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過去の「ほぼ演劇日記」 保管庫(2014年1月〜3月)


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あけましておめでとうございます!
 →今年の年賀状デザインです。

1月は超多忙でした。
 アフリカ帰国後、ある程度予想されていたこととはいえ、仕事が多忙に。友人公演(兎桃企画「トランス」)も仕込みとバラシだけ行き、本番を見れたのはラスト10分程度。その後も、土日出勤が続いたりであまり演劇を見に行けなかった(見に行く気にならなかった)のです。とはいえ、2月中旬には徐々に落ち着きを取り戻し、また旅と演劇の日々が始まりました。

本能に向き合って生きる、一種の人間賛歌(柿喰う客「世迷言」感想)
・いつもと同じく、正直とっつきにくいお芝居。しかし、少しずつ自分の中でのイメージと舞台上での出来事がシンクロしてきて、わかるわからないを超えた面白さを感じる。竹取物語(かぐや姫のお話)をモチーフにしながらも、描かれるのはかなりおどろおどろしい世界。
・鬼、鬼の息子、かぐや姫、翁、帝、帝の妹、猿…出てくる人物はみな現代から見れば「異形の者」であり、それぞれに異彩を放つが、良くも悪くもそれぞれが自分の意志や本能に対して真っ向から取り組んでいる姿は、ある意味、一種の人間賛歌のようにも感じた。背景がおどろおどろしいからかもしれない。
・また、アフタートークで中屋敷氏がネタバレしていたが、「月から来た=人ではない」と「月のもの(月経)がある=人の女である」というコントラストが見事。「ルナティック」という英語には狂気じみたという意味があるが、月の持つ女性的な狂気というのは男性には計り知れないところもある。
・篠井英介氏の「鬼」が見事で、(ご本人もおっしゃっていたが)能の鬼を彷彿とさせる凄みがあった。また、帝役の七味まゆみさんは相変わらずの活躍。姫役の鉢嶺杏奈さん、猿役の橋本淳さんも思いの伝わってくる演技でインパクトがあった。さすが本公演というか、役者のレベルや統一感は見事。
・舞台美術は上から見ると「世」という形になっているらしいが、1階からは全く分からず。それでいいのかは多少疑問。また照明はLEDメインであったが、フェイドアウトの時の「プチっと切れる感」が気になる個所が何か所かあった。衣裳のチョイスは見事で、音響と相まって雰囲気が明確にできていた。
・いずれにせよ「柿食う客」が現在、小劇場界のトップランナーなのはおそらく間違いなく、そういう意味でも見るべき価値はあった作品なのかなと。そうでなくても、あの独特な雰囲気・世界観は中毒性があるなとか。2014年、ほぼ初めての観劇、面白い作品から始められました!
(2014/2/14観劇)

20周年、多少異質な作品から。(ピッコロ劇団「お家さん」感想)
・ピッコロ劇団20周年記念作品の第一作目で、竹下景子を客演に迎え、兵庫県を題材にした舞台を作る。かなり早い時期から前売り券完売。そして、地元関係企業の後援、大量の花束と、いつもの定期公演とはかなり違った雰囲気。
・作品は、神戸の大商社であった「鈴木商店」の未亡人(お家さん)のほぼ半生。長い年月の人と企業の盛衰を描く必要があるためか、異常に1シーンが短く、それが次々に暗転芝居で行われた。86回の暗転があったと聞いたが、正直、演劇作品としてはどうかとも思う。
・一方で、この演出が長時間作品に往々にして見られる「だれ」を少なくし、テンポよく見られる、どこか軽やかな劇後感を与えたのもまた事実かと。そういう意味ではテレビドラマ的な演出手法であり、観客の中にも合う人合わなかった人がいるのだろう。いずれにせよ、特殊な舞台であったことは間違いない。
・このような演出を演劇作品として成立させた役者陣と舞台美術の力は流石。主役・竹下景子氏のオーラは言うまでもないが、劇団員の一人一人、特に田川万作役の岡田力氏、珠喜役の野秋祐香氏の演技には引き込まれた。ショートシーンばかりの芝居なので、逆に役者のインパクトが強く迫ってきた気もする。
・舞台美術は本当に転換が大変そうであったが、やはり圧巻は焼き討ちのシーン、映像と動く装置のコントラストだろう。あのシーンは本当に鬼気迫るものがあった。音楽は多少多すぎの感もあり、また「なぜこのシーンにこの音楽?」というところも多々あった。これもテレビ的なのであろうか。
・どんなタイプの芝居でも演劇作品たらしめる能力があるプロの集団。そういう意味ではピッコロ20周年最初の作品として、ある意味ふさわしかったのかもしれない。今後のラインナップもいろいろ意欲的なラインナップが並んでおり、また楽しみ。関係者の皆さん(特に大道具さん)、お疲れ様でした。
(2014/2/21観劇)

4年前、確かに私たちはあの提灯の下にいた。
(ピッコロ演劇学校31期・舞台技術学校22期合同卒業公演「贋作 罪と罰 〜Piccolo ver.〜」感想)

・野田秀樹の名作を本科の卒公で。個性豊かな俳優陣とレベルの高い舞台スタッフとで、「卒業公演」を超えた「作品」として十分に成立していた気がする。
・その理由の一つが、やはりレベルの高すぎるメイン役者陣にあることは言うまでもない。特にヒロインの三条英役のお二人(寺岡千尋氏、上山裕子氏)の貢献には感謝。それぞれにいいところも課題も見え隠れしたが、それもダブルキャストならではの楽しみであり、成長の糧という気もする。
・また、メイン男性陣のレベルが近年になく高く、それぞれに個性を生かした役作りをしており見ごたえがあった。もちろん、全体としてのダンスや集団での動きも非常にスムーズであり(特に志士軍団)、「個」でも「集団」でも演技ができるという、本科卒公としての一つの到達点だったのではないか。
・具象と抽象の中間地点に立つ舞台美術。一見単純かつ不安定そうに見えつつも、しっかりとした人々の思いの積み重ね、時と時代の積み重ねを表現しているようにも見えた。そういう意味ではプランが最後、動かない舞台になったのは大正解。縦の線は赤提灯や赤の錦旗で必要な時には補強している。
・その舞台装置を最大限に生かした照明チーム。あの舞台はある意味照明泣かせだが、逆にそれが生きていた。赤提灯の中の明かりを消して後ろからだけ照らしたシーンは「大川の風」たちの赤い衣装とも相まって屈指の美しさ。音響もきっかけが多い中、決して違和感はなかった。
・作品の最後は前向き。英から、新しい時代(あるいは100年先=今)への期待と希望とが、語られる。そこには、自分の父が殺した才谷(竜馬)の死体が。彼女はその死を知らないけれど、でも知っても(うすうす知っていても)、それでも前に進んでいくのだろう。そんなメッセージを感じた。
・今回の卒公、全く個人的な感想だが過去の本科卒公の集大成という気もしている。ええじゃないかと赤い提灯の下で躍ったのは27期、「扉を開こう」と歌ったのは28期。志士たちの衣裳や動き、こんもりとした舞台装置は29期作品を彷彿とさせ、30期はあの鐘の音までを必死で生き抜いた。
・もちろん、そんなことは31期生には何も関係なく、(英さんと同じく)ただ舞台上で一生懸命に生きればよいのだけれど、その一方でいろんな積み重ね(私たちの代で赤提灯を購入したこととか)があってこの作品に結実したことも事実で、それも素敵で美しいことだなあと、ラストシーンを見つつ考えていたのです。
(2014/3/8観劇その1)

神なき国の正義と悪について
(ピッコロ演劇学校研究科30期卒業公演「風が止んだ日に 〜カミュ・作「戒厳令」より〜」感想)

・正直難解な作品であり、1回目はよくわからなかったが2回見て、何となく理解できたところもある。予定調和ではない不条理な作品ではあるが、それでも生きていく民衆(特に女たち)の力強さも感じた。
・今回はどちらかといえば男性陣に面白く個性的な役が多く、市長役の水谷亮太氏をはじめ、出番の多少にかかわらず強い印象を残した。逆に市場の民衆役についていた女性陣は前に出たり背景になったりの切り替わりが見事であり、このあたりも研究科生としての高いレベルを感じさせる。
・舞台美術は中央に教会の尖塔を配した、板坂美術の真骨頂といった感じのもの。装置が次々に移動し、それをカルーセル的に見せるシーンもあったが、研究科の役者さんたちがしっかりと動かしていた。後ろの書割も見事であり、本科とは全く違った作りの舞台装置であったのが逆に非常に楽しい。
・オープニングの力強いムーブメントに引き続いてのダンスは、華やかなりし時代のヨーロッパを彷彿とさせるもの。また今回は群読があり、特に女性だけの群読というのは男声のみや混声とはまた全く違った強いインパクトであった。なかなか苦労したろうと思うが、合った時の破壊力は大きい。
・当初はペストや女秘書が絶対的な悪役かと思っていたが、そうでもないのが作品の面白味なのだろう。正義のヒーロー・ディエゴやならず者・ナダについても同じこと。日常は意識することもなく受け入れていても、時には(風の止んだ日には)受け入れの是非の問いに直面するのかもしれない。
・研究科も人数が増え、いろいろと難しいところではある。ただ、やはりレベルの高いお芝居ができる素地は明らかに作られてきたのではないかなと改めて感じた今回の卒公であった。研究科生の新天地でのさらなる活躍、そして研究科内でのさらなる進歩を、ピッコロOBとして楽しみに見守っています。
(2014/3/8観劇その2←2014年から、アップ日ではなく観劇日で統一します。)

個性的な役者で描く混乱
(第2劇場「萱場ロケッツ!」感想)

・前説の舞監さんがそのまま役者になり、演じられる世界と演じる世界が何度も行き来する不思議な構造。場面場面は楽しく見れるのだが、最後まで混乱したままの観劇となった。ラストシーン、なんとなく晴れやかなのは主題か力量か。
・舞台はおそらく精神科の病院。心の中の混乱した状況が、「引っ越し前の、きれいだが、混乱した状況」とオーバーラップ。ステレオタイプな反応をする女性3人と個性的な患者たちなど、入り乱れ混乱した状況がそのままに提示される。主人公の生きる「現実」を示しているのかもしれない。
・個人的には「原発」という時事ネタを持ってきたところは若干疑問。一方で、精神病や記憶を失うことに関する部分については熱が伝わってきた。概して作・演出が熱意をもってこの作品を作り上げたことはがガンガンくるのだが、それがいい作品なのかどうか、若干評価の分かれるところだとは思う。
・とにかく役者さんたちが楽しく、そういう意味では見ごたえの合った作品。役名の紹介などがないのでお名前はわからないが、同僚患者のお二人、ナースコスの方、女1・2・3など、みなさんキャラが立ちすぎていた気もする。それがさらに作品としての混乱感を増しているのかなとも。良くも悪くも。
・第2劇場、これまで知らなかったが、お話の中身から見ると小劇場オーソドックスという印象も受けた。この個性的な役者さんたちがほかの芝居ではどういう動きを見せるのか、そういう点での興味も抱いた作品でした。
(2014/3/9観劇←2014年から、アップ日ではなく観劇日で統一します。)

背を伸ばして、生きよう。
(米山真理「monodrama」感想)

・一人芝居×2。一本は「チムニースイープ・ラララ」。劇団本公演で多人数で演じられたものの一人芝居版。もう一本はin13で演じられた「シロとクロ」。いずれも、世界に対する愛おしさにあふれた作品。それを米山真理氏が必死で演じる。
・「チムニースイープ・ラララ」は、一人芝居の制約で「言葉の誕生」の部分は、どうしても説明をせざるを得なくなるので若干感激が薄れた気が。逆に、手紙の部分はより痛切さが伝わってきた気も。まっすぐと背筋を張って生きていこう、そんなメッセージがダイレクトに伝わってきた。
・そして、「シロとクロ」。インディペンデントシアターの本公演では若干冗長に流れた気もしたが、狭い会場と相まってむしろ引き締まった気も。生演奏とのコラボレーションもばっちり。この作品を見ると、その後しばらくの間は見るものすべてをいとおしく感じる。そんな作品。
・米山真理さんは決して技巧派ではないし、特別な身体性を誇る役者さんでもないけれど、だからこそ、その必死さ、真剣さが素直に観客に伝わってくる気がする。あえてそれを不器用に、しかし前面に押し立てる作・演出の勝山修平氏にも改めて感服。
・会場のLIVE&CAFE BAR PLACEBOは小さいスペースで、来られている方も大半が関係者。多少「来てもよかったの?」と感じつつ、やはり来てよかったなと。彗星マジックの世界観と空気がやっぱり好きなんだなということを改めて再確認した1時間ちょいでした。
(2014/3/21観劇)

虹を目指して、生きよう。
(劇団態変「Over the Rainbow-虹の彼方に」感想)

・30周年・第60回公演と銘打った記念公演。確かに1時間少しの公演時間は、まさに彼らの歩みだったのであろうなと。棄てられ、孤独を味わい、闘い、それでも共に生き、そして同じ方へ向かっていく。そんな時間。
・セリフもなく、動きからも何かをつかむことは難しく、難解といえば難解。私も当日パンフを見つつ、多分こんなお話だろうなと想像しながらの観劇であった。そういう意味では、多少人を選ぶだろうなとは思う。一方、わかりやすく何かをつかませるということに対する問いもある気もする。
・インパクトがあったシーンとしては、突然の喪失を帽子で表現した「海と帽子」、刀を振り回した「闘い」、なぜか舞台に安堵感のあふれる「同じものを見付ける」、そして圧倒されるラストシーンの「虹の方へ」。多くを語る必要のない、ただ感じればいい舞台かなとも改めて思っている。
・とはいえ、なぜ作品タイトルが「虹の彼方に」なのに、舞台プログラムが「虹の方へ」なのかなとか、そんなことも気になってしまったり。「方へ」はこれまでの30年の歩み、「彼方に」はこれからの30年の歩みなのかも、とか。いずれにせよ、生演奏とも相まって、不思議で素敵な、感じる空間でした。
(2014/3/21観劇その2)

ストレートにノスタルジックに
(劇団浮狼舎番外公演「夕陽影を投ずとき」感想)

・ベンチだけの舞台に役者の力で、原っぱと夕陽が広がる。話の内容も物言いも、どこか昭和ノスタルジックな世界。座・九条というロケーションもまたその一部なのかもしれない。シリーズものの外伝とのことだが、知らなくても楽しめる芝居であった。
・島上亨氏と岩井宏之氏は、それぞれに緩急つけた好演。しかしながら、舞台上でありながら集中力が切れがちに見えた役者も結構いた。そこは正直、非常に気になる。また、感情の流れがよくわからないところもあった。全体としてシーンがそれぞれにバラバラと提示された感想を持った。
・役者さん個々人は面白い人も多いし、全体を貫く「雰囲気」は濃厚すぎるほど濃厚にあり、いいセリフも結構あるのだから、まずはその世界観なりスタイルなりをまず役者全員で共有してほしいなと。そうすれば、観客にも、風なり温度なり空気なり匂いなりが伝わってくる舞台になるのかなと。
・舞台装置はベンチだけであり、非常にシンプルでよいのだが、逆にその使い方ひとつで役者の力量を明確にしてしまったきらいも。LEDの照明はさほど気にならなかったが、ロスコの出たり消えたりは結構気になった。ロスコの使い方ってある意味難しいのだなあ…ということを改めて確認。
・前に見にたのは最後まで次々に人が死んでいく、なかなか衝撃的な作品であったが、今回はそんなこともなく。嫌味でなくストレートにノスタルジックで前向きな作品であった。ぱしっと決まった時に舞台から伝わってくる圧力は相当。次はどのような作品を見せてくれるのか、それも楽しみです。
(2014/3/23観劇)



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