いそべさとしのホームページ

僕の舞台技術学校日誌
3月(2010.3.2〜3.9)


22.3.2 大道具仕込み・ロビー展示
  「提灯のタッパ(高さ)を決めます」ということで、午後からお休みをいただいてピッコロへ。行くとみんなでロビー展示に取りかかっていた。写真やパネルのネームプレートなど、さすが美術コース女性陣。非常に楽しく、かわいらしく飾り付けられていた。
 午後2時から提灯のタッパ決め。ほぼ一直線に見えるのが嫌でバラバラに吊り直したのだが、演出家からダメ出しが出て、結局ほぼもとの一直線に。これはこれで綺麗なのだが、私のプランとは全く違うものになってしまった。吊り方自体にそれほど強い思いがあるわけではないので替えてもらっても良いのだが、演出家と十分な意思の疎通ができていなかったため、舞台監督や大道具さんに迷惑を掛けてしまった。提灯が終わってからは、またロビー展示だの手直しだの、明かりあわせの転換手伝いだの。装置へのまだダメ出しも結構あって、とりあえずは飽きることなく1日が終わる。やはりある程度仕事があった方が充実感がある。
 ちなみに、ロビー展示の写真とは別に「卒業アルバム」をつくっていて、それを先生方に贈呈するとのこと。なかなか粋な計らい。本当に卒業気分になってきたのでありました。

22.3.3 転換打ち合わせなど
  この日の夕方から翌4日にかけて、舞台上は研究科の場当たりや舞台稽古。ということで、舞台上で道具の修正可能などは作業ができない。ということで、道具の手直しは昼間から来てくれている人々がやっていてくれた。社会人でもいける学校ではあるのだが、やはり直前になると朝から作業に取りかかれる人に任せざるを得ない部分が増えてくる。仕方ないとはいえ、ありがたい思いとうらやましい思いも。
 授業時間(19時)からは、転換などの打ち合わせ。本当であれば前日ぐらいから全員で転換練習ができればよいのだが、年度末ということもあり、なかなか全員が集まる日がない。そのため、舞台監督さんを交えて事前に打ち合わせをしておくこととなった。たしかに、実際に舞台で何度もやってみるのも憶えるのにはよいが、場所を変えて話し合うのも理解の上では大変有意義だった。意外だったのが柵の移動のタイミングが難しいことで、「さく3人娘」はなかなか大変そう。
 先生方がいなくなってからは、道具修正の話。演出家から「ワゴンが洋風に見える」とのダメ出しが出たため、その対策を話し合った。個人の感性によるところが大きい話であったものの、講師の先生の効果的なアドバイスもあり、意外とあっさりと方針決定。約半年の間に11名の中でインフォーマルな役割分担ができあがっており、話し合いは本当にすんなりと行くようになった気がする。
 この日はピッコロ卒業公演Tシャツも配布。全て研究科の方が音頭を取ってくれており、申し訳ないやら有り難いやら。来年度、ちゃんと伝統が引き継がれて音頭を取ってくれるのかなあ…と多少不安に思ったりもしたのでありました。

22.3.4 ロビー展示ほぼ仕上げ
 翌日は1日年休をいただいたので、この日が公演前最後の仕事。翌日休むからというわけでもないが、ちょっと問題点が出てきたり、打ち合わせがあったりして、結局1時間程度遅刻。この日はロビー展示作業がメインのため何とかなるとは思ってはいたが、最後の最後が遅刻というのは寂しい気もするし、これこそ社会人が通う学校らしいなとも思ったり。
 疲れていたので、阪急三宮から普通で座って通学。台本の最終ページにひとり一人へのメッセージを下書き。美術コース生11名、それぞれに思い出がある。相当感傷的になってしまった。
 到着は19:30すぎ。ロビー展示がほぼできあがっていた。筆を使ったタイトル文字など、美術コース生のセンスの良さには脱帽。みんなの模型もなんとか出そろい、形になった。この日は1時間もいられなかったのであまり役には立たなかったものの、逆にちょっとした小休止になった気がする。 翌日からはいよいよ最終の通し稽古、リハ、そして本番。まさにカウントダウンとなってきたのでありました。

22.3.5 前日舞台稽古・通し稽古
 平日の金曜日だったが1日お休みをもらって朝から。いよいよ残りあと1日。ピッコロのロビーで開場を待つみんなの顔にも気合が入っている。
 朝から転換を含めた舞台稽古。いつもに比べれば多くの人が来ているのだが、私の相方は夕方からの出席。ということで、講師の先生に代役に入っていただく。これが後々厳しい結果となるのだが…。ともあれ、何回もやっていれば徐々に慣れてくるもの。少しだけ余裕も出てきた。
 ちなみに、本来なら朝から道具の手直しをしたいのだが、この日はびっしりと舞台稽古がされており、道具がつかわれているため、いじる時間が無い。結局、夕方の休憩時間に作業したのだが、そのため頼んでおいたお弁当を食いそびれる。手直しも短時間でバタバタと作業せざるを得ず、いらいらする人も多数。さすがに前日にもなると、これまでのんびりだった美術コースといえどもバタバタするものである。
 夕方の通し稽古では、初めて研究科の作品を鑑賞。多少は知っていたのだが、やはりレベルの高い芝居を作っていた。特にダンスシーンと歌はさすがに研究科と言ったところ。役者の力量は人それぞれだが、中間発表会でいまいちだった人も以前より良くなっていたと思う。そして、本科分を研究科生を前に上演。それなりに受ける部分もあり、ちょっと安堵。あくまでも内部とはいえ、多くのお客さんを前にしてするのは全然違う雰囲気がある。演劇というのはお客さんとの相互作用があるということを心から実感したのでありました。

22.3.6 ゲネプロ・本番初日
 土曜日。本番は夕方からのため、その前にゲネプロ。
 ところが、朝一の転換稽古でとんでもないことに。というのも、幕前から1場にかけての転換でワゴンが大きく後方に振れ、降りてくる暗転幕と接触。上演を止めてしまうこととなってしまった。その後良く良く確認してみると、前に出るワゴンが役者と接触しそう(というか轢きそう)であり、後方のワゴンの時間がなくなってしまうということが判明。これまで先生やプロの方と組みになっていたので気が付かなかったが、学校生だけではやはりうまくいかないようである。これが練習前であったのでまだ良かったが、本番ならば公演一時中止になってもおかしくない状況。改めて移動する道具の怖さを思い知る。
 ゲネプロ前であったが、さっそくワゴンの引き出し方法を簡単な方法に変更。舞台監督がほぼ即断し、演出家から了解をとる。なるほど舞台監督とはこういうときに活躍するのだなと、改めて理解。色んな意味で非常に勉強になった。
 その後、ゲネプロを無難に越え、最後の手直しを若干加え、いよいよ本番。1年間の成果が今試される。舞台転換がしくじると、役者さんと照明さんにものすごい迷惑をかけることになる。これまでにはない緊迫感が襲ってきた。とはいえ、ここで緊張した顔を見せてはワゴン運びのパートナーや役者さんたちを緊張させるだけだし、逆に周囲の状況が分からなくなる。神社の鳥居にむかって「無事、この公演が終わりますように」とお祈りした後は、心を落ち着かせて転換作業に取り組むことができた。本番に強いのか、大きな事故もなく、まあまあ満足できる出来で転換作業をこなすことができた。
 最後のグランドフィナーレ「ピッコロ広場」合唱では、泣いている本科生をみて、ついうるっと来ることも。その後、いつも手伝ってくれていた方からお花をもらって、美術コース生の中には涙なみだの女の子も。講師の先生から、「本当に感動した」とのおほめの言葉をいただいた。いよいよラスト1日。最後は悔いのないように終わりたいなと、改めて誓ったのでありました。

22.3.7(その1) 本番最終日(楽日)
 最終日は雨の天気予報だったのだが、朝は止んでいた。8:40ごろからみんなロビーに集まってくる。こうやってみんなが集まるのももう最後なのだが、なんだかその実感が無い。「今日もよろしくね」「がんばろう」。こんなに仲良くなった人々が今日を最後にみんな分かれる。なんだかどっちが現実で、どっちが虚像なのか分からなくなる。
 朝一はまず、修了式の場当たり。客席に、本科2列、研究科1列、技術学校1列で座っていく。あの入学式からもう1年たったのだなと、感慨深い。美術コースは結局22名入学して20名修了なので9割以上が残ったことになる。いろいろな意見はあるが、まずはすごいことだと思うし、みんなお互いをよく支えあった結果であることも事実。パチパチ。
 その後は転換練習などを経て、いよいよ最後の本番。この舞台セットももう二度と使われない。この台本ももう二度と演じられない。この役者さんたちの演技ももう二度と見られない。この仲間と一緒に転換することももう二度とない。本当に終わってしまうのだなということを噛みしめながら、幕前の下手側、6×6ワゴンに着く。「今回も無事に終わらせてください。そして、もし望めるならば全ての人が満足できる結果で終われますように」と鳥居に向かって祈りながら。
 一緒にワゴンを動かした人との息も徐々にあってきて、途中まではほぼ完ぺきな動き。ところが、これまでほとんど問題のなかった3場→4場が大幅に遅延。演出家から「できるだけ早く」と言われていた転換なので、正直ガクッといったところ。楽日なので誰を責める気もないが、まあ、このあたりが自分たちの限界だったのかなと。そういう意味ではまだまだ「伸びしろ」があるという証拠なのかもしれない。
 グランドフィナーレも終わり、舞台袖へ。正直なところ、楽日はミスも多く、それなりに不満気な人も。とはいえ、その不満も明日への糧。みんな、「今できることはやりきった」という本当にいい顔をしていた。おそらく自分も。この顔を見たいから、この顔になりたいから、私はまた舞台へ、舞台袖へ戻ってくるんだろう。そんな思いが、決意が、心の中で固まってきたのでありました。

幕前 1場〜2場 2場
栄華を誇った花街を暗示するダンスで幕が開ける。(写真は3/2 or 5のもの。) 1場では全ての壁が舞台前に来ており、「外」での芝居ということを示している。 2場では全ての壁が舞台奥に。「室内」の芝居。それぞれの生き方が語られる。
6×9ワゴンとあげワゴン 6×6ワゴン 3場のはじまり
格子付きワゴンは真四角ではなく、空間の広がりが感じられるよう台形に。 端正な形の正方形ワゴンはあえて穴を2つ開けることで、味のあるセットに。 この芝居のハイライトである3場。ほんものそっくりの井戸が生活感を醸し出す。
3場 4場・洗兵衛とおはぎのシーン 終幕
3場では内・外・内とワゴンを配し、衝撃的なシーンを美術がしっかり受け止める。 4場で全てのワゴンがはけ、大きな石段と鳥居が前面に。観客の意表を突く。 ラストシーン。全ての人々が自ら踊っている。それを支える、提灯の記憶。

→ 「僕の舞台技術学校日誌」番外編(Power of Stage Art 2010)へ

22.3.7(その2) 修了式・バラシ・打ち上げ
 卒業公演の感慨も醒めやらぬ中、そのまま修了式へ突入。入学式の時とほぼ同じ位置に座る。当時、会社の制服を着て遅れてきた左横の彼女も、初めて親しく話をした右横の彼も、一緒にここにいる。この場所で1年が始まり、この場所で1年が終わるんだなあと感慨深い。
 今年は皆勤賞や精勤賞が沢山。その評価は様々であるものの(暇な人が多かったという説もある)、個人個人で見れば、がんばった結果であることは間違いない。皆勤賞をもらった本科の女の子は完全に泣き崩れていて、更に上がってしまったらしく、壇上でもあっちにうろうろ、こっちにうろうろ。それを見て、研究科生や事務室の方々がもらい泣き。暖かい空気が流れていた。その後の長い長いお話も、クールダウンの時間と思えば良かったのかも。
 修了式終了後は一気にバラシタイム。美術コースのターン。ところが、私はこの前日から「ミ二バール」を紛失していた。いまさら調達する方法もなく、無くても何とかなるかなと思い参加したものの、やはり非常に不便。道具は事前に確認しておくべきと言う、基本的なことができていなかった結果。このあたり、今後の課題として残った。でも、課題があるからこそ、次の成長もあると思いたい。そう言う意味では、来年度、もう一度美術コースで学べればとも思う。
 バラシは午後8時頃で一旦終了。その後、コースごとに主任講師から修了証をいただく。すごくうれしいプレゼントがあったのだが、それは今後、美術コースに行く人のために内緒。最後に、技術学校全員で写真撮影。美術コースだけというのは中間発表会などでもあったが、技術全体というのは、多分、最初で最後。この日は何をしても何かと感慨深くて困る。

 修了証書もいただき、ピッコロシアターから阪急塚口駅そばの打ち上げ会場まで「ピッコロ通り」を技術学校のみんなで歩いて移動。去年の4月4日、入学金を払い終えた後、一人での帰り道、「1年後、シアターからの帰りの道をどんな思いで歩いているんだろう」と思っていた。最後のシアターからの帰り道は、技術学校の仲間達と楽しく語りながら打ち上げに向かう道だった。楽しくおしゃべりしつつ、ちょっとだけこの1年をちょっと振り返りながら、一歩ずつ歩いたのでありました。

22.3.9 バラシ続き(欠席)
 休館日の8日を挟んで、9日は残ったバラシの続き。とはいえ、平日のため、私は参加できず。最後の最後に参加できないのはちょっと寂しいが、これ以上休むのも職場に申し訳ない部分があり、仕方ない。だいぶ進んでしまっていることが唯一の慰め。
 バラシには参加できないものの、その後の飲み会には出席ということで、いつも通り定時退庁し、てくてく阪急三宮駅まで歩き、そこから阪急電車に乗って塚口へ。車内で「もうバラシって終わった?今日の打ち上げ会場ってどこ?」などと同級生にメールを送っていると、ピッコロの学校事務からメールが。「本日のバラシ作業は17時で全て終了しました。荷物がある人は連絡されている日時以内に取りに来てください。…これで学校としてはすべて終了しましたが、またいつでも遊びに来てくださいね。」
 知らないうちに知らないところで全て終わってしまったのはさびしいと言えばさびしいが、大きな事故もなく終われたのは何より。バラシに参加してくれた同級生たち、そしてスタッフ・講師・事務の方々に感謝。そういう人びとのバックアップがあるからこそ、この学校が社会人と両立できるのは間違いない。そういう意味ではピッコロらしい終わり方かなと思わなくもないのでありました。

 今日のバラシ打ち上げは、いつもの行きつけとは違う飲み屋さん。
 お店の場所はすぐに分かったのだが、本当にここでいいのかなと思いながら、扉を開ける。
 「あっ、いそべっちだ。お疲れ〜。」「こっちこっち」
 初めての、全く知らないお店の中に、たくさんの見知った顔があった。
 「バラシ参加できずにごめん。飲み会だけ参加すんねー。」
 年齢も性別も経歴も、今後の進路も違う、1年前は全く知らなかった、今はかけがえのない仲間たち。
 「で、何かいい話があるんやって〜」「相変わらずブラックな笑顔やなあ…」
 人生の中で忘れられない1年間、本当にありがとう!


→ 「僕の舞台技術学校日誌」エピローグへ



「僕の舞台技術学校日誌」タイトルページへ
いそべさとしのホームページへ


いそべさとしのホームページ Copyright with S.ISOBE(2010)(isobe@isobesatoshi.com)