第四の謎

なぜ、変な地名が多いのか?


 先にも行ったとおり、筑波は完全に計画されて作られた都市である。ところが、筑波研究学園都市の地名(町名)はなにぶん統一性がなく、地名を聞いただけではどこだか分からない。せっかく計画された都市なのだから、それこそ北から「第一街区」「第二街区」とつけてゆけば、一言聞いただけでそれがどのあたりか分かりやすいのだが...。それでは、あまりに無味乾燥だというのなら、別の方式もある。せっかく研究学園都市の北部に「一の矢」という地名があるのだから、これにちなんで「めぞん一刻方式」(?)で地名をつけてゆけばいいのである。つまり、北から「一の矢」「二風谷」「三宮」「四日市」「五木」...とでもつけていけば、地名として変ではないし、風情もある。
 ところが実際には、筑波の地名には全然統一性がない。これはもともとあった地名にちなんだ訳ではなく、全く新しく地名を作ったのである。すなわち、筑波の地名は何らかの意図があってつけられたと見て差し支えないだろう。ここでは、筑波の地名に込められたなぞについて、判明しているいくつかの地名についてのみ解説する。

春日・・・春日といえば、春日大社のことであるのは言うまでもないだろう。奈良の春日大社は昭和天皇がご病気であった際にも連日祈祷を繰り返したように、天皇家との関わりも深い。筑波首都代行都市を守るという意味でこの名前が付けられた。

吾妻・・・吾妻と言えば日本武尊の故事が思い出される。東征の折りに自分の妻を失った日本武尊が碓氷峠から東の方を見て、「ああわが妻よ」と嘆いたという故事である。なぜこの故事を取り上げたのかは不明だが、ともあれ古い神話にちなんだ地名である。

竹園・梅園・・・実はこの地名自体に大きな意味はない。しかしながら、よく考えてみると「竹・梅」はあるのに「松」がないというのは奇妙な話である。すなわち、「一番大切で貴重なものはもっと別の場所にあるのだよ」ということを暗示しているのである。

並木・・・日本で代表的な並木といえば、日光の杉並木であろう。また、新しいところでは表参道の並木道も人気がある。東大正門から安田講堂へかけての並木道もなかなかよかった。並木道を越えていったその先には、非常に重要な何かが存在するのが一般的である。

千現・・・「浅間」の当て字。全国に「浅間神社」という神社があり、どこも天皇家との関係が深い。

松代・・・長野県長野市の松代町にちなむ。第二次大戦の終わり頃、日本軍の大本営は松代への疎開を計画したが、結局その前に終戦を迎えてしまった。軍関係者の中には「あのとき松代に移っておきさえすれば神風が吹いて日本が勝ったのに」という思いを抱いている人も多い。そのため、筑波首都代行時の統合幕僚本部になる場所に「松代」という名前を付けた。

 感のいい人ならもう分かっただろう。首都機能代行、とは結局どのようなことなのかを。そして、何を守ることが一番大切とされているのかを。
 いよいよ「筑波のなぞ」の最重要部である。心してほしい。

天王台・・・言うまでもなく、「天皇」のすむところ。代理皇居。現在この地名にあるのは、筑波大学。

 



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これはフィクションです。おそらくフィクションだと思うのですが...。
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