第Xの謎

なぜ、筑波は見捨てられつつあるのか?


 今年一年、筑波のなぞを調べてゆく中で様々なことを知り、感じた。
 たとえば夏頃、様々な研究所の道路に面したところにのぼりが立った。「筑波手当廃止反対!」ということで公務員の労働組合がたてたものであった。筑波大学がいい例だが、このような政治的・社会的スローガンが書かれたものを筑波でみることは非常に少ない。結局、筑波手当は優良研究所への特別手当という形で残ることとなったが、これは以前のように必ずもらえるものでもないし、文部省管轄の筑波大学職員などには出ない。多くの公務員にとっては実質的な賃金カットとなってしまったのである。ともあれ、あのようなのぼりが立つこと自体が筑波ではかなり異例のことであった。
 こんなこともあった。筑波研究学園都市のケーブルテレビであるACCSは、いままで非常に安い値段で引くことができた。国の補助が出ていたためである。しかし、来年度からは補助がなくなり、非常に高いお金を払ってケーブルテレビを引かなくてはいけないこととなったのである。そのせいかACCSは今までにもまして追加番組の売り込みに力を入れている。つくばセンターの二階にも広報ブースができた。これまで文字どおり殿様商売だった住都公団が、急に売り込みや広報に力を入れ始めている。
 つくば市はいま、学園都市地区の東方、玉取地区に火葬場を作る計画を進めている。隣の栗原地区が強硬に反対しているにも関わらず、来年度中には何とか着工したいという意向のようだ。つくば市はここ数年、ごみ焼却場・つくばカピオと相次いで大型のハコものを建設している。なぜこれほどまでに急いでハコものを作りたがるのか?
 筑波の町が、今何かおかしい。何か奇妙な緊張感が漂っている。そう感じる人も多いだろう。そうなのである、筑波はいま大きな曲がり角にある。筑波は政府から見捨てられつつあるのである。

 冷戦は終結し、東京直接侵略の危険性というのは明らかに減少した。そして、時代は情報化や分権化の方向に動いており、首都機能を一括して移転する必要はどんどん薄れているのである。それでもいざというときの筑波の利用価値はあった。筑波に首都機能代行ができるという事実は、ほんの一部のトップ官僚と、財界トップ、そして自民党のトップだけが知り得た事柄だったからである。首都機能はともかく、密かに核兵器を開発するとか強力な化学兵器・生物兵器を開発するのに筑波はうってつけということもあった。しかしながら、政権交代などの中で、筑波の本当の意味は多くの野党、そしてその支持団体の労働組合や宗教団体にも流れてしまったのである。当然ながらその情報はアメリカやロシアの諜報機関へも流れてしまった。知られてしまっては首都機能代行都市は台無しである。また行政改革のおり、お金のかかる首都機能代行都市の建設・維持をこれ以上国の予算で進めることは不可能になってきた。そこで、国は「常磐新線」を最後の置きみやげに筑波からあっさりと手を引くことを決めたのである。常磐新線だけ置いていってあげるから、あとは市と県でうまくやってねという具合である。
 そして、いままで筑波だけには許していた「甘い汁」を徐々に取り上げ始めたのである。まず、第一に今まで筑波のなぞの秘密保持を条件に目をつぶっていた地元政治家の選挙違反を摘発し始めた。今までも選挙違反は日常茶飯事であったが、筑波ということで茨城県警も大目に見ていたのである。しかし、もはや国に遠慮はいらない。それで、今までと同じことをした市長は捕まってしまったのである。これは単に一市長を捕まえるというよりは、国が「もう筑波だからといって大目に見ないぞ」ということをアピールするねらいがあったのである。
 ほかにも、来年や再来年をもって研究学園都市のための特別の予算を打ち切るという措置を決めた。今までは研究学園都市ということで補助金もたくさん出ていたし、もらいやすかった。しかし、これからは他の一般自治体と同じ立場で競争しなくてはならなくなるのである。書類さえ書けば何でも作ってもらえたつくば市にとっては大打撃である。新しい建物がたくさん建っているのは、来年度までならこの特別の予算がもらえるからである。ほかにも筑波手当カットやACCSへの補助金カットなど、金銭面に置いても国は筑波を見捨て始めた。もはや従来の国主導の学園都市建設はあり得ない。かといって、県や市も特にビジョンがあるわけではない。来年はまだいい。でも再来年からは確実に国は筑波を見捨ててゆく。

 ある地域が国策に協力すると、そのときは予算や人員などの面で非常に厚遇される。立派な道がどんどん通り、立派な役所や体育館がどんどん建ち、人もどんどんとやってくる。でも、国にとっての役割が終わったとき、その地域はまるでかんだ鼻紙のごとくぽいと見捨てられる...。これは原子力発電所を受け入れてきた自治体などでよくみられた現象である。原発銀座で有名な福井県は、知事自身が議会に対して「原発受け入れ推進は誤りであった」と陳謝したそうである。そして、それと同じことが科学の国策都市、いや首都機能代行都市・筑波でも今まさに起こりつつあるのである。
 国が最後の置きみやげとして用意した「常磐新線」。2000年開業予定だったのが、結局2005年開業予定となった。でもこれも不可能ではないかという話を聞く。果たして常磐新線ができるまで、国の保護なしに、筑波は何とか自力でやってゆけるのだろうか。無事、東京の衛星都市としての転換を図ることができるのだろうか。わたしには全く光が見えないのだが...。

   



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これはフィクションです。おそらくフィクションだと思うのですが...。
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