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ウィーン&ブラチスラバ:“ヨーロッパ”ということ
3日目[全体では9日目](9月26日(土))
「なるほど、これがヨーロッパ」


ルート

ホテル◎前日買っていたサラミ・ヨーグルトなどで朝食―(地下鉄・トラム)―ウィーン南駅―(オーストリア国鉄)―ブラチスラバ・ペトルジャルカ駅―(バス)―★デヴィーン城―(バス)―市街地散策(△フラヴネー広場、△ミハエル門、◎ハルシュキなど)―(トラム)―ブラチスラバ中央駅―(オーストリア国鉄)―ウィーン南駅―(地下鉄)―ホテル―(地下鉄)―★ウィーン国立歌劇場―(地下鉄)―★プラーター大観覧車―ホテル(Austria Classic Hotel Wien泊)

※凡例: ★入場・体験観光 △外観観光 ◎食事

写真など

オーストリア国鉄 ペトルジャルカ駅 デヴィーン城へ
ウィーン−ブラチスラバ間は片道約1時間、往復にブラチスラバ市内交通乗り放題のおまけつきで、なんと14ユーロ。本当に気軽な海外旅行。 ペトルジャルカ駅は非常に新しく、近代的・近未来的で綺麗な駅。とはいえ、たった1時間の距離なのに書いてある言葉が全部違う。なんとなく雰囲気も違う。 ブラチスラバは観光に力を入れだしているようで、いろんなところで丁寧に英語の説明や案内が書いてあった。やはりEU通貨統合効果が大きいのだろうか。
デヴィーン城 ドナウ川 丘のある風景
1809年にナポレオン率いるフランス軍に襲撃されて以降、廃墟とのこと。ヨーロッパを旅していると、本当に世界史が身近な所にある。 いまはとうとうと流れるドナウ川だが、東西冷戦中はここがまさに鉄のカーテンのあった場所。行き来しようとして射殺された人も多かったとのこと。 スロバキアに来ると、急に東欧風の、大きな木がない、石灰岩で白っぽい小高い丘が次々に出てくる。ちなみに、向こうの人混みはフリーマーケットの開催中。
フラヴネー広場 在スロバキア日本大使館 ミハエル門
市街地旧市街に戻ってきた。フラヴネー広場はブラチスラバ旧市街、しいてはスロバキアの中心のはずなのだが、実際は小さな広場。正面は旧市庁舎の塔。 在スロバキア国日本大使館は、このフラヴネー広場の一等地に陣取っている。純ヨーロッパ風の建物に日の丸が多少違和感。2階以上が大使館の模様。 ミハエル門はむかし旧市街を取り囲んでいた城壁の一部。18世紀後半、マリアテレジアが街の発展を考えてこの門以外の城壁をすべて撤去したとのこと。
ブラチスラバ城を望む 共産主義的なレリーフ スロバキア放送局
新市街地からブラチスラバ城を望む。ひっくり返したテーブルの形と言われているらしい。百年以上放置され、本格的に修復されたのは第二次世界大戦後とのこと。 ここまでほとんど元共産主義国家らしさが感じられなかったのだが、新市街地のビルに付けられた労働者のレリーフを発見。これはいかにも共産主義的。 スロバキア放送局。1963年に「社会主義リアリズム」に基づき作られた「逆ピラミッド」。なぜにこれが社会主義的?分かるような分からないような…。
ブラチスラバ中央駅 駅の中のレリーフ ウィーンへ戻る列車
ブラチスラバ中央駅は無駄のないものの無骨な作り。さすがに評判も良くないらしく、Wikipediaの記載によると、駅舎を昔の姿に復元する工事が始まるらしい。 簡素な駅舎とはいえ、中には立派な壁画も。ただ、赤旗を持った人がいたり、上の方にソ連風の人工衛星が飛んでいたりするところはご愛敬。 ウィーンへ戻る列車はまたオーストリア国鉄。国際路線だが、オーストリアの列車だけを使っているのだろうか…。車内設備に差があり過ぎるため?距離の差?
歌劇場へ メインエントランスホール 中央階段吹き抜け
同行者と別れ、ホテルで一休みした後、ウィーンのハイライト・ウィーン国立歌劇場でのオペラ鑑賞へ出発。ウィーンでは本当に日本人を良く見かける。 オペラ座の中に入ると、もうそこは別世界。こういう効果を持った劇場というのが日本にはない気がする。もちろん、行政にそこまでのお金もないのだが…。 中央階段の吹き抜け部分は戦争による被害を免れた。ここに掲げられているのは「舞踏」「明るいオペラ」「深刻なオペラ」を象徴する絵とのこと。
ワインのミネラルウォーター割 ウィーン国立歌劇場 ロージェ席
昔は上流階級しか入れなかったというロビーで、ウィーンっ子の好きな「白ワインの炭酸水割り(ゲシュプリッター)」を。軽く喉を潤せて、こういうときにはぴったり。 指揮者も舞台も良く見える良い席。雰囲気を味わうにはぴったり。小澤征爾の十八番のためか、客席には日本人の姿が非常に多い。新婚旅行らしき人も。 今回はロージェ席(の1列目、一番舞台側)。雰囲気がいかにもヨーロッパ。この席はA嬢のお薦めでネットで購入。いろいろとアドバイスありがとうございました!
カーテンコール プラーター通り駅 プラーター大観覧車
さすが世界のオザワ、盛り上げ方や表現の繊細さはさすが。お話自体や演出・舞台装置は微妙なのだが、オーケストラとして十二分に楽しめた。 ホテルの最寄り駅のプラーター通り駅(ウィーン北駅)。建て替えたばかりのため、近未来的で綺麗だが人は少ない。そのうち賑やかになるのだろうか。 プラーター大観覧車に乗車。100年以上前から回り続けているウィーンのシンボルの一つ。これでいよいよヨーロッパの旅も終わり。明日は帰るだけとなった。


旅の記憶から

・この日はなんと日帰り外国旅行。ウィーン南駅から、友人A嬢と、A嬢の友人のO氏と一緒にスロバキアの首都ブラチスラバへ。O氏は日本に送りたい荷物があるが、オーストリアからだと船便の設定がないため、スロバキアから送るために一緒に同行。荷物を送るために外国へ行く!日本では全く考えられないシチュエーションである。
・といえ、ウィーン・ブラチスラバは約1時間、往復+ブラチスラバ市内交通付きで14ユーロ(2千円弱)。荷物の料金がウィーンからとブラチスラバからでは5千円近く違うらしく、物価の安い町で食事や買い物も楽しめるわけだし、いずれもユーロなので換金の必要もない。荷物を送るのに、大阪の人が姫路まで新快速で出かける(あるいはつくばの人が秋葉原までTXで出かける)ようなものであり、ちょっとした小旅行がてらと考えれば、理解できないこともない。日本と感覚が違うのだなあと。
・朝に出かけたのだが、ウィーン→ブラチスラバの列車はがらがら。一方、対向してやってきたブラチスラバ→ウィーンの列車はほぼ満員の様子。語弊を恐れずに言えば、物や人は豊かな方へ流れるようである。
・ブラチスラバには駅が2つあるらしく、ドナウ川対岸側の駅(ブラチスラバ・ヘルビェチカ駅)に着く。駅自体は非常に新しく近代的なのだが、当然書いてある言葉も違うし、人々の雰囲気もなんとなく違う。駅からはバスでドナウ側の橋の下にあるバスターミナルへ。ここでO氏とは分かれ、A嬢と一緒にバスでデヴィン城へ。観光に力を入れ始めたのか、どのように行けばよいのかちゃんと英語で説明が出ている。バスの中でも停留所の案内が電光掲示で出ているが、どうも「呼び鈴を押さないと止まらない停留所」と「押さなくても止まる停留所」があるらしい。デヴィン城の停留所は「押さないと止まらない停留所」のよう。ところが、今度はバスのどこに呼び鈴があるのかが分からない。上の方に小さなボタンがあり、まさかと思って押してみたところ、それが呼び鈴だった。非常に分かりづらい。しかし、こういうつまらないことで「どうなっているんだろう、どうなっているんだろう」とわいわい語りながら旅ができるのが、複数人の良いところ。もちろん、自分勝手に動き回れる一人旅の良さもあるのだが、久しぶりに他人と日本語をしゃべるのはやはり楽しい。
・デヴィン城はいかにもヨーロッパの中世の城の廃墟といった感じ。さらに、周辺の大きな木の生えていない小高い丘や、赤茶色の瓦がまぶしい集落の雰囲気も、いかにもヨーロッパといった感じ。天気もぽかぽか、周辺にはキャンプ場もあったりして、正直、相当ハイキング気分。とはいうものの、ここはオーストリアとスロバキアの国境地帯。ということは、1989年以前は西側と東側の接点で、まさに鉄のカーテンが降りていたところ。多くの人がドナウ川沿いに国境を超えようとして銃殺された、まさにその現場とのこと。これもまた、つい20年ほど前までのヨーロッパの現実。
・デヴィン城を楽しんだ後は、市街地に戻ってO氏と合流。いろいろと仕事の話やヨーロッパの話をしながら、レストランでビールを飲みつつ、スロバキア特産の「ハルシュキ」を食べる。他のものも食べたかったのだが、団体さんがいるとのことでハルシュキしかできなかった。安くておいしいお店だったので残念…。
・帰りは、ブラチスラバ中央駅からウィーンへ。中央駅は装飾や案内看板も少なく、いかにも共産主義国家の駅といった感じ。とはいえ、電光掲示板が導入されており、なんとなく雰囲気も明るい。スロバキアの経済が好調なのも影響しているのだろう。チェコスロバキアが1993年に「ビロード離婚」した時には、チェコはいいがスロバキアはダメになるだろうと言われていた。ところが結果は逆で、むしろスロバキアの方が順調に経済発展し、いち早くユーロ圏になってしまった。皮肉なものである。
・オーストリアの綺麗な列車でのんびりとウィーンへ戻る。新線を走っているのか、駅もみな新しく、日本よりも乗り心地がよい。昼食後でもあり、私もA嬢もO氏もみな、ついうとうと。ふと目を覚ませば、遠くまで広がる平原と風力発電の風車。雲一つない快晴。古い町並みもいいけど、こんなのんびりもまたヨーロッパなんだなと、流れる風景を眺めながら一人考えていた。
・ウィーンに戻ってきて、A嬢・O氏と別れ、ホテルでひと眠りしてからオペラへ。題目は「スペードの女王」。さすがに世界を代表する名オペラで、静かなところの木管楽器や、弦楽器の盛り上げ方などはすごかった。小澤征爾の指揮が見れたことも日本人としてはうれしい限り。そして、その素晴らしい芸術を支える劇場の雰囲気も最高。河原の小屋掛けに源流をもつ日本の劇場と、宮廷劇を源流とする西洋のオペラでは違って仕方ないのだが、劇場からして非日常を演出している状況をちょっとうらやましく思ったり。入口に大階段のある宝塚大劇場でもどこか安っぽさが否めないしなあ…。
・オペラの後は、今回の旅最後の観光スポットとして、プラーターの大観覧車へ。100年以上前からこの街で廻り続けているとのこと。私にとっては「もの食う人びと(辺見庸)」で読んでから是非行ってみたかったスポットの一つでもあった。『人間史この百年の傑作なんて観覧車ぐらいのものじゃないか…。』 今日もウィーンの街で廻り続けているのだろうか。

今日の泊まりは「Austria Classic Hotel Wien(ウィーン)」



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