いのでしょうか?「あと5ミリぐらい短めに」とか指示するのが良いのでしょうか?シャンプーのとき「どこか痒いところありますか?」と聞かれるのも、実際に掻いてもらう人がいるんでしょうか。謎です。
 とはいいつつ、ひげ剃りやシャンプーは結構気持ちいいし、眉毛の繋がっているところを剃ってもらう必要もあるので、千円カットではやはり物足りない。ということで、2カ月に1度ぐらい、意を決して床屋さんに行っているのです。(2009/9/1)

『青空教室』
 私が小学生のころ、小学校6年生の社会科は「日本の歴史」でした。大和朝廷、貴族の政治、武士の政治、天下統一と鎖国…次々に繰り広げられるドラマに魅了されていたのを覚えています。
 その教科書の中でもっとも記憶に残っているのは、戦国時代でも明治維新でもなく「青空教室」。第二次世界大戦後、校舎が空襲で焼かれてしまった学校が運動場を教室として行った授業を、貧しいながらも一生懸命立ち上がる人々と、新しい時代の幕開けを象徴する出来事として取り上げていました。ところが、当時の私はそれを素直に受け取れなかったのです。「本当に戦争が終わったら、すぐに青空が取り戻せたのか。今まで現人神だの神国日本万歳だのと言っていた人たちが、急に民主主義万歳、戦争放棄万歳といえるほど、人間は変われるのか。あるいは、一般国民は戦時中、全員自由を抑圧されていて、敗戦と同時にみんな大喜びしたのか。おそらくそんなことはない。なんか変だぞ。」と。この違和感はあまりにも強烈だったので、今だによく憶えています。
 それ以降、戦後すぐの出来事に特に興味を持つようになりました。そして、墨塗り教科書、米軍による接収、公職追放、東京裁判、残留孤児…。戦後は決して青空で象徴できない時代であることを知りました。
 これを青空と書いたものは何なのか、考える余地はあります。しかし、自分としては、青空の下にも悲しみに暮れている人や孤独に耐えている人、人生の方向性を見失った人がいる、そのことだけを忘れたくないと、固く心に決めているのです。
 (ちなみに、この稿を書きはじめて、もしやと思い別室の本棚を探ったところ、何と当時の教科書がみつかりました。そして、『青空教室』の記述はほとんど記憶のとおり。人生の中で最も記憶力が良いのが12歳(小6)と言われますが、確かにそうかもしれませんね。)(2009/9/3)

選択の結果
 昨日、自分の仕事の中でメインイベントの展示会が終了しました。去年は2次会で撃沈でしたが、今年は3次会まで行き午前3時まで。久々に飲み明かしました。年上の人も、同世代の人も、年下の人もいるけれど、仕事のこと、人生のこと、まじめに語り合うことのできる仲間と一緒に仕事ができるということは、本当に幸せなことだと思います。
 今日は、演劇学校の同級生たちと一緒に観劇&おしゃべり。ミュージカル「コーラスライン」を見て、あんみつ食べて、梅田で二人芝居「ブラックバード」見て、豆腐料理を食べて。20代の人々と同じ視点で遊んで、同じ視点で演劇や人生を語りあうことができるのは、とても楽しいだけでなく、自分自身の世界の見方が広がります。
 どちらも、あのまま結婚生活を続けて、財政課に居続ければ、絶対に出会うことのなかった世界です。
 どの選択が正しかったのか、その結果はおそらく最後まで分からないけど、少なくとも選んだ人生に対して誠実でありたい。最大限生きていきたい。最近、そう考えています。 (2009/9/5)

台本をもらって
 10月末の中間発表会に向けて、研究科の台本をもらいました。私は美術コースなので、これを読んで舞台装置を考える必要があるのです。とはいえ美術コースには11人もいるし、中ホールなのであまり派手な装置も作れないし…と思いつつ読み始めたのですが、実際に台本を読みつつ舞台を考えていくと、これが実に面白い、面白い。
 昨日は、1度すっと読んだ後、場面ごとに状況をまとめたり、舞台プランをラフスケッチしていったりと、気がつけば5時間程度そんなことをしていました。今日も昼休み時間にファミレスで読んでいたのですが、あやうく午後の開始時間に遅れてしまうほど熱中してしまいました。台本のプロット自体は多少ありがちなのですが、これをどう具体化するのか、今の段階では無限の可能性が広がっているだけに、本当に楽しいのです。台本からキーになる単語やモノを取り出してきてそれを前面に出そうかとか、いや新劇チックに具体的な装置を作った方が勉強になるかなとか、ここはいっそのこと発送豊かに抽象的に舞台のテーマを表現してみようかなど、次々とアイデアが湧いてきます。その度に台本に戻り、「うーん、これは流石にしんどいかも」とか「この舞台じゃこのシーンは表現できないなあ」とかやっていくのです。何と楽しい作業でしょうか!
 いよいよ明後日から美術コースの具体的な授業が始まります。先生がどのようなことを教えてくれるのか全く分からないけれど、一足先に楽しんでしまっています。十数年前の感覚がだんだん戻ってきました。(2009/9/7)

ファーストナイトの憂鬱
 いよいよポーランド旅行が近づいてきました。ここにきて、急にバックパックやコネクターを買ったり、休暇の申請を出したりと、着実に準備を進めています。周りからはいかにも楽しそうに見えそうです。
 ただ、正直なところ、いつもこのころは憂鬱です。もし空港で荷物がロストしたらどうしようかとか、空港から無事ホテルまでたどり着けるかとか、現地の治安はどうかとか、ホテルのカウンターでちゃんと英語が通じるかとか、鉄道はきちんと取れるかとか、一人での食事はどんなところでしたらよいのだろうかとか、もしかしたら1週間全く日本語をしゃべる機会がないのではないかとか、いろんなことを思い悩んでしまう時期なのです。この思いがピークに達するのは、長い飛行機の旅を終え、初めてのホテルに入るときで、やっとたどり着けた安堵感だの、言葉の通じない人々の中にいる緊張感だの、文化が分からないことによる不便さだので、「なんでこんなところに来てしまったんだろう。これから1週間どうやって生活していこう…」と後悔するのです。基本的には小心者なのかもしれません。
 ところが、翌日、ぼちぼちと街歩きを始めると、少しずつその国の分野や雰囲気になじんでいくのでしょうか。徐々に元気が戻っていきます。そして、1週間も経つと、旅行に必要な片言ぐらいはしゃべれるようになっており、「何でこんなに楽しいのに帰んなければならないんだろう」と、多いに残念がるわけです。
 ほぼ毎回その経過をたどるため、たとえば1日目は多少お金がかかろうがタクシーでホテル入りするとか、最初は連泊でそこそこのホテルを取っておくとか、2日目にはたくさん予定を入れ過ぎないとか、自己防衛策は講じています。とはいえ、今回も同じようにホテルで後悔するのでしょう…。そういう意味では、多いに楽しみな半面、多少憂鬱な気分でもあるのです。(2009/9/9)

9.11から8年
 今日は9.11。アメリカ同時多発テロの発生日でした。今年もいろいろな特集がテレビから流れています。
 私は、この第一報を豊岡の総合庁舎から自宅に帰る車の中で、ラジオで聞きました。当時は11月初旬のイベントを担当していたため、残業して帰るところだったのです(10時過ぎだったようですね)。ちょうど2機目の飛行機がワールドトレードセンターに飛び込んだ直後で、車に乗り込んでエンジンをかけるやいなや、緊迫したアナウンサーの声が飛び込んできたのを今でもありありと覚えています。「これで何か、世界が変わってしまうかも知れない」と痛切に感じました。
 あれから8年。私の身の周りでは、飛行機の保安検査が異常に厳しくなった影響ぐらいしか思い浮かびません。ただ、昔は大事だった自衛隊の海外派遣は日常の出来事になっているし、霞が関の総合庁舎はテロ対策を名目にますます一般国民から遠いところへいっています。路上カメラや自動車のナンバープレート記憶装置など、監視社会化もますます進んでいます。そろそろどこまでテロ対策で社会をがっちりと固めてしまうのか、どこからは一定のリスクとしてあきらめざるを得ないのか、社会的な合意が必要な時期なのかもしれません。(2009/9/11)

10数年ぶりの工作
 舞台技術学校美術コースで、「台本を読んできて舞台プランを考える」という課題が出ています。文章でも、絵でも、素材でも、模型でも何でもよいとのことです。私自身は、台本の間にある程度スケッチはしていたこと、海外旅行のために今後2回授業に出れなくなることから、最初ぐらいはきちっとやろうと思い、身の周りにあるもので簡単な模型を作ってみました。とはいえ、本格的な模型の作り方は分からないので、あくまでも自己流です。つたないものの、段ボールの箱の中に机や装置を入れ、簡単な人形を入れれば、そこに小さな劇場が出来上がりました。床や装置を水彩絵の具で色付けしていくのも楽しい作業です。
 よくよく考えてみると、県に就職してからこういった工作作業は一度もしていなかった気がします。子供が身近にいればともかく、独身では本当にすることがないのです。しかし、やってみればなかなか楽しく、海外旅行準備で忙しいにもかかわらず、ついつい童心に帰って熱中し、時間を費やしてしまいました。15日の日に同級生たちがどんなアイデアを持ち寄ってくれるのか、そのうえでどんなプランに仕上がっていくのか、いまからとても楽しみです。(2009/9/13)

おもしろきことの無き世をおもしろく
 私は同期の友人からよく「いそべっちはどこの職場に行っても楽しそうに仕事をしているよねー」といわれるのですが、こんな私でも全く合わなかった職場があります。1年間出向で行っていた中央官庁、霞が関です。
 たまたま私の担当していた事務がそうだったのかもしれませんが、正直あまり必要性の感じられない権力的なお仕事、前例や過去の先輩方の実績を一切崩さないことを大前提とした対応、各種有力者やOBに対する厚遇、年次の早い遅いでいろんなことが決まってしまう理不尽さ、他省庁との極端な罵り合いなど、本当にどこに向いて仕事をしているのか全く分からない状況でした。もちろん個々の職員の方の能力は非常に高く、人間的にも素晴らしい方が多いのですが、組織としては正直だめだめでした。中にはこうした組織の問題点を鋭く分析し、何とかしなければならないと悩みもがいていた方々もおられたのですが、やはりそういう人は組織内で偉くなることができず、消え去っていく運命のようです。おそらく、日本のためにはこの組織を一回ぶっ壊さないといけない、もしかしたら5、60年に一度ぐらい革命が必要なのかもしれないと、毎日真剣に考えていました。
 いよいよ明日から民主党新政権。他国で言えば、明らかに革命です。新政権は「官僚支配からの脱却」を進めていくとのこと。もちろん、現在の政官の関係は改善した上で、できれば霞が関に暮らしている若い人々にもういちどやる気を起こさせる仕組み作りを進めてほしい。そしてその結果、この国がより活性化し、より多くの楽しいこと面白いことが生まれてくれば、何よりの喜びなのです。(2009/9/15)

この世の中の全てのものたちへ
 私が中高時代に通っていた学校は、カトリックのミッションスクールでした。大半の生徒達は単に進学校ということでこの学校に通っていたのですが、私自身、中高時代はいろいろと悩んだこともあって、キリスト教、カトリック、そして神について思いを巡らせる機会が結構ありました。公教要理も、相当学んだ気がします。しかし、結局、私自身は神とキリスト教を信じることができませんでした。
 その中で考えたのは、「この世が神が作りたもうたものであれば、世の中のありとあらゆるものの中に神が存在しているに違いない。とすれば、生きている間に世の中にあるできるだけ多くのものと出会い、それを知っていくこともまた、神に近づいていく道なのではないか」ということ。こうして「人生の中で、できるだけ多くのものに出会うこと」が一つの信条になりました。
 あれから20年余り。今だに神は見つかっていません。しかし、言葉にはできないけれど、少しずつ見えてきているものがある気がします。少なくとも、「神」という存在を作りだした人間は信じてもいいかなと思い始めました。
 いよいよ明日からポーランドとウィーンへの旅行。また沢山の、この世の中のものとの出会いを楽しんできます。(2009/9/17)

9月18日(金)〜28日(月)はポーランド・ウィーン旅行中でした。
その間の更新はありませんでした。


ポーランド・オーストリア・スロバキア
 今朝、無事帰国しました。アムステルダム・スキポール空港での待ち時間を含めると約20時間の長旅でしたが、結構疲れていたのか、帰りの日本行き飛行機の中では爆睡してしまい、あまり時間を感じることはありませんでした。今は時差ボケから来るのか、時折猛烈な眠気がやってきますが、なんとかこれを乗り切って、明日からのお仕事&舞台技術学校に備えたいと思います。
 今回行ったのは、ポーランドとウィーン。更にウィーン在住の友人と一緒に、スロバキアの首都ブラチスラバにも足を運びました。1度で3カ国ということは、これまでで初めてです。一つ一つの印象が薄くなる半面、多様な民族が狭い地域に隣接して暮らすヨーロッパについて、少し認識を深めることができた気がします。
 詳しい内容などはまた旅行記にまとめようと思いますが、まだまだ世の中には行かなければならないところがたくさんあるなあと。その一方で、なかなか若い時のようにはいかない部分も多少発見してしまいました。たとえば、今回は10泊11日の旅で、ワルシャワ2泊、トルン1泊、車中1泊、クラクフ2泊、ウィーン3泊、機内1泊でしたが、やはり適当に連泊を入れておかないと体力的・精神的にしんどいのです。1泊ずつで各都市を訪問していくというような種類の旅はもう厳しいでしょう。
 ともあれ、いろんな意味で転換点になりそうな今回の旅。これからも写真整理や旅行記で、まだしばらく続きます。(2009/9/28)

向日葵・賛否両論
 帰国後1回目のピッコロの授業は鑑賞授業で、柳美里の「向日葵の柩」。いきなりズドーンと重いところからの再スタートとなってしまいました。
 個人的にはすばらしい舞台美術・照明と相まって、柳美里風の難解さを前面に打ち出した分かりやすい芝居だなあと思っていたのですが、どうも演劇学校生・舞台技術学校生とも、かなり不評だったようです。「よくわかんなかったけど、何かすごかったよね」的な感想が多いかと思いきや、割と全否定的な意見を多く聞きます。
 実は、これまでも、私が「絶対駄目だ」と思った芝居でも周りの人は意外といいと評価していたり、逆に私が好きでも周りの人はそうでもない芝居というのはありました。そして、これは私だけでなく、演劇というのはけっこうそういう部分があるもののようです。個人にとって受け入れがたい領域というのは誰にでもあり、それを多いに刺激するのが柳美里の戯曲とも言えそうです。
 ともあれ、「愛情の反対は嫌悪ではなく、無関心である」とか「嫌い嫌いも好きのうち」というように、ある意味、多くの人に嫌悪される芝居というのはそれだけパワーを持っているとも言えます。神戸市立図書館に戯曲があるようですので、一度読み返してみたいなあと考えているところです。(2009/9/30)



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